徳川時代は、岐阜長良川でとれた鮎は鮨にして笠松町を通り、東海道に出て、江戸城に献上されていました。天保3年が最古の記録。ここ10年くらい前から、それを再現するイベントが行われています。隣町のことですから一度は見ておこうと、スタッフのHさんから誘われたこともあり、出かけました。小中学生21人が当時の服装で鮎鮨に見立てたものを天秤に担いで運びます。途中高嶋商店の前で、引き渡しの文書が手渡されます。小中学生は希望者。鮎鮨街道は、岐阜街道、もしくは名古屋街道と言われていました。
2年くらい前までは、岐阜市から歩いていたようですが、最近は笠松町内から旧笠松湊まで。昨日は朝から雨。予定通り実施されるか分からず、半信半疑で出かけると、歩行少し前から間は雨は止み、終わるころまた降り始めました。天候も味方をしていました。江戸時代は60kgもある鮎鮨を5日で江戸まで届けられたようです。しかも年10回も。予定より遅れると家老に叱られたようです。かなり早いスピードで運ばないと間に合いません。一宮で交代の後、各宿場で交代。江戸まで運ばれました。今も鮎は献上されていますが、宮内庁あて。
当時は発酵された鮨で今とは違います。参加メンバーには鮎鮨と鮎雑炊がふるまわれ、美味しく頂きました。ボールペンも・・・
笠松は、江戸時代には全国4カ所しかなかった幕府直轄領。郡代陣屋がおかれていました。明治政府発祥とともになくなったのですが、美濃の一部が笠松県になったとき、陣屋後に笠松県庁がありました。明治6年に岐阜県庁に移るまでの短期間ではありましたが・・・
先頭は中学生
商店前で引き渡し文書を朗読
旧笠松湊近くで
ゴール近くで
鮎雑炊
参加賞 マスコットキャラクターのかさまるくんたち
まったく知りませんでした。
昔の、発酵した鮎寿司というのは
鮒寿司のようなものでしょうか。
私は、あれは苦手です。
独特の味と匂いですよね。
昔を偲ぶイベントらしく衣装も当時のままというのが
興味深いことですね。
発酵した鮎の鮨はどのような味わいなのでしょう。
日本酒に合いそうな・・・そんな気がしますけどね。
町おこしです。
そうです、琵琶湖の鮒鮨と同じです。
あまり美味しいとはいえないですが、
当時の味を偲びました。
あの当時は5日もたせるのにその
方法しかなかったのです。
みんなほんの一口ずつ味わいました。
試食という感じです。
雑炊は美味しかったのですが・・・
あまり知られていません。
長い江戸までの道中のほんの一部分
ですからこ街道はローカルなものです。
はっきり言ってあまり美味しくありません。
発酵してして酸味が強いです。でも好き好き
ですから、お酒には合うかもしれないです。
料亭が作りましたからそれなりの味です。
初めて聞きました。
鮎寿司は鮒寿司と同じような感じの味でしたか。
行列が昔を偲ばせます。
江戸まで運ぶのは大変だったのですね。
少しずつ広まれはよいと考えます。
町長や教育長の挨拶もありこれからも
続けられると思います。
有志の方が始められました。
ロータリーの人の協力も大きいです。
あの当時の鮨は発酵食品ですから今と
全く違います。酸味が強かったです。
独特の風味でした。
何しろ新幹線2時間の距離を駆け足で
運ぶのですから、大変なことでした。
皆様、鯖街道は有名と・・・
先日小浜の旅に説明を頂き、その名残を散策して参りました
そうなんです。鯖街道はよく知られていますが、これは
まだまだです。
まあ、小浜に行かれたのですか。
私はもう30年も行っていません。