「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

死んだらどうなるか自分で決める Long Good-bye 2023・05・06

2023-05-06 05:06:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、橋爪大三郎著「 死の講義 」の一節 。

  「 神々を祀る神道と 、真理を覚る仏教 。そもそも互いに
   なんの関係もなく 、互いに違和感としこりのある関係だ 。
   それが平安時代も後半になると 、歩み寄りが始まった 。
    唱えられたのが 、本地垂迹 ( ほんじすいじゃく ) 説である 。
   インド ( 本地 ) から仏や菩薩がおおぜい 、日本にやっ
   てきて ( 垂迹 ) 降り立ち 、神々となった 。だから実
   体は同じものだ 、という 。仏・イコール・神である 。
   仏典のどこをさがしても 、そんなことは書いてない 。
   なんの証拠もない 。だから『 説 』なのだが 、当時
   そう思いたい人びとが多かったらしく 、それでいい
   ことになってしまった 。 」

  「 仏と神を区別するのをやめ 、同じものだと考えるよう
   になることを 、神仏習合という 。」

  「 仏と神という 、大変性質の異なったものを同一だと考
   えると 、仏教が変質する 。通常の仏教で成り立たない
   命題が成り立つようになる 。そして神道が変質する 。
   通常の神道で成り立たない命題が成り立つようになる 。
    死についてもそうである 。たとえば 、日本人は 、
   『 人間は死ぬと仏になる 』と思っているひとが多い 。
   インドや中国でこういうことを言うと 、笑われる 。
   仏教からは絶対 、この命題は出てこない 。真理を覚
   れば仏になるので 、それ以外の道はない 。人間の生
   き死にと覚りとは 、直接の関係がない

    なぜこういうことになるのか 。もともと 、人間は
   死んだら神になる ( こともある ) 、と日本人は考え
   ていたのだろう 。そこに 、神=仏を代入してみる 。
   すると 、『 人間は死ぬと仏になる 』になるのである 。」

  「 『 人間は死ぬと仏になる 』は 、仏教の正しい考え
   方ではない
。 」

  「 念仏宗は 、死後に極楽往生することを願う 。念仏宗
   の信仰は 、この命題 ( 人間は死ぬと仏になる ) とぴ
   ったり合っているような気もしてきたりする 。 」

   ( 出典:橋爪大三郎著 「 死の講義 - 死んだらどうなるか 、
        自分で決めなさい - 」ダイヤモンド社刊 所収 )

   この本の まえがき には 、こんなことも書かれていました。

   「 死んだらどうなるのか 、死んでみるまでわからない 。それなら 、
    死んだらどうなるのかは 、自分が自由に決めてよいのです 。宗教
    の数だけ 、人びとの考え方の数だけ 、死んだらどうなるのか 、の
    答えがあります 。そのどれにも 、大事な生き方が詰まっています 。
    人生の知恵がこめられています 。それは 、これまでを生きた人びと
    から 、いまを生きる人びとへのプレゼントです 。これより大きなプ
    レゼントがあるでしょうか
。 」

  
   世の中 、〇〇一辺倒でないことは 、ありがたいことです 。
   経験上 、 〇〇一辺倒でよかった例 ( ためし ) がありません 。



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