夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

二種類の死と二種類の地獄

2015年11月26日 22時27分02秒 | 日記
聖書を読んでいるとどうやら死にも二種類の死があり地獄にも二種類あるようだ。天にも色々あるのかも知れないがそれについては余り見当たらない。

私の理解は次のようである。
『神、光あれと言いたまいければ光ありき』で、『光在れ』と言っているのは『念、想念、つまり波動』で人間の五感に映じない、故に『天』と称される世界でのこと。光『在りき』はその念が『現象化した世界』、人間の五感に映じる世界、つまり地上世界。

 第一の死に遭遇すると『ハデス』と言う処に行く。例えて言うと・・・人間社会では様々な文書や帳票などを扱う、それが使われている間は机の上、常時使用のメモリ上にある。用が済むとファイルや倉庫に保管される、捨ててはいけない、決算時に必要なものである。人間も現象界で用事のある間は現象界、つまり人間世界に居る。しかし用事が終わったら現象化を止める、止めて天、つまり見えない実態界に退く。これが第一の死であり実態界に退いた状態をハデスと言う。

 人類社会の決算の時が迫っている。その時、ハデスに居る人々はみなファイル、つまりハデスから引き出されて改めて検閲精査される。これが所謂最後の審判、閻魔庁出頭である。ここで不良事案、不良取引とされた記録は廃棄焼却される。これが第二の死であり、その焼却処分をゲヘナ送りと言うことになる。面白いのはこの時第一の死、ハデスもまた不要物として焼却される。

従って人類社会総決算の後に現象界に居残った人々に第一の死は訪れない、無論第二の死もない。

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