3月になった。来月から4月だ。当たり前だ。(^0^)
来月からどうするのか。バイトのことである。いくらなんでもやり過ぎた。
で、二つほどクビになった。決定した。これまでボキのようなジジイを雇ってくださっていただいただけでも、ありがたいもんだった。
来週は、身辺整理をしなくちゃアカン。
なんのことはない。元に戻っただけである。
年金暮らしとささやかな二つのバイト。惚け防止のためにやっているだけ。
バイトをやっていたから、ボキの小遣いは無かった。これも復活である。それにしても尾畠春夫さんから見たら、ふざけたジジイである。遊んでばかりいて、なにが小遣いだろうかと(_ _ )/ハンセイしているからである。
尾畠春夫さんを、もっと見習いたいもんである。あれだけの強靱な体力と意志。まるっきり修行者である。自堕落の陰もない。これじゃぁ握手でもしてもらいたいと、人々が連日押しかけるわけである。ただし、メディアの姿勢が良くなかった。おっかけを助長しているようなもんである。
お世話になったバイト先の方々には感謝して撤退するつもりである。受けた恩は忘れないことである。さらに受けた恩はお返しすべし。絶対にやっちゃいけないのは、後ろ足で砂をぶっかけて去ることだけはいけない。
男は背中で勝負するのである。
去るときは、無口で去ることだ。
感傷もいけない。ヘラヘラやってもいけない。あかんべぇーをやってもいけない。シェーンのように、背中で勝負である。あのシェーンの去り方は見事である。なんという格好の良さであろうか。ただし、ボキには馬がいない。馬に乗って大山脈を目指して去るシェーンには男の美学を感じる。もう一人の主人公である坊やが、シェーンカムバックと叫ぶわけである。
そして、シェーンは聞こえているのか、聞こえていないのかわからないが、一度も後を振り返らない。
それが男だ。
過去を引きずらない。それが格好良いのである。
死ぬときも、こうでありたい。去るときは、背中で勝負するのだ。去るというのは、死をも意味するからである。
人間はだんだんと枯れていく。それは仕方ないことである。体も小さくなっていく。欲もなくなっていく。食欲もである。それが普通であろう。それをジジイやババアになっても欲深く生きていると、どっかで天地がひっくり返ってしまう。
用心深く生きていくことにこしたことはない。危険なことからは逃げて。
とりあえず、ボキはアルコールと香水ですな。
わはははっははははっははははっはははっははっははははっははははは。
とりあえず、さらばじゃ。
と~ま君カムバックと言ってくれるヒトは皆無だけれども。
(-。_)。。o〇