と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ろくなことの無かった2020だった。しかし明日からは新年である。一念発起だよ~~~~ん。一念発起は得意だから(^_^)

2020年12月31日 06時13分09秒 | とーま君の流儀2020
いよいよ大晦日である。いつもそうだが、特別の感慨がある。特に今年はコロナだった。まったくろくなことがなかった。じっと閉じこもっていたからである。実に珍しい一年になった。

旅行も行っていない。やれるわけない。飛行機が飛ばないからだ。歴史の会もズタズタにされた。文化講座と古文書講座をワレワレの会で主催しているが、まさに破壊された。バイトもいくつかトラブルを抱えてしまった。塾も生徒の通塾を禁止されてしまった。イノチの教育と称してやっていた少年院や中学校の講演も全部中止。文化財審議委員もやっているがエアコン事件で腰を骨折してから出席不能。それに、NPOで教育研修の講師をやっているが、こっちも出席不能だった。某文芸賞の審査員だけはやったが、発表会ができるかどうかが不安である。来年早々にあるからだ。今年入学した大学院はスクーリング中止。オンラインでの講義となってしまった。まったくろくなことがなかった。

しかし、明日からは一念発起。

すべてを捨てて新規まき直し。それしかない。いつまでも不安を引きずらないで新しくやり直すしかない。日本人というのは、そういう変化には対応していける。太平洋戦争から立ち直ったのもそれだ。変化に強いのである。

新年は安全第一で生きていくつもりなり。健康安全は自己管理ができれば可能である。快食快眠+快便である。とりわけ安全がもっとも重要である。腰を骨折してしみじみわかったのだ。安全が大事だってぇことが。不注意だからこうなる。舐めているのである。世の中を。なんだか、ジジイになってすべてをマスターしたような気になっているからである。まだまだなのである。ガキと一緒である。それこそ不動明王さまに叱られてしまうではないか。

正月に成田の新勝寺に行って、不動明王様に叱られてきますかな。もっともあれか、コロナで行けないのか。密になって。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

八方ふさがりか。

否、空は開いているか。


BYE-BYE!


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朝から雑感 暇なジジイですなぁ マイッタ

2020年12月30日 05時56分57秒 | とーま君の流儀2020
行政書士と学校経営ということをふと思った。なぜ行政書士が私立の学校経営に必要なのか。そういう観点からである。そしたら、いろいろあることを知った。なるほど、私立の学校ならありうる話だ。詳細は省くが、そういうことだ。

なぜそんなことを思ったかというと、ボキ、行政書士のライセンスを持っているからである。30歳になったばかりの時に、それこそ独学で受験した。そしたら偶然受かった。亡父が行政書士を持っていたから、そんなら受かるだろうと舐めていたからでもある。それに、世の中のことを知らないから、法律でも学んでみようと思ったからである。そしたら、まったく世の中はいろいろあらぁなであった。世の中は面白かったのである。相続然りである。もめる人が多いからである。知らないからもめるのである。

学校経営なんてぇことはボキには関係ない。定年で放り出されたからである。大学でも教えてみたが、これも放り出されてしまった。中途退学である(笑)。

まぁまぁ実に中途で放り出されることが多かったなぁ。博士になりたいと思ってしまった某大学大学院も3年で放り出されてしまったし。

その間、ブログだけは続けてきた。こりゃぁ、自分のためにやっていただけである。自分に語り掛けていたのだった。読む人のことは全く考えていない。宗教家でもあるまいし。したがって、自分のことはあまり書いていない。バイトだってなにをやっているのかも書いていない。なにしろ7つもやっているのだから、その都度書いていたら字数がオーバーしちゃう(笑)。

それにバイト先が嫌がる。当たり前である。組織のことは禁句。つきあっている女性のことをいちいちばらしている奴はアホであるから。あ、ボキにはそんな女性はいないから書きたくても書けない。


わはっはっはははっはっははっはははっははっははっははっはは。


今日は、次年度の履修科目のことを決めてみたい。まだ時間的には猶予がある。なにしろタノシイ大学院である。ここに入ってよかった。やってみたかったことだったからだ。高校時代に一番あこがれていた分野であったからである。インド哲学である。

すべては無常である。空であるとマジに思っていたのだった。18歳のボキがである。それで人生は狂ってしまったけど。おっと、その時からずっと異常だったのじゃよ。

来年もこれで生きるしかないだろうが。


(ToT)/~~~
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二年生に進級できそうだ ありがたいもんだ いろいろあった一年でしたなぁ

2020年12月29日 07時15分37秒 | とーま君の流儀2020
やっと予定していた単位がとれそうだ。進級可能らしい。学費を払わないと進級もできないがねぇ。しかし、苦労した。生涯学習も捨てたもんじゃない。いろいろ苦労もあったからだ。まず、コロナで断念したことも多々あった。なにしろ学校に行けないからだ。オンラインで授業も受けた。そして、弱点を知った。漢文原文が弱いということをである。なにしろ経典を原文で読むのである。これはこれは困った。読経の習慣がないからである。さらにある。それは腰を骨折したことだった。

油断だった。エアコンのフィルターを外し損ねて落下した。テレビ台の角に腰をぶつけてしまった。圧迫骨折。柔道四段で受け身ができるという思い込みもあっけなく消えてしまった。なんにもならないとはこのことである。もっとも今やっている生涯学習だってなんにもならないけどねぇ。

今年は、共著だが本も出せたし一応の満足をしていかなくちゃアカンですなぁ。さらに学校のカンリショク向けの挨拶集も出してもらえる。原稿の依頼があったからである。ありがたいもんだ。原稿料が入るからである。生涯学習に使わせてもらう。修士課程二年目の学費になる。二年目はそんなに履修しなくてもよい。修士論文を書かなくちゃならないからである。一度、この大学院は別の専攻で修了しているので、一科目だけ単位履修が認められている。だからありがたいのである。

年末である。男児の孫が二人年末にやってくる。スタンダード・トイ・プードルというワンコも一緒だ。ワンコは女の子。かわいいもんだ。全員。

内孫もやってくる。女児である。こっちもきわめてかわいい。

趣味みたいなことばかりやっていてどうしようもないジジイである。生涯学習とか自称しているが、趣味とかわらないではないかと家人には言われている。認めざるを得ない。

バイトだって、学費稼ぎのためにやっているのだから。先日人間ドックで知人に出くわしたが、あのときずいぶん自慢されてしまった。知人に。某大学で教えているからである。そんな話はボキには無関係である。能力もないし、世間を渡る智恵もないから。

来年はどうなるか。

ともかくコロナ退散を願うしかない。だって、海外旅行に行けないではないか。


BYE-BYE!
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独学大全という本を買った それを読んでいた 所詮独学が基本だけど なんでも

2020年12月28日 06時43分09秒 | とーま君の流儀2020
独学大全という本を読了した。珍しく新刊で買った。売れていると聞いていたから。3000円もした。と言っても拾い読みだった。かなり分厚いからだ。これは最初から詳細読みをしたらかなり時間がかかる。時間どころか、読み切れない。途中でなげだしてしまうことが予想された。拾い読みでけっこう・毛だらけである。

非常に参考になった。具体的な手法が書かれているわけではない。じゃ、なぜ参考になったのかというと、生涯学習に役立つからであった。考え方がである。生涯学習というのは、独学であるからだ。師匠が直接教えてくださる訳ではナイからだ。メールとかオンデマンドが多いからだ。もっとも、オンデマンドも10年前なら考えられない教え方であろう。通学型もインターネット経由になっているらしいから。

コロナがまた復活してきている。心配している。学校のことである。将来ある子どもたちがどうなるのかということである。対面型なら相手の反応を見ながらできるが、独学ではなかなか困難であるからだ。しかし、独学が一番勉強になるけどねぇ。基本は自分でやるしかないからだ。いくら教えてもらっても、自分に学ぶ意欲がなければマスターはできない。

50年近くガッコに関わって生きてきたが、こんなことは初めてであるからだ。とりあえず来春の入試がどうなるのかである。とんでもないことが起きないと良いと思っているが。高校入試も大学入試もである。

心配していたらキリがないけど。

しかし、こういう時期だからこそチャンスがあるかもしれない。行きたい学校が定員割れをしてしまったり、志願者が他所に流れるという可能性もある。

入学式を9月に移行するプランも出ていた。今年の前半であった。こうなるとそのプランはやらなくて良かったと思う。やっても無駄だった。学校もまたこれから閉鎖になる可能性があるだろうから。

それにしても政治家はたいへんなのだなぁと思う。ボキ等庶民は、政治のおかげで生きてられるからだ。どっかでそのお返しをしてみたい。現金はないから、献金もできないけど。


BYE-BYE!
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Sophie Fatu 5yo singer FULL PERFORMANCE New York New York America's Got Talent 2018 Judge Cuts 2 AGT

2020年12月27日 19時43分13秒 | とーま君の流儀2020
Sophie Fatu 5yo singer FULL PERFORMANCE New York New York America's Got Talent 2018 Judge Cuts 2 AGT
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【和訳】亡き友人に捧げる一曲、サイモンも涙したジョシュ・ダニエルの予選 | The X Factor 2015

2020年12月27日 19時19分44秒 | とーま君の流儀2020
【和訳】亡き友人に捧げる一曲、サイモンも涙したジョシュ・ダニエルの予選 | The X Factor 2015
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マイウエイ・・・人生折り返し点に来たらこの歌を時々は

2020年12月27日 09時11分29秒 | とーま君の流儀2020
5歳の女の子が歌っていたYoutubeを昨日拙ブログで紹介した。マイウエイである。なかなか泣かせる。今朝も聞いていた。かわゆい女児が、まるで天使のように歌っていた。サイモンさんが、90歳くらいの人が人生を振り返って歌う大好きな歌であると言っていた。なるほどである。昨日の記事で見ていただきたいが、これを5歳の愛くるしい女児が歌っているのである。

ボキにも3歳の女児の孫がいるから重なって見える。そういう年齢になっちまったということである。

そして、タイトルにも書いたが、人生の折り返し点にきたら、マイウエイ的世界観を味わうべきであろう。でも、ボキはもう人生の折り返し点を過ぎてしまった。夕日が沈んでいく日々を待っているだけである。

それに、昨日紹介したマイウエイは、翻訳が見事である。人生の終盤に来て、悔いはないというような翻訳をしていたからだ。わたしの生き方に迷いがない。すばらしいことである。歌が、伝えることはたくさんあるからだが。それを5歳の女児が歌うのである。ううううう・・・。たまらん。泣きっぱなしだよん。

マイウエイだけではない。日本の芸能もまた捨てたもんじゃない。しみじみとした情感が味わえる歌もたくさんある。そうやってワレワレ庶民は生きてきたのである。夢も希望もないご時世であった。最悪の2020年であった。コロナで苦しめられてしまった。新年会もできない。来月、居住地の歴史の会の新年会も欠席した。コロナである。

唯一のタノシミ、趣味である海外旅行も今年はどこにも行けなかった。中国敦煌にも行ってみたかった。そのために中国語講座にも通ったのだった。まったくものにならなかったが。

なにしろ飛行機が飛ばないのだから。九十九里浜の上を飛ぶ回数がめっきり減ったから、JALとかANAが景気が悪くなってきたというのは、実感としてわかる。

コロナがいなくなったら、真っ先に敦煌に行きたい。なぜなら、二回目の修士論文のテーマであるから。敦煌に吹く風はどうなっているのだろうと、夢見る毎日である。

大学学部を卒業してからずっとこんな夢を見ているだけである。


それが愚かなボキの「マイウエイ」なのだから。


BYE-BYE!
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①「どうしよう たくさんいる」5歳のソフィに会場がメロメロ | AGT 2018

2020年12月26日 16時34分25秒 | とーま君の流儀2020
①「どうしよう たくさんいる」5歳のソフィに会場がメロメロ | AGT 2018
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あえて苦難の道を選んでいこうと今でも思っているから(^_^)

2020年12月26日 09時33分55秒 | とーま君の流儀2020
難行苦行とたやすい道のどちらかを選べば良いかとなったら、ボキもたやすい道を選んじまう。近道もそうだ。できるだけ距離の短い道を選んでしまう。それが凡人の多くの生き方であろう。

しかし、宝は苦難に満ちている道の方にある。これは経験上間違いなかった。

間違った道を歩んできたというのはない。法に違反した道は避けて通ってきた。でないと喰っていけないからだった。しかし、苦しい道の中にはおおいに宝があった。

新聞配達して大学を出られたから、今のボキがあるのじゃ。後に大学教授になった親友は、朝刊配達に出かけるボキの姿に泪を禁じ得なかったと書いてきたっけ。そんなにまでして行く大学じゃねぇだろうと言われてしまった。そりゃそうだ。Fラン大学だったし、将来の見込みはまったくなかったからである。

それでもセンコーになった。教育実習ができなくて、免許が取れなかったけど。バイトばかりやっていたからである。

なぜ、このアホのボキに亡父亡母がゼニを出してくれなかったのかと思うと、今になってわかるような気がする。亡父亡母は、ボキが苦学してまで卒業した大学を大学と認めていなかたからである。そりゃそうだ。亡母は、師範学校卒だったからだ。一応国立ではないか。

苦難の道は、高校卒業から始まってしまった。

選択の余地はない。受験料すら払えなかったからだ。もうこの大学に行くしかなかった。朝刊配達、集金、夕刊配達。これしかなかった。難行だった。

でも、よかったと思っている。あえて苦難の道を選んだからである。

ま、それで性格がねじ曲がってしまったけどねぇ。

楽隠居だけはしないで、死のうと思っている。それがダメジジイの生き方にふさわしい。それしかできなかったのだからな。

BYE-BYE!
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【酒・ビール】冴えないおっさんの休日80【名古屋】

2020年12月25日 23時11分32秒 | とーま君の流儀2020
【酒・ビール】冴えないおっさんの休日80【名古屋】
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年賀状を作らなきゃねぇ (^_^)

2020年12月25日 05時45分31秒 | とーま君の流儀2020
年賀状なるものがなぜあるのかという疑問を持ってずいぶん久しい。知人で、もうこれからは出さないでほしいという御仁もいる。ずいぶんなことである。そんな程度のことだったんだとがっかりである。ボキもそんな程度の人間だったのかと思うからである。

しかし、内観をやってからちょいと変化した。ボキの心境がである。報恩の心境に至ったからである。お世話になったから、年に一度くらいはご挨拶をしようという程度なのである。こういう心境を切る、人間関係も不要であるとするならばなんともサミシイ人生ではないか。安価で申し訳ないくらいの日頃のご無沙汰をお詫びする行事だからである。だから、決まり切った文言で終わりではむしろ出さない方がいい。決まり切った文言どころか「謹賀新年」だけしか書いていない年賀状をもらったこともあった。これはずいぶんな年賀状である。宛名も印刷、裏は「謹賀新年」だけ。ワラッチまったなぁ。面倒くさくてやっとパソコンで印刷した気分がありありであるからだ。

せめて近況報告くらいは欲しいもんである。それもやらないのなら、年賀状どころか、人間関係も切り捨てればよいではないか。マジにそう思うからである。そもそもボキは周囲の人たち全員が他人であるからだ。

仕事でお世話になった方しか関わりはない。そういう方たちに出すだけである。

それだけの話でしかない。感謝しているからありがとうございましたとやるだけで他に意図はない。

気にしていないのならば、それでも良し。その程度のつながりでしかなかったのだから。

積極的にこっちから切る必要もないからなぁ。


今日中に、午前中に印刷完了をするつもりなり。

ちょっと凝った年賀状になるけどねぇ。

これもまた趣味だし、7つもアルバイトやっていると書くべきことはいくらでもあるから。

(^_^)

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ボキと自称しているのもそうだ。どんなにアホで、つまらん人間かということを宣言しているだけ

2020年12月24日 06時10分40秒 | とーま君の流儀2020
昨日の人間ドックではおおむね結果オーライ。血圧がちょっと高かった。なぜなら血圧の薬を飲んで行かなかったからだ。ドクターにそのことを言ったら、飲んできてかまわないということだった。ま、あまり気にしないこってすよ。それと体重。腰を骨折したから増えた。腰回りもそうだ。アカン。

しかし、気にしないことがもっとも重要であろう。ノイローゼになるほど、病気のことを気にしていたらますます良くない。快便快調、よく眠れていればそれで良し。どうせ全員死ぬのだから。今、生きているこの時期を時間を大切に生きていけば良いだけだから。

なにかを気にするというのは、現在の心境が反対側にあるからだ。大学の評価とかが、低ければ気になるというのはそれはまともなことであって、あまりも気にしていじけているのはオレは優秀だという自己認識があるからである。ボキは低評価であっても気にしない。なぜなら、これまでがあまりにもアホな生き方しかやってこなかったからである。

承認して欲しいからという欲求は捨てたいものである。学者様や研究者ではないのだから。まともに生きていればそれだけで結構である。

つまり威張っちゃいけないということなのである。所詮、たいした人物でもないのに、偉そうにふんぞり返っていたらわらわれっちまうではないか。それより、オノレがなんというアホで、庶民で、つまらない器であると自己認識をしていた方が安全に生きられる。

ところが、ボキのことを現役時代に***長をやっていたから威張っているのだろうと思っている輩が多い。謙虚なことを言うとウソだろうとのたもうのだ。これこそ笑ってしまうのである。ホントに、ボキは謙虚な人間なのである。ボキと自称しているのもそうだ。どんなにアホで、つまらん人間かということを宣言しているだけなのである。

悪行三昧だったしなぁ。

昨日行った大病院でもドクターのことをセンセ、センセという。これまたそれが常識だからやっているだけなのだろう。マスターした医学の知識に対する尊敬の気持ちもあるだろう。

人間ドックの最中に知人に出会った。目的は一緒だった。相変わらず、今なにをしているのかと聞かれた。バイト中ですよんと答えてやり過ごした。信じられないと言われた。もういいではないか。現役の仕事ニンではないのだから。そんなことより、コロナがおさまってほしい。海外旅行に行けないからだ。

今日はバイトの塾がある。タノシミである。



BYE-BYE!
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自分のために「介護」を知りたいと一昨日マジにそう思った。これから人間ドックに行くので。

2020年12月23日 05時54分14秒 | とーま君の流儀2020
今日はこれから人間ドックに行ってくる。今年は日帰りである。費用が安いからだ。これまでは二日間コースで近くのホテルに泊まっていたが、もったいないということになった。二日目がさほど診察していただくものがないからだ。それに昼には終わってしまう。さらにある。泊まっている日の夜は、ホテルで飲酒をしてしまうからだ(^_^)。こういうのを無駄というのじゃよ。

ここ十年ほどは異常なしできた。ありがたいものである。それなりに人間ドックの後に具合が悪くなってきたけど。膝も痛めた。一年くらい通院していた。それでもなんでも腰を骨折してしまったのが、ショックだった。今年の8月である。バイトが風前の灯火になっちまった。営業だからクルマでお得意様に行かなくちゃならない。

五年契約だから、あと三年じっと我慢しなくちゃアカンだろう。でも腰が・・・不安だった。この冬を乗り切ったら、契約満了までできるかも知れない。バイトだから次の出勤は来年の六日になる。これもまた良し。人間と会うからである。それがバイトの内容であるから。

三年後が問題だ。もうバイトがないだろうから。いい加減ノンビリしていればいいじゃないかと言われるかも知れないが、まだまだ働きたいのである。ノンビリしていたら、老ける。精神的にである。健康ならばそれを防止することも可能である。なぜか。本を買いたいからである。新しい分野で知らないことが多すぎるからだ。常識もない。よくまぁ、こんなんでジジイになるまで生きてきたもんだと(_ _ )/ハンセイしているからだ。

専門だと自称してきた分野でもまだまだ実力がない。昨日、ヤフオクで買った「字訓」という辞書がきたが(中古本で3000円という破格の値段)、これを見ていたら恥ずかしくなった。知らないことが多すぎる。こんなんで塾だのどっかのガッコだのと偉そうに授業ができるもんじゃよ。

それよりなにより介護の知識もない。一昨日来られた福祉大学の学長先生にお会いしてしみじみ思った。「自分のために介護を勉強」してみるのも、また一興であるからだ。

さ、出かけて来ましょう!結果オーライを願いながら。

家にじっとしているよりは良いと思っているからだ。それに、家にじっとしていると不善をなす。デタラメであるからだ。生活を立て直すこっちゃよ。


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田原総一朗氏の「90歳まで働く」と言う本がAmazonから来た。ボキは、100歳まで働こうか!

2020年12月22日 07時01分47秒 | とーま君の流儀2020
昨日営業先からバイトのある場所に帰ってきた。年末事務処理があったからだ。そしたら某大学の学長(実際は創業者)が来ていた。お見えになるのは知っていたが、実際に本人にお目にかかるというのは初めてであった。お帰りになるところだった。大型車で。

名刺をわたされた。ボキの方から差し上げるべきだったが、迫力に圧倒されていたのだ。ボキの貧相な名刺はお渡ししたが。

経営者というのは、迫力がある。学者や研究者レベルとは違うものがある。ボキも最後はガッコの経営者だったが、こんなもんじゃない。レベルが違う。社会的な評価も違う。一定の組織を造り、運営していくというのは、異種なる人間でしかできないからだ。そういう意味で尊敬に値すると思っているのである。

職人レベルの人間が学者や研究者であろう。専門分野に閉じこもっている御仁も散見するからである。もっともそれなりのレベルに達するには、それこそ血のにじむような努力をされたから学者や研究者と呼ばれるのであろうから。ボキにはとうてい出来ない相談である。

しかし、大学の経営者となると違う。人間の度量がちがう。器の問題である。学者や研究者もボキの住む俗世間とは違っている世界にいる。とてもじゃないが、ボキはそんな世界にはいられない。あたりめぇだ。能力が違っているからだ。

迫力も違う。

バイトを7つもやっているといろんな人間に会う。それが一番勉強になる。異分野の方々との出会いもある。刺激になる。惚けてらんないぜ!と感じるからだ。

世の中を捨ててイジイジと生きる手もあろうが、まだまだボキはくたばりたくない。マジにそう思う。親鸞のようにあの時代に90過ぎまで生きて、猛烈な著作力を看板に生きていきたいもんじゃよ。

ボキはまだまだくたばらないようだから。それでいいのだ。

そしたら、昨日田原総一朗氏の「90歳まで働く」と言う本がAmazonから来た。注文したのはボキだが、我が意を得たりである。

さ、これから読もう!




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サムイけどバイトはあるから、行くしかない(^_^)

2020年12月21日 05時57分43秒 | とーま君の流儀2020
サムイですなぁ。しかし、バイトはある。行くしかない。もっともあれだ。クルマだから、新聞配達して学部に行っていたような苦労はない。あったかいクルマだからだ。ハンドルまであっためてくれているから、実にありがたい。シートもあったかいのだ。こんなクルマが安価でできるのだから、世も末じゃ。

わはっははっははっははっははっははっはっははは。

気をつけて行こう。事故ったら話にならんからだ。それに周囲に迷惑をかける。これはアカン。

昼飯はなににしようか。タノシミである。ランチサービスが充実しているところで喰ってくる。ワンコインで喰えるところが良い。なかなかないけど。それに量も要らないし。運転して人に会っているだけだから、食い過ぎは良くないから。

今朝はこれくらいにしよう。

もう時間ですから。


BYE-BYE!


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/