創立150周年とありました。
左が正倉院、正面が若草山、右手が大仏殿
学校改革2年目、7月に続いて2回目の訪問です。
今回のお題は、「つなぐ」「ジャンプの課題」でした。
午前中、5年生算数、2年生国語、6年生理科を参観して午後研究協議に入りました。
協議会では、3時間の授業から本日のテーマに沿った場面を解説しながら、先生方の意見の交流を軸に進めました。算数では、「混みぐあいなどの比べ方」 教室の中央を大きく開けて新聞紙をしいて実際に子どもたちに体験させながら、混み具合に影響する条件を考えさせました。また、どちらが混んでいるかの課題で実体物(方眼紙とブロック)を利用して比較させる工夫が功を奏して、逃避しかかっていた児童が覚醒し実験を中心的に進めていました。国語では、「お手紙」数時間後の授業でしたが、3人のグループ(2人ではつながりが弱く感じたそうです)で、キャストを決めてフルの音読をしました。その後、最後の場面でお手紙が届く4日の間に2人はどのような会話をしたかをワークシートで問う課題が出されました。それぞれ思い思い考えていましたが、なかなか、思いを文字にするところまではいかなかったようですが、グループで教科書をを指さしながらや友達の話を聞いている姿が印象的でした。理科では、地球・月・太陽の観察でした。ノートの方眼を使って、地球と月の大木さん比較を作図させたのち、太陽を比較させ、月と太陽の動画からその特色を比較させる内容でした。理科室は縦長なのの見えにくい児童を後退させるなど気配りが感じられました。6年生なので、それぞれに情報収集しながら課題を完成させている様子から、かなり児童間・クラス経営がうまくいっているように思われました。
この後の協議会では、7月に垣間見た児童間の様子がかなりまとまって見えたことと、課題に対する工夫が随所見られたことをお話させていただきました。
最後に、かわち学座のHPから文殊のすすめ、文殊のこころを紹介させていただきました。終了後、例によってそれぞれ授業公開いただいた先生方との懇談会をして6時ごろ家路につきました。
終わった後に、5年生の女子で4年生の時に先生に悪態をついていた子どもさんを思い出しそれとなく聞いてみたら、「私の前にいた。」とのことでした。ほんとに気付かなかった自分が恥ずかしかったですが、気づかないまでに成長させた先生方の取組に心から拍手を送りたいです。彼女の成長はただ単に担任が代わっただけでないでしょう。是非とも4年生からの取組を総括して聞かせていただきたいものだと思いました。鼓阪パワーファイト!
学びのたより更新されていました。
一部抜粋
「よい授業」とは「結果」である。しかし、授業をする側にとってその日の授業は、「授業をつくる
旅の過程の一里塚」である。だから、参観者は、「結果」だけを見るのではなく、その授業者の「過程」
に寄り添う参観態度であるべきである。
参観者自身も日々授業をしている、つまり授業づくりの旅人である。同じ授業実践の旅人として授
業を見つめることは、自分自身の授業づくりと結びつき、お互いの共感が生まれ、うまくいかなくて
苦労をしている授業であったとしても、その苦労に向き合う授業者の懸命さが他人事ではなくなって
くる。
つまり、授業参観とは、授業づくりの旅人同士の連帯に基づき、授業づくりの過程で生まれるさま
ざまな出来事を互いの実践と結びつけ、その時の出来事をもとに、参観者自身も、自分自身の授業づ
くりのあり方についての気づきを生み出す、そうすることではないだろうか。
そう考えれば、参観した授業がどういう授業であったとしても、そこからいくらでも学ぶことがで
きる。参観した後、もし「こんな授業だとは思わなかった。来なければよかった」と言う人がいたら、
私に言わせれば、その人は「実践するとはどういうことか」が分かっていない人だと思うしかなく、
気の毒になる。そのように「よい授業」しか眼中にない人は、自身の授業において、分からないで困
っている子どものことが目に入らず、よい考えばかり求めてしまう、そういうことをしている可能性
があるのではないだろうか。
授業づくりは、終わりのない旅である。授業研究会は、互いの旅、つまり授業づくりから学び合う
場である。大切なのは授業をする側も参観する側も「謙虚さ」を忘れないことである
やりましたね、藤井8冠!