「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ロダンの言葉 2019・02・19

2019-02-19 06:20:00 | Weblog

                  


                          




  今日の「お気に入り」は、「 ロダンの言葉 」( 高村光太郎訳 )。


   「 人は仕事する時にはいつでも迷うものです。

    決して自分がどこを歩いているか確かに解るものじゃありません。

    進歩は実に遅く、実に不確かなものです。

    やがて、だしぬけに、それが啓かれます。

    人は前へ出ます。

    けれども暗中模索の幾年かの後の事です。

    ただ、疾く行きつこうと思ったり、自分を虐待すると、自分を死に追い込むことになります。

    石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりません。

    そして到達点を人間の忍耐力にとって余り遠すぎると考えてはなりません。

    年取ってからでなければそこへ行けません。

    若い時に、青春の元気をいっぱいに持っている時に、それを考えるのはつらいものです。 」



                           



    インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア( Wikipedia )」には、

   ロダンさんや高村光太郎さん、そして光太郎さんの父光雲さんのことが、次のように解説されています。

 


   「 フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(フランス語: François-Auguste-René Rodin、

   1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、

   『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。

    ( 後略 )」



   「 高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、

    日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。

    東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。

    本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。

    日本を代表する彫刻家であり、画家でもあったが、今日にあって『道程』、

    『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、

    日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。

    著作には評論や随筆、短歌もある。能書家としても知られる。

    弟は鋳金家(ちゅうきんか)の高村豊周。

    甥は写真家の高村規で、父である高村光雲等の作品鑑定も多くしている。

    ( 後略 ) 」


   「 高村 光雲(たかむら こううん、1852年3月8日(嘉永5年2月18日)

    - 1934年(昭和9年)10月10日)は、日本の仏師、彫刻家。

    幼名は光蔵。高村光太郎は長男、高村豊周は三男。

    写真家の高村規(ただし)は孫(豊周の息子)。

    ( 後略 ) 」







                  


                      



                                      


                        


                 

             
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杉野は何処 2019・02・01

2019-02-01 05:35:00 | Weblog


                    


   


   今日の「お気に入り」は、時折り、脳の奥底からよみがえり、口ずさむ歌。

     覚えているのは、太字の部分のフレーズのみ、他は朧朧(おぼろおぼろ) ・・・ 。



    「1 轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。

       荒波洗ふ デッキの上に、

       闇を貫く 中佐の叫び。

       『杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや』

     2 船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、

       呼べど答へず、さがせど見へず

       船は次第に 波間に沈み、

       敵弾いよいよあたりに繁し。

     3 今はとボートに 移れる中佐、

       飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、

       旅順港外 恨みぞ深き、

       軍神廣瀬と その名残れど

     


    「 1 俺ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす
      


      最初の歌は、1912年(明治45年)『尋常小学唱歌 第四学年用』に初めて出たという文部省唱歌

     『廣瀬中佐』
(作詞作曲不詳)。幼い頃、1909年(明治42年)生まれの母が歌ってくれたのを、

     耳から覚えたのだと思います。三番まである歌詞のところどころ、断片的に、前後の脈絡なく、覚えています。

      因みに、廣瀬武夫さんは、1904年(明治37年)3月27日、日露戦争開戦の年に、清国の旅順港外で、

     同港閉塞作戦に従事中、満35歳で亡くなりました。


      二番目の曲は、『喜びも悲しみも幾歳月』(作詞・作曲:木下忠司)。4番まである歌詞のうち、覚えているの

     は1番だけ。


      この二曲、海つながり。私の頭のなかはどうなってるんでしょう?




                          

                          
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