「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

第14回俳画松樹会合同作品展開催 5月10日~14日 2019・04・27

2019-04-27 05:11:00 | Weblog


                 






                        


   今日の「お気に入り」は、俳画家 鶴見松渕(1919-1999)が描いた四季の俳画。

   

    


    

   


   


  




   5月10日(金)から14日(火)までの間、大船にある鎌倉芸術館で、第14回 俳画松樹会合同作品展が開催される

  のを機に、2018年4月17日付けの記事を再掲します。



「 今日の『お気に入り』は、俳画家 鶴見松渕(1919-1999)が描いた俳画をいくつか。


    


      


    







   日貿出版社刊「鶴見松渕俳画集」他によれば、俳画家 鶴見松渕(本名 鶴見久司)は1919年(大正8年)7月24日

  長野県松本市の生まれ。

  松商学園(旧松本商業)卒業。

  1946年(昭和21年)ミンダナオから復員後半年休養、その後横浜の貿易会社に入社。

  1950年(昭和25年)東京銀座3丁目に㈱鶴見商店設立(食品卸問屋)、その後㈱キンツルと改名。

  復員当時より松本在住の画家赤木奇峰(俳号雨川)に10年間師事。

  1973年(昭和48年)「俳画松樹会」を設立。

  1999年4月27日、長野県大町市にて客死。

  俳画関係の著書には、上記の「鶴見松渕俳画集」、「俳画独習書」、「二十年俳画松樹会の歩み」などがあり、

  ミンダナオから復員後、元砲兵第一中隊長・元陸軍大尉 鶴見久司として著した「南十字星に祈る」がある。」





                                          


                                     



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2019・04・19

2019-04-19 05:05:00 | Weblog


( ノートルダム )


    


   今日の「お気に入り」。


   「 私は『才能』は天賦のものだと思っている。それなら千人に一人でオリンピックの選

    手を見れば分る。たいてい十代の青少年で、ハタチそこそこでなん百年という過去を自

    分のものにしてなお新しい記録を出している。十代で体力が絶頂なら、知力もまたそう

    である。才能は天賦だというと絶望するものがあるから、才能は根気だとか努力だとか

    いって慰めるのである。 」

     ( 山本夏彦著 「世はいかさま」新潮社刊 所収 )


          
              〈 ノートルダム大聖堂 〉


            
   「 昔は学問は哲学のなかに全部含まれ、ほかになかったのに、そのなかから算術と科学

    が出ていって以来哲学は振わなくなった。けれども本当は今でも哲学は『学問のなかの

    学問』なのである。人は何のために生きるかという根本的な問いに医学はうるさがって

    答えない。
してみれば哲学の領域はまだ無限なのである。」

      ( 山本夏彦著 「最後のひと」 文春文庫 所収 )  


    





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デンデンムシノカナシミ 2019・04・04

2019-04-04 05:50:00 | Weblog



                                 






  今日の「お気に入り」は、新見南吉さん(1913-1943)の「でんでんむしのかなしみ」。


   「 イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。

    アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。

    『ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ

    ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ』

    コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。

    デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。

    『ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン』

    ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。

    『ナンデスカ』

    ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。

    『ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ

    ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス』

    ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。

    スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。

    『アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。』

    ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、ハジメノ デンデンムシハ、ベツノ オトモダチノ

    トコロヘ イキマシタ。

    スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。

    『アナタバカリヂヤ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス』

    ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。

    カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、ドノ トモダチモ 

    オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。

    トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。

    『カナシミハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。ワタシバカリデハ ナイノダ。ワタシハ

    ワタシノ カナシミヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ』

    ソシテ、コノ デンデンムシハ モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。」





   「 一ぴきの でんでんむしが ありました。

    ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。

    『わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの 

    なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。』

    この かなしみは、どう したら よいでしょう。

    でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。

    『わたしは もう、いきて いられません。』

    と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。

    『なんですか。』

    と、おともだちの でんでんむしは ききました。

    『わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの

    なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。』

    と、はじめの でんでんむしが、はなしました。

    すると、おともだちの でんでんむしは いいました。

    『あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。』

    それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの

    ところへ いきました。

    すると、その おともだちも いいました。

    『あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。』

    そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。

    こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、

    おなじ ことを いうので ありました。

    とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

    『かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの

    かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。』

    そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。 」

            ( 新美南吉著 「新美南吉全集・116作品⇒1冊」所収 )
       




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手ぶくろを買いに 2019・04・03

2019-04-03 06:50:00 | Weblog






            

          

   今日の「お気に入り」。


     「 お母さん狐は、・・・ 『ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。』

      とつぶやきました。 」


                ( 新美南吉著 「手ぶくろを買いに」偕成社刊 所収 )




    インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」には、新美南吉さんのことが次のように解説されています。
 
    「 新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。

     本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作

     『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。

      結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も

     残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力を

     した。」





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午前宅診午後往診 2019・04・01

2019-04-01 06:45:00 | Weblog





   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、再録。



  「この世の中はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。」


  「利息に課税してはいけないと、私は論じたことがある。預金はあらゆる税金を払って残ったカスである。あるいは

  宝である。それを定期にして生ずる利息は零細である。さらにそれに課税すれば、二重三重に課税したことになる。

  課税するのは銀行ではない。国だと銀行は言うかもしれないが、銀行が熱心に抵抗したと聞かないから銀行と国は

  一つ穴のムジナである。

   定期預金できるものは持てるもの、持てるものから奪っていいと思うのは嫉妬である。わが国の税制は国民の嫉妬

  心に便乗して、とうとう私たちの住宅をウサギ小屋といわれるまでにしたのである。」


  「税金なんて一割ぐらいがいいのである。その代り世話にならなければいいのである。失業したら、毎日自分でかけ

  ずり回る。貧乏したら親戚知人に助けてもらう。老後は子供と共に住む。死水は子供にとってもらう。養老院へはは

  いらない。親子は互に助けあう。助けなければ、親不孝と言って世間が爪はじきする。個人がするのではないから、

  それには力がある。すこしばかりの病気なら、医者にかからない。安静にして治す。怪しやそれで治るのである。治

  らなければ死ぬ。人生五十といって、四十五十で死ぬから、惜しんでくれるのである。医者は午前宅診午後往診とい

  って、午前中四、五人の患者をみて、散薬と水薬を与えると、どういうわけかそれがよく効くのである。午後からは、

  これも二、三の患家を回ってそれでおしまいで、結構食べていかれるのである。そのかわり長者番付に出ることはな

  い。絶対にない


   国は何もしてくれない。してくれないから税金をとらない。そして橋の下には乞食がいる。本当のことをいうと、

  私は乞食はいたほうがいいと思っている。貧乏はあったほうがいいと思っている。」


   ( 山本夏彦著 「恋に似たもの」 文春文庫 所収 )



  

  

  



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