と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

さよなら、さよなら、イタリア・・・お世話になりました

2016年06月13日 18時41分32秒 | イタリア紀行2016年5月

ミラノ・・・サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

 

 

6月4日(火) ベネチアからミラノへ 曇りのち晴れ(殆ど全日程これじゃった)

観光最終日。

午前中はひたすらバス移動の日。

ミラノ到着後ランチ。「saba tini」でミラノ風リゾット&プロシュート(生ハム)サラミwithサラダ、パンナコッタを食べたなり。

ミラノ中央駅を経由して、「ゼドラ」(イタリアンギフト店)に立ち寄る。ガイドのMsヌガさんと合流。

バスを降りて、スカラ座広場に行く。スカラ座とダヴィンチ像から、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガリレアに行って、ドォモ広場でフリータイム。希望者はドォモに入場。当然ボキも。

ここで思わぬ時間ができて、おまけの観光。「スフォルツェスコ城」に行く。お堀跡ににゃんこがのんびりたくさんいたので、微笑ましかった。

スフォルツェスコ城

 

にゃんこはどこでもかわらんですのぉ~~。

さらに「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」へ向かう。ここで「最後の晩餐」を見るためである。これはタノシミにしていた。

 

「ダビンチコード」という奇想天外な小説でいろいろと楽しんでいたからで。

でも、あまり生半可なイメージを持っておると、ロクなことはない。純粋に楽しめないからである。でも仕方なし。それくらいのレベルでしかないのだから、こっちは。

写真も撮れたのでラッキー。フラッシュは厳禁であったが。ユダが描かれているけど、ユダの福音書なる書物も読んでいたので、ユダの心境やいかにと思いながら絵を眺めていた。しかし時間はたったの15分のみ。あとは入れ替え制。仕方なし。

「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」の前で、イタリア人の子ども達がサッカーに興じていたのが妙に印象に残った。やはり国民性の違いなんでしょうなぁ。どこでもサッカー、誰でもサッカーというような印象があってなかなかのものである。

もう疲労はピークに達している。それにダンダン足の親指が痛くなってきていた。日本を発つ前に、右足の親指の爪を深く切りすぎて、痛かったのである。それに強行軍である。歩きが多くて参っていたからである。

おかげで運動不足にはならなかったが。

再びバスに乗り、ディナー「corallo」でペンネ・アラビアータ&ミラノ風カツレツwithサラダ、マチュドニアを食べた。

ホテルは、「アタホテル・コンテッサ・ジョランダ」というホテル。けっこう大きくて良かった。

夜(と言ってもまだ明るい)、近くにあるスーパーの2005/03/09 に 鳴り物入りで日本に進出したフランス最大のスーパー、カルフールに行ってみた。非常に安かった。このカルフールは、幕張にもあったスーパーである。今はイオンになっているが。

いろいろと買った。いろいろと。つまり日本に帰ってから使うものを(^_^)。

明日は、ミラノ・マルペンサ空港から成田までひたすら飛行機に乗って帰るだけである。アリタリア航空786便である。

 

プレミアム・エコノミー席 ガラガラ・・・

 

 

お世話になりました。

イタリアの国。

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

明日は飛行機に乗っているだけなので、イタリア怪人紀行はこれにて終わり。

長い間おつきあいいただいて、ありがとうございました。

Bye-bye

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ピサからベネチアへ・・・ナンパまでやり遂げて、楽しい日々は続く(^_^)

2016年06月12日 08時47分52秒 | イタリア紀行2016年5月

ナンパ、ナンパの連続でしたよん。ジジイは得するなぁ。見た目も、中身もまったくのジジイであるからで。

 

 

6月3日(金)

ピサからベネチアへ。

今日からVIPバスのドライバーが変更になり、Mrピーノさん。まだ若々しい。日本が大好きで、一ヶ月日本に来たこともあったとのことである。歓迎、歓迎。

午前中はピサに向かう。

ピサには、バスを駐車場で乗り換え。シャトルバスで。幕張で走っているような二台連結のバス。ボキは、幕張にも勤務していた時期があったから慣れてはいる。が、たいていの日本人ははしゃいでいた(^_^)。

ミラコリ広場にシャトルバスで入るとあった。有名なピサの斜塔である。ここも来て一度はホンモノを見てみたかったから、マンゾク・マンゾク。

広場東側に行って、クロークで荷物を預ける。欧州のテロが起こってからは、実に警戒がものものしい。軍隊まであちこちにいる。しかも実戦配備。機関銃まで持っている。こりゃぁ凄い。日本がいかに平和惚けしているかということが如実にわかる。しかも、軍隊にカメラを向けてはならんから、クワバラ・クワバラである。

ドゥオモから洗礼宮に行く。ドゥオモ広場(ガリレオのランプ)を経て、いよいよピサの斜塔に。

ここでは斜塔のてっぺんまで登った。けっこう階段がきつい。きついけど、もう二度と来ることはないだろうからと無理して登った。途中階段が斜めになっているから、めまいでもしたのかと焦った。焦ったけどしかたなし。登り始めたのだから、しかも一方通行だから降りるに降りられない。

斜塔階段の前で諸注意を受ける 

斜塔のてっぺんまで続くアナ

斜塔てっぺんからの眺め


てっぺんからの眺めも良かった。

降りてきて、クロークのある前の建物でナンパ(^_^)。ハスキー犬がいたので、ワンコを写さして欲しいと英語で話しかけた。そしたら娘二人も同意してくれたし、彼女らのパパもOK!となったので写した。かわいいですな。子どもたちは。どこでも。それになにしろこっちはどっから見てもジジイである。警戒されない。それに英語の勉強になる。

かわゆいのぉ~どっちも(^_^)


でも、この娘たちはどうやらイタリア人らしかった。英語が使えない。ま、どこに行っても誰にでも話かけるのはボキの得意技である。語学は度胸である。

わあはっはっっはははっははっははは。

ランチは、「il pozzo」で。ミネストローネ&白身魚のトマトソースwithほうれん草のソティ&ズルコットを食べた。素敵なレストランで気に入った。それにおいしかった。

このレストランでさらにナンパの連チャン。

サッカー少年たちが、学校の行事かなんかで来たらしいのであるが、ボキ達の隣室で食事していたので突撃ダッシュ。英語で話しかけて写真を撮らしてくれないかと頼んだら、あちこちからOKサイン。ジジイ、モテモテである。笑顔で接すると子どもたちはピースサインまで返してくれる。万国共通である。

異常な盛り上がりを見せてくれた少年達(^_^)

ボキも一緒に記念撮影 ボキは、こういふ少年達とすぐにお友達になれるんでしゅ~!
(ちなみに真ん中のアタマの禿げたジーサンがボキである)

 


平和はありがたいもんである。

引率をしていた学校の教師達と思しきグループが、ワインを昼間っから飲んでいたのにはびっくりしたが。同席した札幌の内科医のセンセから、「文化の違いでしょう」と言われたのには、どうも賛成しかねたけど(^_^)。

午後もバス移動。

ドロミテ山脈を越え北上してベネチアへ。ここもまた憧れの景勝地。一度は来てみたかったところ。

港でトロンケット(船)に乗り換えてベネチア本島中心部へ。まずはホテル・ダニエソ前からゴンドラ・クルーズ。


ガイドのMrマリオさんからいろいろと説明を受ける。ためいきの橋でグループが二手に分かれたので、最後尾をトボトボ歩いていたボキはあれれと思ったら、ボキのちょっと前を歩いていた6人が、迷子になったらしい。左に曲がったMrマリオさんグループと違って直進していったから、ボキは大声上げてそっちじゃぁねぇですよん!と叫んだのであるが。添乗員があわてて迷子になった6人を迎えに行ったのはご愛敬。すぐめっかったから。



サンマルコ広場で写真を写していた。バイブルの福音書を書いたマルコの遺骸があるという教会である。これまた、学部時代から卒論を書くために、何度も何度も読み返したマルコ書である。感慨もひとしおであった。信者でもなんでもないのに。

ドゥカーレ宮殿、文書館、大鐘楼、聖テオドール、聖マルコのポール、大広場(café florian)、サンマルコ寺院などをフォトにおさめて、再度トロンケット移動してサンタルチア駅へ。

ディナーは、「il vagone」でイカスミのスパゲッティ&ラックスサラダ&ジェラートを食べた。とうとう、ワインを禁じられてしまったので、アルコールなしである。

トホホ。

元宮殿のホテル「ボスコロ・ホテル・ベリーニ」で、実に豪華なベッドでバタンキュ~。

おやすみなさない。

 

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ポンペイからナポリ、さらにルネサンスの証人フィレンツへ。

2016年06月11日 09時04分15秒 | イタリア紀行2016年5月

出発はゆったりだったけど、中身は相当に強行軍。日本じゃあり得ないけど、もったいないからメモとカメラだけはフル活動。だってもう二度と訪問することはかなわないだろうから。マジに。こっちのジジイは死ぬだけだから。(^_^)

 

 

6月2日(木)

ポンペイからナポリ、さらにフィレンツへ。

今日は比較的ゆったり出発。強行軍は、ジジババには辛いもんがあるから助かる、助かる。

今日はタノシミにしていたポンペイの遺跡。世界史の教科書では知っていたものの、ここに来て実際に遺跡を見ることができるとは思ってもみなかった。やはりリタイアしてからは、ゆったりと生きてみるもんじゃと思った。ゆったり生きているからこういう遺跡を見ることができるってぇわけである。感謝である。感謝。それに書物で知っているだけでは、こころもとない。見て・聞いて・触って(?)・・・という行動に移さないとアカン。触るってぇのは危険だからやらないが(^_^)。

ヴェスヴィオ火山が遠くに見える


午前中は、ヴェスヴィオ火山の麓であるポンペイ遺跡へ。爆発的な噴火でもって、この火山の上部が吹っ飛んだのだそうだ。かなり前から地震があって、伝説では一晩でポンペイが潰滅したということであったが実際は三日くらい時間があったらしい。今で言えば火砕流でも発生したのであろうか。会津の磐梯山と似ていると第一印象で思った。山の上部が吹っ飛んだというのだから、似ていて当然であろう。

まずは、「ガレリア・ポンペイ」に立ち寄り、ガイドのMsロザリアさんと待ち合わせ。日本語が実に上手である。さすがである。こういふ人のアタマの構造というのはどうなっているんだろうかね。毎度思うのだが。

マリーナ門から入場。

マリーナ通りから、猫目石や道路と横断歩道を見てフォーロ広場。ここでジュピターの神殿を見て、そこから遠くに見えるヴェスヴィオ火山を遠望する。天候も良くて、はっきり見えた。でも、なんだか我が日本だってうっかりできないと寒々しい感じになった。じっさい会津磐梯山だって・・・というのがあるからで。

毛織物組合の館(エウマキア館)でカメオ彫刻、さらに市場(マルケム)、宅配屋、フォーロ浴場へ。フォーロ浴場は、テルマエロマエという映画をVIPバスの中で見たので、なんだかそれを思い出した。フォロー浴場は、運動場、脱衣場、冷水浴場、適温室、熱水浴場、水盤があってなかなか興味深いものがあった。さらに遺跡の中にあった居酒屋も見た。パン屋の跡も。石窯もあった。

フォロー広場に戻って、展示品を見る。人や犬型の石こう等を見た。

そして、ヴィーナス神殿から出口へ。

ランチは、「vesuvio」で昼食BOXをピックアップしてナポリ中央駅へ。

この駅で、イタリア版新幹線itaro 9986号(日本の「のぞみ」と同型)に乗車。それから、ローマテルミニ駅、ローマティブルティーナ駅を経由してフィレンツSMN(サンタマリア・ノヴェッラ)駅まで。

到着後ガイドのMsナカモトさんと待ち合わせ。

徒歩で行動を始める。

 




サンジョバンニ洗礼堂でギベルディ作の「天国の扉」、ドォーモ、ジョットの鐘楼を見て、レプリカ広場で写真。さらにシニョーリア広場到着後ベッキオ宮殿へ。ここでダビデ像を見る。ミケランジェロの作であるがレプリカ。


足を伸ばしてネプチューンの噴水を見て、コジモ一世騎馬像も。チェリーニ作「ペルセウス」もあった野外美術館である。

そしていよいよウフィッツィ美術館へ。ガイドがMsコバヤシさんに変更される。

入場して、ジョット作「荘厳の聖母」、ミケランジェロ作「聖家族」、ボッティチェリ作「春」「ヴィーナスの誕生」を拝観。特にヴィーナスの誕生」は、亡父の書斎で画集から見たことがあったからよけいに感動したよん。不思議なエロスがあって、亡父にバレないようにひやひやしながら見たもんじゃったなぁ・・・わはははっはははは。

テラスからの眺めをタノシミながら、ラファエロ作「ヒワの聖母」「自画像」、さらにダヴィンチ作「受胎告知」「イエスの洗礼」、ティツィアーノ作「ウルヴィーノのヴィーナス」、カラバッジョ作「メデューサ」などなど・・・。(しかし、ここまで入力するのが大変じゃ。たくさんありすぎて。メモが充実していたからできたけど)

フィレンツで生まれたルネサンスの巨匠たちのホンモノの作品がたくさんありすぎてメモが追いつかないのじゃ。トホホ。

漏れ落ちもたくさんアルに違いないけど。日本じゃあり得ない強行軍である。鑑賞もへったくれもない。しかし、もう二度と来ることはないだろうからメモだけはしっかりやった。もったいないからである。ゼニが。(^_^)

やっとディナー。

「fantasia」というレストラン。ポルチーニ茸とキノコのソングイーネ、チキン・カチャトーラとサラダ、プディングを食する。相変わらず美味である。さすがイタリアン料理である。日本人にもっともあうのではないのか。ここでもワインをいただいてしまった。あああああ、シマッタである。意志薄弱である。だって美味いんだもんねぇ~。

食後、VIPバスでミケランジェロ広場でフィレンツの美しい景色を見てからホテルへ。「カンファレンス・フロレンティア」なるホテル。

バタンキューであった。

おやすみなさいませ。

爆睡・・・・・

 

 

 

 

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あこがれのバチカン市国とローマを韋駄天のように駆け抜けて(^_^)

2016年06月09日 13時03分58秒 | イタリア紀行2016年5月

バチカン市国からローマ、さらにナポリへ

 

 

5月31日(火)



午前中はバチカン市国へ。カトリック総本山である。キリスト教会には非常に関心がある。あったというべきか。それも知識としてであったから、今は反省している。

そもそもキリスト教というのは、庶民には理解しがたいものであったのではないのか。ラテン語で書かれていたし、読むことが困難であったのではないのかと思うからである。ボキもまったく理解できないのだけれども。バイブルっていうのは。

それは日本における仏典もそうである。何が書かれているかまったくわからん。難語句のオンパレードである。ただひたすらそれを読経しているだけで、ありがたいと思っているボキのような庶民がたくさんいるのである。もっとも、ボキには信仰がないから、そんなインテリぶったことはいえねぇけど(^_^)。

ま、ともかくバチカンである。現地ガイドのMsサイトウさんからの案内をいただいた。

最初にバチカン博物館に寄る。

システィーナ礼拝堂の説明をいただき、ピーニャの中庭からエジプト展の一部を見ながら上階へ。

燭台のギャラリー(ギリシャ、ローマの彫刻)から、タペストリーのギャラリー(ゴブラン織り等)、地図のギャラリー(イタリア各地図)を歩いた。

驚いたのは、現地ガイドのサイトウさんである。博識である。もっともこのガイド試験というのは、かなりの難関である。受からない。なかなか。ボキのような一介の田舎ジジイが、ちょっとローマ史を勉強したからって言ってもかなうわけがない。だから、ド素人はおとなしく聞いているしかないのである。本当にたいした方がおられるものである。

いよいよシスティーナ礼拝堂に着いた。ミケランジェロの傑作と言われる「最後の審判」「天井画(旧約聖書)」を拝見。とうとう見られたのである。憧れのミケランジェロ。ホンモノである。ホンモノ。綺麗じゃなぁ、とうとうここまで来ることができたのだなぁと感慨もひとしおであった。

そのままサン・ピエトロ大聖堂へ。

今年は特別聖年(ジェビリオ)ということで、免罪をいただくべく「聖なる門」から入場した。触ってもみた。ボキはさらに、ボキのキタネェハゲアタマをこすってきた。むろん惚け防止のためもある。さらに、これまで幾多の悪業を重ねてきたボキの行動を指示してきたふざけたアタマを綺麗にしていただくという思いもあったからで。

わはははっはははっはははっはははは。

もっともこんなことで綺麗さっぱり免罪がされるとは思ってもみなかったけど。マジに。

ミケランジェロの「ピエタ」、ベルニーニ作「司教座」など世界最大の大聖堂である。圧倒された。ベルニーニ作のサンピエトロ広場を写真で写して、マンゾク・マンゾク。

次にはローマをVIPバスで車窓見学。

ローマの成立に深く関わったテヴェレ川沿いにバスは走る。塩野七生さんの書籍に何度も出てくるから、実際どんな川であるかタノシミにしていた。物語がある。この川には。ローマの成立を知るには必須の川である。

ティベリーナ島から左岸に渡り、アベンティーノの丘、チルコ・マッシモ(馬車レース場)、さらにドムス・アウグスターナ(王の宮殿)、パラティーノの丘でバスから下車。コンスタンティヌス帝の凱旋門とコロッセオの写真を撮って楽しんだ。

さらに、カンピドーリオの丘からベネチア広場、独立記念堂からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を通ってランチ。

やっと昼飯にありつけたのである。店の名前は「scoglio di friso」。サラダ、リガトーニ・カルボナーラ、マチェドニア(フルーツポンチ)を食せり。

再び、車窓からヴィマーレの丘(内務省)、大統領官邸を見て、それから有名な「トレヴィの泉」。ここはコインを投げるとなんとやらという場所だったが、ボキはパス。いまさらである。いまさら願い事なんかありゃしないからである(^_^)。

無原罪のマリア像を見て、それからスペイン階段へ。共和国広場からディオクレティアヌス浴場を見て、「SPQR」のマンホールなどを見た。ああああああ、あまりにもたくさん見過ぎたから、参った。だから拙ブログに記録しているんだけど、忘れてしまったらもったいないので。

わはははっははっはははっははは。

ローマに別れを告げて、ナポリへバス移動。

ホテルは、「ホリディインナポリ」であった。夕食は、ホテルでスパゲティの「ソレント風 ミートボール」と「フライドポテト」と「サラダ」、さらにセミ・フレッド。

 

盛りだくさんで疲れましたな。

でもかなり強行軍ではあったけど、いろんな物語と地名が一致してよかったですよん。ボキには。

ワインがうまかったから、古女房ドノには叱られてばかりいた。しょうがねぇジジイでございます。

おやすみ。

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成田空港スタート

2016年06月08日 07時47分55秒 | イタリア紀行2016年5月

成田空港内でそれぞれ違った周波数で立っているボキ達

 


5月30日(月)成田空港。

九十九里浜に住んでいるボキにとっては、お馴染みの空港である。しかも、成田市内にも勤務していたことがあるから地名もなにも全部理解している。さらに、飛行機の飛来してくるコースもわかっちゃっている。

だから、成田空港の第二ターミナルまで九十九里浜からバスで来たのである。料金300円。これはこれは。格安ツアーのお仲間達に、うらやましがられた。安くて。

お仲間達は、福岡から来たのもいらしたし、内科医で札幌から来たご夫婦もおられたからである。つまり、あまりにも空港から近いというやつである。多くは老夫婦(だろうと思うけど・・・正式な夫婦でない方もいるだろから)。周波数が違っている。みんなそれぞれの人生を送ってきたんだろうから。ボキ達もそうだけど。

添乗員からいろいろ指示をいただいて、ちょっと不安になった。あまりにも若い女性である。それに少女のように小さい。でもそんな不安は後で吹っ飛んだが。語学が実にすばらしいからである。後で知ったが、ロンドンに二年間留学したし、スペイン語とイタリア語が得意であったからである。

こういう語学の天才というのがおられるのである。受験英語ばかりやってきたボキには(それも身についていないってぇバカ)、これまでの体験がバカバカしくなっちまうのである。こういうツアーに行くと。

総勢27名。添乗員1名。人数制限があるのは、イタリア国内をVIPバスで移動するからである。つまりゆったりしたバス。そういう広告につられて申し込んだのだから仕方なし。

VIPバス


ボキ達老夫婦は、エコノミークラス症候群体験者であるボキのせいで、座席がプレミアム・エコノミー席。よって、イタリア・アリタリア航空のカウンターが別案内。

去年のカナダ行きのときはビジネスだったから慣れてはいたが、ちょっとお仲間達には申し訳なかった。ま、ビジネスだと航空会社によっては、別ラウンジで食事も取れるからゼータク極まりないのだが、プレミアム・エコノミー席ではそんなサービスもない。

それに所詮は、ジジババ夫婦の老年旅行である。うまいもん喰っても、ただひたすら身体に悪いだけである。

午後13時30分定刻どおりに成田空港を出た。アリタリア航空のAZ785便。

プレミアム・エコノミー席は、ちょっとだけ広い。Gymで教えていただいた座ったままできる運動を各種やりながら、過ごしていた。むろん食事もいろいろと喰っていた。

さらに、テレビも見ていた。ところが言葉がよくわからない。だから、日本映画を見た。篠原涼子の出ているサスペンス。これけっこう面白かった。「アンフェア the end」という作品。警察とか司法官僚の闇を暴くというストーリーである。はまった。荒唐無稽と言えば言えるが、こういうこともあり得るのだろうなぁと思いながら見ていた。

見終わってから、持参してきたKindleで本も読んだ。これって実にいい。重い本を持参する必要がない。しかもあの軽いKindleに数百冊は入っている。

最初に聖母マリアの巡礼の旅について書いてある本を読み始めた。これがあるからイタリアに行くつもりになったのである。だからボキにとってはバイブルのようなものである。

むろんバイブルも新旧で入っている。Kindleに。ついでに言えば、仏典も入っているのがボキらしいと言えば言える。信仰していないからであろう。ふざけたジジイである。

信仰が知的体験となっているんだから、救われないわけである。だからバカだと思うのである。宗教体験を、相対化している。比較対象の相手にしていたら、未来永劫信仰を獲得することはできないではないか。だからボキはバカだと思うのである。

しかもゴミ論文まであちこち書き散らしている。バカである。ゴミ論文書きすぎて(つまりじっとしていたから)、エコノミークラス症候群にまでなっちまって還暦過ぎてから入学した某大学大学院ドクターコースを完全中退してシマッタバカである。単位取得満期退学もさせていただけなかった学業劣等ジジイである。学費が完全に無駄になっちまったバカジジイである。

ああああああああああ、バカもここまでくると見事である。

わはははっはははははっはははは。


ローマのフィミチーノ空港に到着したのは、18時30分。予定より30分早くなった。さらに、日付変更があったから日にちがズレてしまう。一日早くなっちまった。

 

フィミチーノ空港


ボキは、海外旅行には二つの時計を持っていっている。現地時間用と、日本国内用の二つ。よって、両腕に二つ時計がある。早い話、計算ができないからである。これは便利である。なんでか。クスリを服用しなくてはならないからである。朝食後30分以内に呑まなくてはならないのであるが、きちんと時間を守らなくてはならないからである。日本国内時間である。これだけは守らないと、異国の地で死んじまう。エコノミークラス症候群というのは舐めちゃアカンのである。

VIPバスのドライバーのMr.ジョゼッペさんの運転でもってホテル「マリオット・ローマパーク」へ。

ホテル「マリオット・ローマパーク」



タノシミにしていたイタリア料理とワインをタノシミながら、ホテルでバタンキュー。

やれやれでしたよん。

おやすみなさい。

グーグーである。

 

 

 

 

 

 

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ボキのイタリア怪人紀行(奇行じゃありませんぜ)冒頭記録

2016年06月07日 08時15分52秒 | イタリア紀行2016年5月

イタリア怪人紀行のはじまり・はじまり

 

 

イタリアに負けていた。行く前から。

ボキは東洋人の特徴をしっかり身につけているから、所詮欧州文化には影響されていないと思っていた。つまりキリスト教文化から離反しているから安心して行くつもりであった。

しかし、行く前からどうにもこうにも通読7回したバイブルからの影響を考えざるを得なくなった体験があって、参った。つまり知的体験としてのバイブル体験を完全否定しなくてはならないということを、ちらちら考えていたからである。

バイブルというのを知的な体験としてしか考えられなかったボキが、宗教体験としてどうキリスト教文化を受け止めることができるかということを考えざるを得なくなったからである。それが浄土真宗の妙好人という人々のことを味わうことでもって、ボキのこころが変化してしまったからである。

簡単に言えば、「理屈じゃねぇ」ってことに気がついてしまったのである。

そもそもがアホである。ボキは。なんでも「ド素人」である。ゴミ論文を書いてあがいていた還暦過ぎた大学院博士課程の現役院生であったのだからアキレる。つまり、「無駄遣いの名手」である。恥ずかしながら。古女房ドノにさんざん叱られてしまった「バカジジイ」である。学位も取れねぇし、しかも論文書きすぎて病気にまでなっちまったバカである。だから、古女房ドノが怒るわけである。

そんなこんなで、今回はイタリアに行くことにした。むろん古女房ドノへの慰安旅行という意味合いもある。

さらに、オノレを見直す旅行でもある。罪滅ぼしの旅行である。しかも、カトリックの総本山バチカンも含んでいる。聖母マリア様もあちこちで見てくる。

語学は相変わらずできねぇから、添乗員付きの格安ツアーである。でも、エコノミー席は遠慮した。エコノミークラス症候群で大学院を中退したのであるから、飛行機の座席は怖い。去年カナダに行った時は、ビジネスクラスにした。これもエコノミークラス症候群で退院してから行ったので、怖かったからである。だから、イタリア行きの飛行機は、プレミアム・エコノミー席にした。飛行機の中で体操をするためである。

むろん古女房ドノの完全監視付きである。食い過ぎ、呑みすぎ、遊び過ぎにならんようにである。もっともアルコールは旅行に行く前に、東洋一の巨大病院のかかりつけのドクターに「一合くらいならいいですよ」と、許可をいただいてから旅行に出かけたのだから用意周到である。

しかし、これが裏目に出た。

やっぱり意志薄弱であった。つまり一合ですまなくなったからである。古女房ドノと何度も衝突してしまった。

イタリアは最近ワインがうまくなったからであった。しかもワインはキリストの血である。ありがたくいただいて・・・・と思っていたら、これが完全に裏目であった。

おいしくておいしくてたまらんかったからである。

ダメなジジイですなぁ。

今日から、イタリア紀行として拙ブログに記録をアップして行く。今回はスマホも買ったので記録は簡単であった。ま、使い方が相変わらずよくわかんなかったけど。デジカメは持って行ったが。

それにしても、聖母マリア様の参考文献をいつも旅行に持ち歩いているKindleにインストールして出かけたのは正解でありましたよん。

それでははじまりはじまり。

「イタリア怪人紀行」が。

わははっはははっははははっははは。

 

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イタリア旅行NO7ポンペイの遺跡②・ナポリ

2016年04月09日 21時11分54秒 | イタリア紀行2016年5月

イタリア旅行NO7ポンペイの遺跡②・ナポリ

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ローマ旅行1994-005 ポンペイ

2016年04月09日 21時09分41秒 | イタリア紀行2016年5月

ローマ旅行1994-005 ポンペイ

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ローマ旅行1994-005 ポンペイ

2016年04月09日 21時09分41秒 | イタリア紀行2016年5月

ローマ旅行1994-005 ポンペイ

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南イタリアの旅 22 「世界遺産 ポンペイ遺跡」

2016年04月09日 21時06分33秒 | イタリア紀行2016年5月

南イタリアの旅 22 「世界遺産 ポンペイ遺跡」

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南イタリア旅行ソレントからアマルフィーヘ

2016年04月08日 22時26分53秒 | イタリア紀行2016年5月

南イタリア旅行ソレントからアマルフィーヘ

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Torna a Sorrento (帰れソレントへ) / De Curtis / 日本語歌詞付

2016年04月08日 22時25分50秒 | イタリア紀行2016年5月

Torna a Sorrento (帰れソレントへ) / De Curtis / 日本語歌詞付

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南イタリア・ソレントにて~大海を臨み、ビーチも散策♪

2016年04月08日 22時25分08秒 | イタリア紀行2016年5月

南イタリア・ソレントにて~大海を臨み、ビーチも散策♪

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南イタリアの旅 19 「カプリ島散策」

2016年04月07日 17時48分51秒 | イタリア紀行2016年5月

南イタリアの旅 19 「カプリ島散策」

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南イタリアの旅 18 「青の洞門」

2016年04月07日 17時42分59秒 | イタリア紀行2016年5月

南イタリアの旅 18 「青の洞門」

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/