つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

世界最高峰で指揮した日本人

2024-05-16 | Weblog
田母神氏のメルマガより

日本のオーケストラの父”と
呼ばれる人物を知っていますか?

今からちょうど100年前。

日本にプロのオーケストラ
さえなかった時代に、
単身でヨーロッパに乗り込み、

わずか25歳の若さで
ベルリン・フィルの
多くの白人の楽員を前に

指揮棒を振るっていた
日本人がいたのです。

ベルリン・フィルといえば、
世界三大オーケストラに
数えられる音楽界の最高峰…

これは、東洋人初の
快挙であったばかりか、

日本のオーケストラ史を
切り開いた出来事でした。


その人の名は、近衛秀麿。

戦前に3度にわたって
内閣総理大臣を務めた
近衛文麿の実弟です。
日本に帰国した秀麿は、
日本初のプロ・オーケストラ
『新交響楽団』を結成。

これが『NHK交響楽団』の
前身となりました。

まさに、日本の
音楽界の父とも言える
そんな人物ですが、

彼が残した偉業は
これだけではありません…

実は、この近衛秀麿には
「戦火のマエストロ」との
異名が存在していたのです。

では、そう呼ばれる所以となった
彼の知られざる偉業とは、

一体どんなものだったのでしょうか?
>近衛文麿の弟の知られざる活躍
実は、この近衛秀麿は
ナチス・ドイツが台頭する
ヨーロッパにおいて、

「近衛オーケストラ」という
私設楽団を結成しています。

そして、“演奏活動”という名目で、
フランスやベルギーなどの
各国を行き来しながら、

当時の同盟国であるドイツにも
日本政府にも隠れて、密かに
“ある活動”を行っていたのです。

そして、この命がけの活動により、
ナチス占領下の欧州で
たくさんの命が救われたと言います。

さらに、この活動は同時に
日本の音楽の水準を
飛躍的に向上させることにも
繋がったというのですが…

写真は娘からもらった母の日のプレゼント


コメント (2)
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