「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

祖国とは国語だ 2004・12・31

2004-12-31 07:00:00 | Weblog
  2004年締めくくりの「お気に入り」のひとつは、山本夏彦さんの著書の中から書き留めた

 ものです。

 「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもないという言葉を私は

  シオラン『告白と呪詛』で発見した。」


  もうひとつの「お気に入り」は、中野孝次さんの著書の中に引用されている永川玲二という人の次の言葉です。

  「オクニノタメに人間がいるわけじゃなくて、人間のためにクニがあるんだから。カントリーやネイションにしても、いろんな

  人間がいるという、そっちからまずかんがえないとおかしなことになってしまう。」

  「国境線をすこしでもやわらかくするためには、それと張りあえるぐらい強くて、もっと大きい、あるいはもっと小さい輪郭の

  線が、地図上でたくさん交錯するしかないだろう。」

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2000年という時間 2004・12・30

2004-12-30 07:00:00 | Weblog
  西暦2004年も暮れようとしています。
 
  絵本作家の佐野洋子さんが、4年前の随筆「あれも嫌いこれも好き」の中で、2000年という時間について、こんな風に

 書いておられます。世紀の変わり目の頃のことです。

 「紀元2000年で何だか大騒ぎでしたが、もっと昔から人は生きている。2000年という時間が実感としてとらえどころ

  がありません。仕方ないのできんさんぎんさんの頭の上に20人のっけてみました。なんだ大したことないか、ぎんさん

  20人で、キリスト様のところまでとどくのか。しかし、20人でも永遠の長さのような気もします。」と。

  
  佐野洋子さんの著書で、絵本の古典と言われる「100万回生きた猫」は私の「お気に入り」で、お薦めの本です。

  ジャンルを問わず、アーティストを自認する人であろうと、それ以外の仕事をする人であろうと、一生に一度でも

 「会心の作」、「会心の仕事」と思えるものを創り出したり、成し遂げることが出来れば、それはその人にとっての

 「成功」であろうと思います。「幸せ」なことだと思います。
 

  今日の「お気に入り」をもう一つ。日野原重明先生の著書「死をどう生きたか?-私の心に残る人々」の中の言葉です。

 
  「命は、長さではない、深さである。」。
  
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2004・12・29

2004-12-29 07:00:00 | Weblog
 今朝、関東は初雪です。

 「初雪や 受けておる手の 外に降る」 (千代女)  

 
 今日の「お気に入り」は禅の言葉二つです。

 「別無工夫 放下便是」

 (別に工夫なし放下すればすなわちこれなり。)
   
                 *執着を捨てること

 特別なことはしなくていい。雑念を捨て、自然体でいればおのずと道は開ける、という意味だそうです。


 「春来草自生」

 (春来たらば草おのずから生ず。)

 春が来れば、草は自然に生えてくる。草が自分の意志で生えてくるには、その時を待つ以外にない、というのです。自然の流れに逆らわず、時節が来れば、ということを言っているように思います。


 
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災 2004・12・28

2004-12-28 07:00:00 | Weblog
  毎日のように幼い子供たちの受難のニュースが流れています。子供たちを標的にする異常犯罪の脅威を

 含め、今の子供たちは、私たち大人が幼かった頃と比べると、格段に強いストレスに日常的にさらされています。

  昔だって学校に行けばこわい先生もいれば、いじめっ子だっていたぞ、家に帰って近所で遊べばこわいガキ大将もいたし、家は

 家でこわいおやじがいたし、夫婦喧嘩も絶えなかったと、昔の子供にもストレスはあったとおっしゃる方がおられるかも知れませ

 ん。確かにそのとおりで昔もストレスはありました。しかし、昔からあるストレスに加えて、新手のストレスが間断なく今の子供

 たちを見舞っています。

  子供はいつの時代も変わらず、感化を受けやすいものですが、子供に感化を与える手段の方は、昔と比べ、爆発的に増えました。

 私たち大人同様、子供たちの目や耳を塞ぐことはできませんが、私たちの努力次第で、子供が私たちのようになることを防止する

 ことは出来るかもしれません。
 
  とくに自我の目覚める前の子供たちを、無差別な情報の洪水から守り、彼らの情操が育つのを助けるような良質の文物を選択し

 て与えることが何よりも大切なように思います。

  もうひとつ、世の大人たちの子供に対する期待が、その子供が生まれつき持っている能力不相応に大きいこともストレスになっ

 ているに違いありません。どこの親も自身の目指すところが、より良い暮らし、より多い収入ということになっていますから、

 自分の果たしたことを子供にも果たせというのは勿論のこととして、自分が果たせなかった、あるいは果たせそうにないことまで

 子供には果たせということで、良い幼稚園、良い学校を目指す、そういった社会全体からのプレッシャーというか、画一的な考え

 方が蔓延しているように思います。もっとも、こちらの方は、子供たちの自己防衛本能がしっかりと働いていて、親たちに取り付

 いている幻想を打ち砕いてしまいます。大人たちの自分勝手な期待など知ったことではないのです。傷つき、苦しみながらも、し

 たたかに立ち上がってくる若者が数多くでてくるに違いありません。 
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日々の教え 2004・12・27

2004-12-27 07:00:00 | Weblog
  日本の大企業の多くで70歳を優に越えた老頭児が、相談役や顧問の肩書きを会社から貰って、いつまでも

 会社の禄を食み続けている姿が見られます。前世紀からの悪しき慣行です。

  経営者に限らず、現役を去った人間の影響力を感じさせるものなど現役の人間にとって邪魔なだけです。況やその姿をやです。一見

 冷徹なように見えますが、「年寄りを大事にしない」のとは話が違います。

  高齢の政治家や宰相経験者がいつまでも表舞台にしゃしゃり出て、影響力を誇示するお国柄ですから、高級官僚もそれに倣えとばか

 りに、退官後延々と70歳を越えるまで外郭団体を「渡り歩き」、何度も退職金を懐にし、我欲を満たすのです。「生涯賃金で民間

 会社の社長クラスと変わらないのだからいいだろう」というのが彼らの「たかり」の言い訳です。「官」がそれなら「民」も倣えと、

 陋習がなくなりません。清貧の思想は影を潜め、見苦しい限りです。

  かの福沢諭吉先生が自分の息子たちに与えた「日々の教え」というのがあります。

  6か条の掟の4番目に曰く「ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。」、5番目に曰く「いつはるべからず。

 うそをついてひとのじゃまをすべからず。」、また6番目に曰く「むさぼるべからず。むやみによくばりてひとのものをほしがるべか

 らず。」とあり、「みみをさらへてこれをきき、はらにおさめてわするべからず」と仰っています。

 今日の「お気に入り」は次の一首です。

 「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花は花なれ 人も人なれ」 (細川ガラシャ)


 私には中曽根さんより細川さんの方が好もしく思えます。


 
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シアターアンドカンパニー COREDO 2004・12・26

2004-12-26 07:00:00 | Weblog
  50歳に達した頃から、人生の「残り時間」はそう長くはないかも知れない、いまやれることは、いまやりたい

 ことは、いまやっておく方がよい、と思うようになりました。

  丁度その頃、私の数少ない友人のひとりで、高校時代の同級生でもあるM君が、50歳になったのを機に、それまでの脚本家の仕事を

 やめ、ちょっとした料理も出すレストラン・バーを始めました。節目の年の思い切った方向転換です。

  彼が東京の広尾で始めたその店は、今年の2月から場所を乃木坂に移して、バー・カウンター10席と、テーブル席50、併せて60

 席という広尾時代より広いスペースで営業を続けています。地下1階にある店の、バー・カウンターのあるスペースはこじんまりと落ち

 着いた「バー」で、そことは別に、テーブル席のあるスペースは大人が飲みながら落ち着いた雰囲気で芝居やライブを楽しむことが出来

 る空間、「シアター」になっているのが特徴です。

  私と同じ56歳という年齢で、接客と同時に自ら調理場にも立つ「肉体労働」が長時間に及べば、身体的に辛くないはずがないのです

 が、好きで始めて続けている仕事であれば、多少の「疲れ」は、「気力」と、それ以上に「接客の喜び」とでもいうべきもので回復する

 ということなのかも知れません。お客に、気持ちよく飲み食いとおしゃべりをしてもらい、調理の手が空いたときは、、客の邪魔になら

 ない程度に加減よく談笑の輪に加わる、人交わりの不得手な私などから見ると「特技」という他ありません。

  彼が仕事の合間に綴っている身辺雑記を http://blog.goo.ne.jp/elcoredo/ で、またお店のホームページ http://www.tc-coredo.join-us.jp を日々チェックしながら、声援を送っています。
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残り時間 2004・12・25

2004-12-25 07:00:00 | Weblog
  以前、ある週刊誌に「人生は51から」という題のエッセーが連載されたことがあります。

  このタイトルには50代になって「人生まだまだこれからだよ」というニュアンスが込められていたように思うのですが、

 その半面、人生の黄昏時にさしかかり「今までのようなペースで過ごしていていいのか、残された時間はそう長くはないぞ」

 という自戒の気持ちも込められているように感じたものです。自身の年齢と重なっていたことからタイトルだけに目を惹か

 れ、執筆者には申し訳ないのですが、中身を熱心に読んでいた訳ではないのです。

  会社勤めのサラリーマンにとって定年は表向き60歳となっていても、現実には52、3歳の年齢になれば、退職金上乗せ

 の繰り上げ定年退職や関連会社への出向・転籍ならまだしも、ばっさり解雇といったリストラの対象になることもあるという

 のが世間では普通のことになりつつあった時代でした。つい二、三年前まではまだまだ他人事と考えていたことが、漸く我が

 身の上に降り掛かってきて、今後の身の処し方について真剣に考え始めた50歳の頃でした。

  その頃、心に決めたことが三つありました。

 ・会社を退職した後の時間は専ら自分および家族のためだけにつかう。会社勤めはしない。

 ・55才までに退職後の生活基盤を確立する。

 ・後から来る人の通り道を邪魔するような真似はしない。 

  若い頃は余り意識することのなかった「父親が亡くなったときの年齢」を強く意識するようになったのも50歳を過ぎた頃

 のことです。自分の人生の「残り時間」はそう長くはないかも知れないと考え始めた時期でもありました。
 
 私の父親は、私が8歳の頃、平均寿命が80歳という現在と比べれば若死にといってもよい、55歳で亡くなりました。

 自分がその年齢に達してみての感想は、「55歳まで生きるということはそれはそれでなかなか大変なことだ。若死になんか

 ではなかったんだな。」というものです。

  今の自分は、それを越えてさらに年齢を重ねています。NHKの朝ドラでよく耳にする台詞「生きちょるだけで丸儲け

 (略してイマル)」です。
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今は昔 2004・12・24

2004-12-24 07:00:00 | Weblog
  今日もまた昔書き留めた小話です。

 「無人島に男二人女一人が漂着した。

  男達がイタリア人なら殺し合いになる。

  フランス人なら一人は夫、一人は愛人となってうまくやる。

  イギリス人なら紹介されるまで口をきかないから何も起こらない。

  日本人なら東京本社へFAXを送りどうすべきか問い合わせる。」


 欧米をはじめ海外に駐在する「総合商社」や「金融機関」の日本人社員の活躍や日本のプレゼンスが目についた時期の、

 組織に埋没する、日本人の主体性のなさを揶揄した小話です。

 「総合商社」という言葉を耳にすることがめっきり少なくなりました。この10年、都銀や地銀の海外事務所の規模縮小

 や相次ぐ撤退もありました。「今は昔」の小話ではありますが、日本人サラリーマンの哀しい習性は変わっていません。
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2004・12・23

2004-12-23 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、今は昔の「ソ連邦」の小話2題。

 「ある男が食肉市場に入っていって、売り場の職人にこう言いました。

  『ソーセージを薄く薄く切って貰えないかね』。

  すると職人は『ソーセージを持ってきてくれたら、いくらでも薄く切ってやるよ』」


 「『記憶をなくしたときの話をしよう』。

  『たまたま食肉市場の前に立っててな。買物袋を見ると、中は空っぽなんだが、これから市場に入ろうとしてたのか、

  市場から出てきたとこだったのかさっぱり思い出せないんだ』」


  自由主義経済体制に移行して大分経ちましたが、彼の国の庶民の生活はどれほど善くなったのでしょうか。報道がない

 ところをみると、余程向上したんでしょうね。
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2004・12・22

2004-12-22 07:00:00 | Weblog
   50代半ば過ぎのこの年頃になりますと、同世代の知人から、近親者、とくに親の世代が亡くなったという報せを

  受けることが多くなります。いよいよ次は我々の番だという思いがいっとき脳裏を掠めます。

   今日紹介する「お気に入り」です。


 「ひとりもゆ(逝)き候(そろ)
 
  ふたりもゆく

  残りとどまれと

  思う人も ゆき候


 
 
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