「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

抜き書き 習近平 評 Long Good-bye 2023・06・29

2023-06-29 05:25:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」 は 、最近読み進めている 、読み応えのある
  本「 安倍晋三回顧録 」の一節 。
   保守本流のプリンスの役回りを 、天然で陽気なキャラで演じきった
  ハンブルで 可愛げのある人だったと思う 。どこがハンブルや!? と
  思う人は 思うんでしょうが 。
   余人をもって替えがたし 。

   備忘の為 、抜き書き 。

   引用はじめ 。

  「 中国は 、政治が社会主義体制を取りながら 、市場経済を導入
   する『 社会主義市場経済 』を進めて大国になりました 。初代
   国家主席の毛沢東が進めた計画経済が破綻した後 、『 改革・開
   放 』路線を掲げた鄧小平が 、市場経済を導入し 、規制緩和を
   薦め 、一部の人が先に豊かになる『 先富論 』を認めたことが
   大きい 。習近平は 、その富を広げていくことで 、過去の歴史
   的指導者に並ぶ地位を確立したいのでしょう 。
    私の任期中 、習近平はだんだんと自信を深めていったと思い
   ます 。10 年に世界第2位の経済大国となって以降 、より強
   硬姿勢となり 、南シナ海を軍事拠点化し 、香港市民から自由
   も奪った 。そして次は台湾を狙っている 。毛沢東が経済失政
   で飢餓を引き起こした反省から 、中国は鄧小平時代に集団指
   導体制が敷かれましたが 、今 、習氏は異論を封じている 。
   非常に危険な体制となっているわけです 。
    習近平は 、就任当初からしばらくは 、日中首脳会談を開い
   ても 、事前に用意された発言要領を読むだけでした 。トラン
   プが米大統領に就任して最初の米中首脳会談でも 、習近平は
   下を向いて原稿を読んでいたそうで 、トランプが『 なんだ 、
   習近平という男は 、あの程度か 』と驚いたそうです 。
    ところが 18 年頃から 、ペーパーを読まず 、自由に発言する
   ようになっていました 。中国国内に 、自分の権力基盤を脅か
   すような存在はもういないと思い始めていたんじゃないかな 。 」 ・・・ 能ある鷹は爪を隠す 、されど 、侮られた 恨み 、記憶は永く残る 。
         


  「 中国の指導者と打ち解けて話すのは 、私には無理です 。ですが 、
   習近平は首脳会談を重ねるにつれ 、徐々に本心を隠さないように
   なっていきました 。ある時 、『 自分がもし米国に生まれていた
   ら 、米国の共産党には入らないだろう 。民主党か共和党に入党
   する 』と言ったのです 。つまり 、政治的な影響力を行使できな
   い政党では意味がないんだ 、ということです 。建前上 、中国共
   産党の幹部は 、共産党の理念に共鳴して党の前衛組織に入り 、そ
   の後 、権力の中枢を担っているということになっている 。
    しかし 、この習近平の発言からすれば 、彼は思想信条ではなく 、
   政治権力を掌握するために共産党に入ったということになります 。
   彼は強烈なリアリストなのです 。 」 ・・・ かつて自分や自分の家族を虐げた「 共産党のトップ 」にいつか昇りつめて
                           見返してやろうと心に決めたんでしょうね 、 北京25中学の近平少年は 。
能ある鷹が爪を隠さなくなりましたとさ 。

  「 中国首脳にとって 、日本とあまりに近づくことは 、危険なわけ
   です 。1980 年代 、胡耀邦総書記は 、中曽根首相と緊密な関係
   を築いていましたが 、その後失脚しました 。外務省が 2017 年
   に公表した外交文書では 、胡耀邦が中曽根さんとの会談で 、中
   国共産党人事にまで言及していたことが明らかになりました 。
    習近平の振る舞いの変遷を振り返ると 、彼は昇り竜でした 。
   でも 、孤独感はものすごくあると思いますよ民主主義国家は
   選挙で交代しますが 、独裁政権は 、ある日突然 、倒されるわけ
   です 。権威主義国家の指導者のプレッシャーの大きさは 、我々
   の想像を超えているんじゃないかな 。だから習近平もプーチン
   も 、そして北朝鮮の金正恩国務委員会委員長も 、政敵を次々に
   倒してきたのでしょう
。 」 ・・・ お三方とも 、筋金入りの独裁者 、本人も側近も頭脳明晰 、
                       倒されない仕組みづくりに腐心し 、ほとんど成功してるような 。人の迷惑顧みず 。

   引用おわり 。

    There are too many wild cards nowadays.
    想像を絶するほど 。
   ( ^ω^)・・・明日のことは分かりません 。



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抜き書き プーチン 評 Long Good-bye 2023・06・27

2023-06-27 06:17:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」は 、最近ゆっくり読み進めている本「 安倍晋三回顧録 」
  の一節 。
   備忘の為 、抜き書き 。

   引用はじめ 。

  「 彼の理想は 、ロシア帝国の復活です 。プーチンは 、ペレストロ
   イカ ( 国家の改革 ) やグラスノチ ( 情報公開 ) を推進し 、ソ連
   を崩壊に導いたミハイル・ゴルバチョフ元大統領を失敗者として捉
   えていました 。
    プーチンは 80 年代 、諜報機関の国家保安委員会 ( KGB ) の一
   員として 、東ドイツのドレスデンでケースオフィサー ( 工作担当
   員 ) として活動していました 。そして 89 年にベルリンの壁が崩
   れ 、91 年にソ連が崩壊し 、大きな挫折を経験した 。『 なぜこれ
   ほどまで我が国は譲歩し 、領土を手放してしまったのか 』という
   想いが 、プーチンの頭の中にはあったのだと思います 。
    ウクライナ共和国の独立も 、彼にとっては許せない事柄でした 。
   ソ連は 、資源の豊富なウクライナに莫大な投資をしていたし 、
   ロシアになってからも 、資源開発を支援していたからです 。そ
   うした経緯があるから 、国際法上決して許されることではありま
   せんが 、2014 年にウクライナに侵攻してクリミア半島を併合し
   たのだと思います 。世界史では 、クリミア半島は 、ロシア帝国
   がオスマン帝国を破って手に入れた土地です 。プーチンにとって
   は 、ひとりよがりの考え方ですが 、クリミア併合は 、強いロシ
   アの復権の象徴というわけです 。
    バルト三国のある大統領は私に 、『 ロシアにウクライナを諦め
   ろと言っても 、到底無理だ 。ウクライナは 、ロシアの子宮み
   たいなものだ 。クリミア半島を手始めに 、これからどんどん
   ウクライナの領土を侵食しようとするだろう 』と述べていたの
   が印象的でした 。」

   引用おわり 。

   昨日 今日のロシア情勢を見ていると 、ロシアの南部州 と 戦術核が配備された
  ベラルーシ の2か所に 精鋭傭兵部隊が配置された 観 がある 。
   改めて 北と東からウクライナを挟撃する構え 。
   部下に責任転嫁し 、切るのは 、独裁者の常 。

   上手の手からも水は洩れる 。
   転んでもただは起きぬ 、したたかな プーチン 。
   どうするアメリカ !

   ( ついでながらの
     筆者註 :「 安倍 晋三( あべ しんぞう 、1954年〈 昭和29年 〉9月21日 -
          2022年〈 令和4年 〉7月8日 )は 、日本の政治家 。位階は
          従一位 。勲等は大勲位 。
          内閣総理大臣( 第90・96・97・98代 )、 内閣官房長官
         ( 第72代 )、内閣官房副長官( 政務担当 )、衆議院
          議員( 10期 )、自由民主党総裁( 第21・25代 )、
          自由民主党幹事長( 第41代 )、自由民主党幹事長代
         理 、清和政策研究会会長( 第10代 )を歴任した 。
          生 涯
          生い立ち
           東京都新宿区出身 。1954年9月21日 、毎日新聞の記者
          であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として生まれる 。
          弟の信夫は養子に出されたため末子として育つ 。本籍
          地は山口県大津郡油谷町( 現長門市 )。父方の祖父は
          衆議院議員の安倍寛 、母方の祖父は後の首相岸信介で 、
          大叔父には元首相の佐藤栄作 、叔父には日本興業銀行の
          頭取を務めた西村正雄がいる 。一家は渋谷区南平台町
          の岸の自宅で 、岸と同居した 。
          1958年5月 、父の安倍晋太郎が第28回衆議院議員総
          選挙に立候補し初当選した 。幼い頃は野球選手や 、テレ
          ビを見て刑事になることに憧れていた 。
          学生時代
          成蹊小学校3年生の1963年11月 、父の晋太郎が落選 。
          このため両親は東京を離れ 、選挙区の山口県にいることが
          多くなった 。安倍家は寛信と晋三に家庭教師をつけること
          とした 。翌1964年に東京大学駒場キャンパスで「子ども2人
          を週3回教えて9千円 、食事つき」とのアルバイトの募集を見
          つけたのが 、当時東大駒場寮に住んでいた平沢勝栄だった 。
          平沢は 『 駒場東大前駅からひと駅で 、しかも食事つき 。駒
          場寮の食事はマズかったから 、これはいいぞ 』 と思い 、面接
          を受け 、採用された 。小学5年生まで2年間 、晋三を教えた 。
          成蹊中学校・高等学校卒業 。高校では地理研究部に所属した 。
          成蹊大学法学部政治学科に進み 、佐藤竺教授のゼミに所属して
          行政学を学ぶ 。アーチェリー部に所属し 、準レギュラーだった 。
          大学へは中古のアルファロメオで通った 。
          1977年3月 、成蹊大学卒業 。同年春に渡米し 、カリフォル
          ニア州ヘイワードの英語学校に通うが 、日本人ばかりで勉強
          に障害があると判断して通学を止め 、イタリア系米国人の家
          に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った 。1978年1月
          から春季・夏季・秋季と1年間 、南カリフォルニア大学に留学
          しており 、政治学の専攻ではなく講座に通学していた 。ただし
          在籍はしたものの学士の資格は得ていない 。首相として訪米
          中に同大学を訪問している 。
          会社員時代
          1979年4月に帰国し 、神戸製鋼所に入社 。本社輸出部に配属さ
          れる 。1980年5月から1981年1月まで加古川製鉄所の工程部工
          程課に配属された 。営業担当が受けた注文の工程管理を担った 。
          そのほか 、ニューヨーク事務所 、東京本社などで勤務した 。 」
          以上ウィキ情報 。 ) 



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禅譲と世襲 Long Good-bye 2023・06・25

2023-06-25 05:02:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」は 、最近読んで 、もろもろ 腑に落ちた論考 。

   社会学者 橋爪大三郎さん ( 1948年10月21日 - ) の「 北朝鮮の金王朝 」
  についての解説から 、備忘の為 、抜き書き 。

   引用はじめ 。  

  「 北朝鮮の金王朝を理解するには 、補助線がいくつか必要だ 。
   第一の補助線は 、儒教である 。

    中国は儒教の国だ 。朝鮮も 、儒教の国だ 。必死で中国を真似
   した 。科挙も採り入れた 。親族集団も儒教風 。ちっとも儒教
   風でない日本とは 、まるで違う 。

    儒教はいう 。最初の王は堯 。つぎが舜 、つぎが禹 。古典にあ
   る通り 、王たちは有能な部下を順に抜擢した 。禅譲である 。
    禅譲( 能力主義抜擢人事 )が儒教の理想だ 。
    そして禹は 、自分の子に王の位を譲った 。以下 、子から子
   に血縁で受け継ぐ 。世襲である 。こうして最初の王朝( 夏
   王朝 )が始まった 。世襲は 、儒教の実際である 。

    中国共産党政権は、毛沢東→華国鋒→トウ小平→江沢民→
   胡錦濤→習近平 、と抜擢人事でポストを引き継いだ 。禅譲
   である 。北朝鮮は 、金日成→金正日→金正恩 、親から子に 、
   ポストを受け継いだ 。世襲である 。
    マルクス・レーニン主義の原則とは関係ない 。でも 、儒教
   の原則には合っている
。」


  「 北朝鮮の独裁体制の 、本質は何だろう 。マルクス・レーニ
   ン主義ではない 。儒教の王朝か? 少し近いかもしれない 。
    日本の天皇制とも 、そっくりである

    北朝鮮の『 主体思想 』をつくった 黄長ヨプ は 、戦前の日本
   で教育を受けた 。朝鮮は 、1910年から1945年までの35年間 、
    大日本帝国の一部だった 。主体は国体の焼き直しだ 。金日
   成が 、『 天皇 』の抜けたあとにすっぽり収まっても不思議
   はない 。
    儒教の皇帝と 、日本の天皇制 。これを足して 2 で割ったの
   が金王朝だと考えると 、いろいろ説明がつく
。」


  「 天皇は『 万世一系 』で 、アマテラスや神武天皇と血がつな
   がっている 。金日成→金正日→金正恩 、は『 白頭山の血統 』
   だという 。神話にさかのぼるところが共通している 。儒教に
   はない特徴だ 。
    いっぽう金王朝は 、皇帝権力の要素もある 。天皇はふつう 、
   権力を直接ふるわない 。皇帝はふつう 、実際に権力をふるう 。
    金王朝を天皇制とみるなら 、言わば『 天皇親政 』だ 。天皇
   親政は 、戦前昭和の総力戦体制のキーワードだ 。北朝鮮は建
   国以来ずっと 、総力戦体制なのである 。」

  「 皇帝にも天皇にも似てはいるが 、要は独裁者である 。
    独裁は 、効率的である 。民主主義のややこしい意見調整や 、
   法の縛りは関係ない 。独裁は 、不安定である 。独裁者はなん
   でも決定するから 、どんな失敗も自分の責任になる 。部下の
   せいにして 、粛清する 。
    そして独裁者は 、うまく後継者に権力を引き継がないと 、体
   制が崩壊してしまう 。そして権力の継承のルールがない 。こ
   れがアキレス腱だ 。
    独裁体制の安定のためには 、後継者が決まっているとよい 。
   でもそう簡単ではない
。」


  「 北朝鮮の体制が続くカギは 、安全保障 。そのため核開発を
   進めてきた 。核弾頭を数十発製造し 、アメリカに届こうと
   いうミサイルも開発した 。あとは ,潜水艦搭載のSLBMが
   配備できれば 、万全だ 。もうアメリカの武力を恐れる必要
   はない 。核保有国として 、アメリカと対等に交渉できる 。


    もうひとつのカギは 、独裁を維持し 、『 白頭山の血統 』
   を守りぬくこと 。かつての日本風に言えば 、『 国体を守れ 』
   である 。金与正が後継者になった 。北朝鮮にはもう後がない

   ということだ 。
    金与正に男子がいるとして 、権力を継承させられそうにない 。
   『 白頭山の血統 』と言いにくいからだ 。この問題は日本の 、
   女系天皇を容認するかの議論と似ている 。女系は 、天皇制の
   伝統ではない 。でも 、そんなことを言っている場合ではない 。
    国民の合意があれば 、女性天皇 、そして女系天皇でもよい
   ではないか 。
    同じ理屈を 、北朝鮮の指導部も考えた 。金与正が後継者に
   なるとすれば 、そういう意味になる 。日本の女性天皇は 、
   国民の暖かい合意に包まれるだろう 。女性独裁者の金与正は 、
   暖かく迎えられるか疑問である 。
    独裁政権なるものは 、ひと握りの人びとの利権や特権のかた
   まりである 。多くの人びとがそれを支持しないと声をあげれ
   ば 、あっさり倒れる

    金与正は 、それでも政権を守ろうとする 、北朝鮮の切り札で
   ある 。でももう 、ほかに切り札は残っていないかもしれない
。」


   引用おわり 。

  ( ついでながらの
    筆者註:「 橋爪 大三郎( はしづめ だいさぶろう 、1948年10月21日 - )は 、
        日本の社会学者( 社会学修士 ) 。理論社会学 、宗教社会学 、
        現代社会論が専門 。大学院大学至善館教授 。東京工業大学
        名誉教授 。元東京工業大学世界文明センター副センター長 。
        神奈川県出身 。開成中学校・高等学校を経て 、東京大学文学部
        社会学科卒業 。東京大学大学院社会学研究科博士課程を単位
        取得退学してのち 、執筆活動を続けるかたわら 、言語研究会 、小室
        直樹ゼミナール等に参加 。言語を社会現象の根幹に位置づける言語派
        社会学の構想を展開する 。比較宗教学 、現代社会論 、現代アジア
        研究 、日本プレ近代思想研究なども手がける 。著書に 『 はじめての
        構造主義 』( 1988年 )、 『 世界がわかる宗教社会学入門 』
        ( 2001年 )、 『 戦争の社会学 』( 2016年 )など 。
        人 物
         参加していた全共闘で 、ベトナム反戦運動の一環として新宿駅の
        ターミナルを通過する貨物列車を足止めする騒動を起こしたのち 、
        逮捕されそうになるが 、逃げおおせた 。   ・・・ いいね!
        日本福音ルーテル教会の教会員( 信者・クリスチャン )であり 、
        福音ルーテル教会のイベント・講演会でしばしば講師を務めている 。 ・・・ いいね!
        大澤真幸との共著 『 ふしぎなキリスト教 』 は 新書大賞2012を受
        賞したが 、キリスト教研究者からは事実面の誤りを指摘されている 。
        経 歴
         1972年 東京大学文学部社会学科卒業
         1974年 東京大学大学院社会学研究科修士課程修了
         1977年 東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学
             日本学術振興会特別奨励研究員
         1989年 東京工業大学助教授
         1995年 東京工業大学教授
         2013年 東京工業大学名誉教授 」  ・・・ いいね!

       「 黄長ヨプ
         黄 長燁( 朝 : 황장엽 、日本語読み:こう・ちょうよう 、
        朝鮮語読み:ファン・ジャンヨプ 。1923年〈 大正12年 〉
        2月7日 - 2010年10月9日 )は 、朝鮮民主主義人民共和国
        ( 北朝鮮 )の思想家で 主体思想の理論家 、政治家 。元
        朝鮮労働党国際担当書記 。1997年に大韓民国( 韓国 )に
        亡命し 、死去するまで韓国に在住していた 。
        生 涯
         咸鏡道出身とも平壌の江東郡出身とも言われる 。地主の
        家庭に生まれた 。中央大学法学部で学んだ 。そのため教
        養のある日本語を話すことができ 、北朝鮮在住時から度々
        日本のメディアによるインタビューに日本語で応じていた 。
         大学は2年次で中退し 、平壌に帰ってからは母校である
        平壌商業学校の数学と珠算の教師をしていた 。
         1949年 、ソ連のモスクワ大学へ留学し哲学博士号を取得する 。
         帰国後は金日成総合大学で教鞭を執り 、1965年に同大学総長
        に就任 。1970年には朝鮮労働党中央委員会委員に就任し 、
        その後は党の国際担当書記や最高人民会議外交委員会委員長
        などの要職を歴任する 。この時期には 金日成国家主席の側近で
        あり 、そのゴーストライターとも言われた 。 」
        以上ウィキ情報 。 )



         

    

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原潜レンタル+核共有 Long Good-bye 2023・06・23

2023-06-23 04:59:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、最近読んで 、腑に落ちた論考 。

  経済評論家 高橋洋一さん ( 1955年9月12日 - ) の著書 「 高橋洋一のファクト
  チェック 2023年版 」から 、備忘の為 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  「 国際関係に関する考え方にはリアリズムとアイデアリズムがある 。
   リアリズムは現実主義 、アイデアリズムは理想主義です 。
   アメリカで国際関係論を習うと 、必ず両者が出てくるけれど 、
   はっきり言うと答えはリアリズムしかない 。」

  「 北朝鮮と中国とロシア 、これすべて非民主主義国だから 、非常に戦争
   の確率が高い 。
    とくに 北朝鮮なんかは話し合いも何もないから 、対応は 日本の防衛力
   を高めること 、日米同盟を強めること 。防衛費を高めることで大量報復
   を可能にする 。どこから報復するか敵に悟られたら先にやられるから 、
   いちばんいいのは海の中の原子力潜水艦の SLBM( 潜水艦発射弾道
   ミサイル )。 これが大量報復にはいちばん適しています 。
   そこから導かれるのは 、アメリカから借りた原子力潜水艦を日本海に
   沈めておい て 、そこから SLBM を撃つという形 。 これが理詰めで
   出てくる答えです
。 」  ・・・ かの国も同じように考えるんだろうな

  「 コスパと時間を考えると 、『 原潜レンタル + 核共有 ( シェアリング ) 』
    が最良の手段です 。 」  ・・・ かの国も同じように考えるんだろうか
                    自前じゃ SSBN は調達も運用も出来ないし 、
                    かと言って 、西朝鮮に おんぶにだっこじゃ
                    独裁者が 独裁者の ポチ になる
                    主体性は保たれないよなあ 。
                    通常のミサイルを何発撃っても 、在庫入替 兼 訓練でしかないし 。
                    SSBN や ICBM の自主運用は 、西朝鮮の真の国益に適わないような気がするなあ 。

   ( ´_ゝ`)

  「 共産主義は相容れないものは絶対に受け入れない 。 だから新型コロナ
   とウイグルは ゼロ政策なんだよ 。」

  「 新型コロナウイルスで ゼロコロナ政策 をとったのと同じように 、 ウイ
   グルも ゼロウイグル政策 でいく 。つまり 民族浄化 して 、 いずれ消滅させ
   るって 、そういうことなんですよ 。」

   引用おわり 。

  ( ついでながらの
    筆者註:「 髙橋洋一( たかはし よういち 、1955年〈 昭和30年 〉9月12日 - )は 、
        日本の経済評論家 、数量政策学評論家 、元大蔵・財務官僚 。学位は博士
        ( 政策研究 )( 千葉商科大学・2007年 )。嘉悦大学大学院ビジネス創造
        研究科教授 、官僚国家日本を変える元官僚の会幹事長 、株式会社政策工房
        代表取締役会長 、NPO法人万年野党アドバイザリーボード 。評論分野は
        マクロ経済学 、財政政策 、金融政策 。
         大蔵省理財局資金第一課資金企画室長 、プリンストン大学客員研究員 、
        内閣府参事官( 経済財政諮問会議特命 )、総務大臣補佐官 、内閣参事官
        ( 内閣総理大臣補佐官付参事官 ) 、金融庁顧問 、橋下徹市政における
        大阪市特別顧問 、菅義偉内閣における内閣官房参与( 経済・財政政策
        担当 )などを歴任した 。 」  ・・・ ビックリ仰天 フル回転
       「 経 歴
         1955年( 昭和30年 )、東京都豊島区巣鴨生まれ 。東京都立小石川高等
        学校を経て 、1978年( 昭和53年 )、東京大学理学部数学科卒業 。幼少
        期から数学者となることを志し 、東大数学科を卒業後 、同大学経済学部
        経済学科に学士編入学して 籍を置きつつ 、文部省統計数理研究所に非常
        勤研究員として勤めるが 、諸事情により退職 。
         1980年( 昭和55年 )、東大経済学科を卒業後 、大蔵省に入省 。証券局
        総務課に配属される 。入省同期には岸本周平( 和歌山県知事 、元内閣府
        大臣政務官兼経済産業大臣政務官 )、後藤茂之( 経済再生担当大臣 、元
        厚生労働大臣 )、寺田稔( 前総務大臣 、元内閣府副大臣 )、枝廣直幹
        ( 福山市長 )、佐藤慎一( 元財務事務次官 、主税局長 、大臣官房長 、
        大臣官房総括審議官 )、森信親( 元金融庁長官 )などがいる 。
         大蔵省関税局総務課企画係長を経て 、1985年( 昭和60年 )国税庁高松
        国税局観音寺税務署長 。大蔵省理財局資金第一課資金企画室長 、プリン
        ストン大学客員研究員 、国土交通省国土計画局特別調整課長( 財務省
        より出向 )などを歴任した 。
         2001年( 平成13年 )に発足した小泉純一郎内閣において 、竹中平蔵
        経済財政政策担当大臣の補佐官となった 。続いて 2006年に発足した
        第1次安倍晋三内閣で 公募による首相官邸政策スタッフとして 、井上
        一徳や 、白間竜一郎 、清水康弘らとともに 内閣参事官 ( 内閣総務官
        室 )に就任 。2007年( 平成19年 )、千葉商科大学より博士( 政策
        研究 )の学位を取得( いわゆる 論文博士 )。学位請求論文は『 財投・
        郵政・政策金融改革の経済分析:公的金融システムの大変革の理論と
        実践 』である 。2008年( 平成20年 )3月31日付で 国家公務員を退官
        した 。退官時まで内閣参事官であり 、財務省には復職していない 。 」 ・・・ 大忙し

       「 原子力潜水艦( げんしりょくせんすいかん 、英語 : Nuclear submarine )は 、
        動力に原子炉を使用する潜水艦のことである 。原潜( げんせん )と略される
        こともある 。
        概 要
         原子力潜水艦の構造は もう一方の代表的な潜水艦の推進動力方式である
        ディーゼルエンジンを備えた通常動力型潜水艦と基本的な構造の点では同様
        である 。すなわち いずれも船体は涙滴型や葉巻型をしており 、船体上部前寄
        りにセイル 、その側面か船体前部側面に潜舵を持ち 、艦尾のスクリュープロペラ
        で推進する 。

         原子力潜水艦と通常動力型潜水艦との大きな違いは 、スクリューを回転させ
        るためのエネルギーの発生源である 。原子力潜水艦では原子力すなわち核分裂
        反応により生成される熱エネルギーで水を沸かしてタービンを回すことでスクリューを
        回転させるのに対し 、通常動力型潜水艦ではディーゼル機関などを作動させて
        スクリューを回している 。その違いを反映して原子力潜水艦は通常型潜水艦より
        複雑な構造となっており 、船体も大型となる 。また 、その運用を比較すると通常
        型潜水艦が沿岸域での運用を比較的得意とするのに対し 、原子力潜水艦は
        より広い外洋域での運用を得意とする 。ただし 、これらの運用は専門化している
        わけではない 。」
       「 潜水艦の建造と原子力技術の双方を持つ国は限られており 、弾道ミサイル
        原子力潜水艦( 戦略ミサイル原子力潜水艦 )では 、2021年9月時点の
        保有国は アメリカ合衆国・中華人民共和国・イギリス・フランス・ロシア連邦・
        インドの6か国のみである 。原子力潜水艦保有国は この他に攻撃型原子力
        潜水艦を配備している 。このうち攻撃型は通常型潜水艦と同様に艦対艦
        ミサイル・巡航ミサイル・魚雷で敵水上艦船・敵潜水艦( 巡航ミサイルでは
        地上目標も )を攻撃するため 、場合によっては隠密裏に人員輸送を行う
        ために利用される 。これに対して 弾道ミサイル型は通常型潜水艦では行え
        ない潜水艦発射弾道ミサイル( SLBM )の発射プラットフォームとしての任
        務を担っており 、攻撃型より大きな船体となっている 。
         21世紀以降 アメリカ海軍は 一部の弾道ミサイル潜水艦を巡航ミサイルの
        発射プラットフォームである巡航ミサイル潜水艦に改造している 。 」
        以上ウィキ情報 。)
         ・・・ 半端なく維持費がかかるし 、一航海 70日間の閉鎖空間は劣悪極まりない労働環境 。
                   潜水艦への乗り組みは 、閉所恐怖症のヒトには務まらない 。


  ( ´_ゝ`)

   チベットや香港みてりゃあ わかる道理 。かの国にとっては 、国内問題
   だから 、ウイグルも 台湾も いずれ そうなる だろう 。ブロックするには
   あの手この手で やるしかない 。

  (* ̄- ̄)
       
   外交においては 、いくらおカネがかかろうと 、相手が一番いやが
  ることを考え 、検討の俎上に載せておくことが 上策かと 。口に
  するだけなら一銭もかからない 、高橋洋一先生のように 。宰相たる
  もの 、日本の海を 、日本が率先して守る姿勢 、気概くらいは 、日頃
  から口にし 、内外に示しとくことが必要かもしれません 。
   アメリカのSSBN( 弾道ミサイル原子力潜水艦 )や SSGN( 巡航
  ミサイル原子力潜水艦 )の巡航ルートに 日本海 が 入っていないと
  考える理由はないのだし 、70日間あれば 、毎回道筋を変えて 、
  7つの海を 神出鬼没 、色んなところを巡回できる 。
   公海ですもんね 。6カ国の原潜が今日も暗黒世界を遊弋している
  らしい 。何とも この世は 剣呑だ 。
  Around the World in Seventy Days .



         

    

          

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ビジネスとしての戦争 Long Good-bye 2023・06・21

2023-06-21 05:55:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」は 、最近読んで 、腑に落ちた論考 。

   元外交官 佐藤優さん ( 1960年1月18日 - ) の「 ウクライナ戦争 」に
  ついての解説から 、備忘の為 、抜き書き 。

   戦争の当事国では 、皆 黙る 。戦時下だから 。非常時だから 。
   皆 自分の 、自分の家族の 身を守るのに 忙しい 。
   停戦が成ると 、皆 蠢きだす 。政治家も 。オルガリヒも 。活動家も 。
   指導者が止めると言わない限り 、終わらない 。
   でも 、権力維持のためには 止められない 。
   とかく この世は 剣呑だ 。
   中朝露 見ていて そう思う 。
  
   引用はじめ 。  

  「 ” 価値観戦争 ” が 長期化する中 、アメリカが恐れているのは
   ロシアと直接対峙することです 。アメリカがロシアと直接
   対峙すれば 、第三次世界大戦が勃発して 核戦争を誘発する
   可能性があります 。これは一部の専門家が言うように 、戦
   術核( 短距離核ミサイルなど限定的な破壊能力の核兵器 )
   レベルでは留まりません 。最終的には 、巨大都市を丸ごと
   焼き尽くす戦略核の使用に行き着くでしょう 。」

  「 ロシアが実験に成功した『 サルマト 』というICBM( 大陸
   間弾道ミサイル )は 、世界最長の射程距離をもちます 。こ
   れまでミサイルでの攻撃は北極経由でした 。しかし 、この
   サルマトは南極経由も可能 。アメリカは 、南半球側からミ
   サイルが飛んでくる事態を想定していませんでした 。です
   からアメリカは 、南極経由の防空システムを構築できてい
   ないのです 。南極経由で発射されれば 、ニューヨークも
   ワシントンも壊滅します 。
    こういう危険な状況で 、アメリカはロシアと絶対に事を
   構えたくありません 。だから アメリカは自ら直接参戦せ
   ず 、『 管理された戦争 』を長引かせているのです 。す
   なわち 、ウクライナに兵器を渡しはするものの 、ロシア
   軍が壊滅するレベルまでの兵器は与えない 。ロシア本土
   を攻撃させない 。
    なぜこういう形で戦争を管理しているのでしょう 。ロシ
   アの核ドクトリンでは 、ロシア本国が核攻撃を受けた場
   合 、もしくは通常兵器によって国家存亡の機に立たされ
   た場合 、核兵器を使うことができるからです 。 」

  「 アメリカによって管理された戦争を戦う限り 、ウクライ
   ナは勝利できません 。もっと言うと 、アメリカはウクラ
   イナの勝利を望んでいないのです 。 」

  「 ゼレンスキー大統領が叫ぶとおり 、奪われた国土を奪還
   するために必要な質量の兵器を西側諸国が送れば 、ロシア
   軍をほぼ壊滅させることができるかもしれません 。ただし
   全滅する前に 、ロシアはアメリカに向けて戦略核を発射す
   るはずです 。
    そうした事態はなんとしてでも避けなければならない 。
   だからアメリカは戦争をできるだけ長引かせ 、ウクライナ
   に代理戦争をやらせ 、できる限りロシアを弱体化させよう
   と試みています 。
    当初はウクライナとロシアの二国間係争だった様相が途中
   から変化して 、西側諸国( 日本を含む )を巻きこんだ形
   での両国の ” 価値観戦争 ” に位相が変化した 。なおかつ 、
   西側諸国にはウクライナを勝たせる気はない 。これが新
   帝国主義の時代における『 管理された戦争 』の実相なの
   です
。」


  「 対露経済制裁が続く限り 、アメリカは法外な値段の天然
   ガスをヨーロッパ諸国に買わせ続けることができる 。
   そしてウクライナに兵器をどんどん供与すれば 、アメリカ
   の軍産複合体は潤う 。
    アメリカの参戦はありえませんから 、アメリカ人の血は
   一人も流れない 。戦費の未払い伝票は 、ヨーロッパ諸国
   と日本に回ってくるのでしょう 。アメリカはビジネスと
   しての戦争
を 、エゲツないまでに継続しているのです 。」


   引用おわり 。

   sustainable な仕組み 。

   何度も 何度も 買ってくれなくちゃ 、商売になりません 。無限のループ 。

   悲しいが 、現実 。

   地球は 今日も 回ってる 。



         

    

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永遠と一瞬 Long Good-bye 2023・06・19

2023-06-19 04:25:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」 は 、元外交官 岡本行夫さん ( 1945 - 2020 ) の著書の一節 。

   引用はじめ 。

  「 地球上に10億人がすむようになったのは1804年です 。西暦1年の前
   を4000年と考えると 、人口が10億人になるまでに6000年近くか
   かったわけです 。
   その後は 、約120年後に20億人 、その約30年後に30億人 、以降は
   15年後 、13年後 、12年後に 10億人ずつ 増えてきています 。これは
   幾何級数的といったくらいのものではありません 。L字を左右逆さにしたよう
   なものすごい勢いで伸びています 。
    1950年 、私が5歳の時 、世界人口は25億人でした 。今は77億人 。
    この私の短い一生の間に 、地球上の人口が なんと3倍以上になっているの
   です

    まもなく100億人を突破しようとしています 。どうやって資源や食料を
   確保していくのか非常に心配な思いがします 。
    物理のブラウン運動の法則のように 、一定の空間に分子が閉じ込められれ
   ば 、熱や圧力が加わることで 、分子の活動がものすごく活発になる 。それ
   がいま 世の中に出てきていると思います 。 」

    引用おわり 。

   とりあえば足りないが 、わけあえば足りる 。
   25億人だった1950年も 、77億人の今も 。

    3000年 、6000年の歴史と言っても 、
   所詮 、きんさん 30人分 、ぎんさん 60人分 。   

   ( ついでながらの
     筆者註 :「 岡本 行夫( おかもと ゆきお 、1945年 〈 昭和20年 〉 11月23日 -
          2020年 〈 令和2年 〉 4月24日 )は 、日本の外交評論家 ( 産経新聞
          『 正論 』 メンバー )、実業家 。 元外交官 。内閣総理大臣補佐官
          ( イラク担当・沖縄担当 )、内閣官房参与 、内閣総理大臣外交顧問等
          を経て 、マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニアフェロー 、
          立命館大学客員教授 、青山学院大学特別招聘教授 。位階は正五位 。
          略 歴
           神奈川県生まれ 。鎌倉市及び藤沢市で育つ 。父親は農林省職員で 、
          父親の仕事の関係で 、中学時代2年間マレーシアの首都クアラルンプール
          に滞在した 。
           神奈川県立湘南高等学校を経て 、1968年( 昭和43年 )に 一橋大学
          経済学部を卒業し 、外務省入省 。板垣與一ゼミ出身 。ゼミの同期に鈴木
          典比古が 、1年後輩にいずれも外交官になった重家俊範 、辻本甫 、小野
          正昭らがいた 。外務省同期に東郷和彦 、馬渕睦夫らがいる 。橋本宏は
          高校・大学・外務省の 4年先輩 。在アメリカ合衆国日本国大使館参事官 、
          北米局安全保障課長 、同北米第一課長など 日米外交の有力ポストを
          歴任し 、将来を嘱望される存在だったが 、 1991年( 平成3年 )に退官
          ( 辞職 )した 。管理職となって現場に関われなくなることに不満があった
          という 。なお 、退官時の外務事務次官は 栗山尚一 、ナンバー2の外務
          審議官は 小和田恒( 皇后陛下の父 )と 渡邊幸治 。 」
          「 2020年4月24日に新型コロナウイルス感染症のため死去し 、5月7日に
          報じられた 。74歳だった 。死没日をもって正五位叙位 、旭日中綬章追贈 。
           マイケル・グリーン 、カート・キャンベル 、リチャード・アーミテージ
          などから追悼の言葉が寄せられた 。 」

         「 ブラウン運動( ブラウンうんどう 、英 : Brownian motion )とは 、液体
          や気体中に浮遊する微粒子( 例:コロイド )が 、不規則( ランダム )
          に運動する現象である 。1827年 、ロバート・ブラウンが 、水の浸透圧
          で破裂した花粉から水中に流出し浮遊した微粒子を 、顕微鏡下で観察中
          に発見し 、論文『 植物の花粉に含まれている微粒子について 』で発表
          した 。
           この現象は長い間原因が不明のままであったが 、1905年 、アインシュ
          タインにより 、熱運動する媒質の分子の不規則な衝突によって引き起こ
          されているという論文が発表された 。この論文により 当時不確かだっ
          た原子および分子の存在が 、実験的に証明出来る可能性が示された 。
           後にこれは実験的に検証され 、原子や分子が確かに実在することが確
          認された 。 」
          以上ウィキ情報 。) 



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STONE SKIPPING ちょうれん Long Good-bye 2023・06・17

2023-06-17 04:50:00 | Weblog



   今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」
  掲載の記事「 水切り 」 。
   NHK BSPのテレビドラマ「グレースの履歴 」第5話「 キャッチボール 」の
  一場面に出てくる「 水切り遊び 」のこと 。ドラマの台詞に知らない言葉がでてく
  ると 、まず SHARPの電子辞書を引いてみる 。そこにない時はネットで検索して
  みる 。きっかけの言葉は「 ちょうれん 」。何でも載ってる ネットでも 、「 ちょ
  うれん 」だけではヒットせず 検索ワード に「 水切り 」を加えて初めて行き着く
  ことができました 。

   引用はじめ 。

  「 水切り( みずきり )は 水面に向かって回転をかけた石を投げて
   水面で石を跳ねさせて 、その回数を競ったりする遊びのこと 。
   『 水の石切り 』『 石切り 』とも呼ばれる 。世界中 、ある程
   度の大きさを持つ水面と石のある場所であれば 、どこでも見られ
   る遊びである 。英語では Stone skipping 及び Stone skimming 。 」

  「 日本語
   『 水切り 』、『 石切り 』という呼称以外にも様々な呼び名が存在する 。
    • 石投げ
    • 跳ね石遊び
    • 水面石飛ばし
    • チャラ
    • チャーリィ
    • チチッコ
    • ちょんぎり
    • ちょっぴん
    • ちょうま
    • 飛び石
    • かいかい
    • ちょうれん( 跳連 or 丁連 )
    • トントンミー( 沖縄での呼称 )  」

    引用おわり 。

    水切り 以外の呼称は 、チャーリィ も ちょうれん も トントンミー も 聞いたことないなあ 。



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子子子子子子子子子子子子 Long Good-bye 2023・06・15

2023-06-15 05:35:00 | Weblog



   今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」
  掲載の記事 「 子子子子子子子子子子子子 」。

   「 子子子子子子子子子子子子( ねこのこ こねこ ししのこ こじし )は 、
    日本の言葉遊びである 。
    『 猫の子 仔猫 、獅子の子 仔獅子 』 と読む 。この問題を考え出した
    のは嵯峨天皇 、解いたのは 小野篁( おの の たかむら )であると
    伝えられている 。

    伝 承
    嵯峨天皇の時代 、内裏に『 無悪善 』 と書いた立て札が立てられた 。
    天皇が篁に読み方を尋ねたところ「 さが( 悪 )なくてよからん( 嵯峨
    天皇がいなければよいのに )」 と読んだため 、読めたのは篁が書いた
    ために違いないとして怒った天皇は 、自分は何でも読めるのだと弁明す
    る篁に 『 子 』の字を 12個 連ねたものを 差し出し 『 ならば 、これが読め
    るか 』と問うたところ 、『 ねこのここねこ 、ししのここじし 』 とたちどころに
    読んだため 、天皇の怒りが解けたという 。

    解説と成立時期
     『 子 』 という漢字には 、『 ね 』( 訓読み 、十二支から )、『 こ 』
    ( 訓読み )、『 し 』( 音読み 、呉音及び漢音 )、『 じ 』( 『 し 』
     の変化形 )の 4通りの読み方がある 。このため 、このような読み方が
     可能となる 。篁の機転をあらわす話であるといえる 。 」 

    ( ついでながらの
     筆者註 :「 嵯峨天皇( さがてんのう 、786年10月3日 〈 延暦5年9月7日 〉
           - 842年8月24日〈 承和9年7月15日 〉)は 、日本の第52代天皇
          ( 在位: 809年5月18日 〈 大同4年4月1日 〉 - 823年5月29日 〈 弘
          仁14年4月16日 〉)。 諱は神野( 賀美能・かみの )。 嵯峨源氏
          の祖に当たる 。 桓武天皇の第二皇子 。母は皇后の藤原乙牟漏 。
          同母兄に平城天皇 。異母弟に淳和天皇他 。
          皇后は橘嘉智子( 檀林皇后 )。 」       
          「 皇子皇女が多数おり 、その生活費も財政圧迫の原因となった 。
           そこで皇族の整理を行い 、多数に姓を賜り臣籍降下させた( 源氏の成立 )。
           嵯峨天皇の子で源姓を賜ったものとその子孫を嵯峨源氏という 。
           河原左大臣源融は嵯峨天皇の皇子の一人。」 ・・・ 人間天皇 お盛んだなあ
         「 漢詩・書をよくし、空海・橘逸勢とともに三筆の一人に数えられる。
           書作品としては延暦寺蔵の『 光定戒牒 』( 国宝 )が知られる 。
           また 、華道嵯峨御流の開祖とも伝わっている 。 」
          《 宝算 57 とか 》

         「 小野 篁( おの の たかむら )は 、平安時代初期の公卿 、文人 。
          参議・小野岑守の長男 。官位は従三位 、参議 。異名は 野相公 、
          野宰相 、その反骨精神から 野狂 とも称された 。
          小倉百人一首では 参議 篁 さんぎ たかむら 。 」
          《 なぜか 本文に記載はないが 、小野篁 の 生まれ年は 延暦21年
          ( 802年 )、亡くなったのは 仁寿2年12月22日( 853年2月3日 )。》

         「 嵯峨天皇が『 無悪善 』という落書きを読めと 篁 に命じたが 、篁は
          なかなか応じようとはしない 。さらに天皇が強要したところ 、篁は
          『 悪さが( 嵯峨 )無くば 、善けん 』(「 嵯峨天皇がいなければ良
          いのに 』の意 )と読んだ 。天皇は 、これが読めたのは 篁自身が書
          いたからに違いないと非難し 、篁は『 どんな文章でも読めます 』と
          弁明したため 、では『 子子子子子子子子子子子子 』を読めと言った
          ところ 、篁は『 猫の子の子猫 、獅子の子の子獅子 』と読み解き事
          なきを得た(『 宇治拾遺物語 』巻三『 小野篁広才事 』)。 」
        「 非常な母親孝行である一方 、金銭には淡白で俸禄を友人に分け与え
         ていたため 、家は貧しかったという 。危篤の際に子息らに対して 、
         もし自分が死んでも決して他人に知らせずにすぐに葬儀を行うように 、
         と命じたとされる 。
          身長六尺二寸( 約188cm )の巨漢でもあった 。なお 、当時 (平安
         時代 ) の男性の平均身長は 159.5 ~ 163.5cm ほどであった 。」
        「 承和元年( 834年 )遣唐副使に任ぜられる 。承和2年( 835年 )
         従五位上 、承和3年( 836年 )正五位下と俄に昇叙されたのち 、
         承和3年と翌承和4年( 837年 )の2回に亘り出帆するが 、いず
         れも渡唐に失敗する 。承和5年( 838年 )三度目の航海にあた
         って 、遣唐大使・藤原常嗣の乗船する第一船が損傷して漏水し
         たために 、常嗣の上奏により 、篁の乗る第二船を第一船とし
         常嗣が乗船した 。これに対して 篁は 、己の利得のために他人
         に損害を押し付けるような道理に逆らった方法が罷り通るなら 、
         面目なくて部下を率いることなど到底できないと抗議し 、さら
         に自身の病気や老母の世話が必要であることを理由に乗船を拒否
         した( 遣唐使は篁を残して6月に渡海 ) 。のちに 、篁は恨みの
         気持ちを含んだまま『 西道謡 』という遣唐使の事業を( ひいて
         は朝廷を )風刺する漢詩を作るが 、その内容 は本来忌むべき表
         現を興に任せて多用したものであった 。そのため 、この漢詩を
         読んだ嵯峨上皇は激怒して 、篁の罪状を審議させ 、同年12月に
         官位剥奪の上で隠岐国への流罪に処した 。なお 、配流の道中に
         篁が制作した『 謫行吟 』七言十韻は 、文章が美しく 、趣きが
         優美深遠で 、漢詩に通じた者で 吟誦しない者はいなかったと
         いう 。 」
        「 承和7年(840年)赦免により帰京 」
         以上ウィキ情報 。)

   よいしょもあろうが 、色んなエピソードに事欠かない 才人 二人 。
   平安時代の人も 、現代を生きる人も 、考えること 、やってることは 、おなじ 。          

 

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天平の昔から Long Good-bye 2023・06・13

2023-06-13 05:22:00 | Weblog



   今日の「 お気に入り 」は 、 「 万葉集 」 巻5 にある山上憶良 ( やまのうえのおくら )
  の「 貧窮問答歌 ( ひんきゅうもんどうか ) 」。
   筑前守として在任していたころの作と言われています 。
   貧者が問い 、窮者が答える形で 生活の苦しさを訴えた長歌で 、この歌が
  詠まれたのは 、奈良時代初期の 731( 天平3 )年ごろと言われています 。
   貧しい人( 貧者 )と 、さらに貧しい人( 生活に困窮している人:窮者 )
  が 、自分たちの貧しさを問答形式で述べあったもので 、当時の農民の貧しさ 、
  苦しさが描かれています 。民のかまどは賑わっていなかったよう 。

   ちなみに 長歌とは 、五七を3回以上繰り返し 、最後は七で終わる
  和歌の形式だそうで 、反歌( はんか )とよばれる 短歌 を詠み添えるそう 。

   以下は 、備忘の為 、ネットで見掛けた記事 からコピペしたもので 、由緒正
  しいものか 定かではありませんが 、詠み人の心情は切々と伝わってきます 。

   こういう歌を収録している「 万葉集 」は すごい と改めて思う 。

  引用はじめ 。

  「 貧窮問答歌

   風 雑 (ま) じり 雨降る夜の 雨雑じり 雪降る夜は 術 (すべ) もなく 
   寒くしあれば 堅塩 (かたしお) 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜 (すす) ろひて 
   咳 (しは) ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除 (われお) きて 
   人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖 (あさぶすま) 引きかがふり 
   布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母
   は 飢え寒 (こご) ゆらむ 妻子 (めこ) どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ 
   このときは 如何にしつつか ながよはわたる

    天地 (あめつち) は 広しといへど 吾がためは 狭 (さ) くやなりぬる 日月は 
   明 (あか) しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる 
   わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 
   海松 (みる) のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの 
   まげいおの内に 直土 (ひたつち) に 藁 (わら) 解き敷きて 父母は 枕の方に 
   妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈 (かまど) には 
   火気 (ほけ) 吹きたてず 甑 (こしき) には 蜘蛛 (くも) の巣かきて 
   飯炊 (いひかし) く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 
   短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長 (さとおさ) が声は 
   寝屋戸 (ねやど) まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道
 
   世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば       」

  「 現代語訳
    風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので 、
   塩をなめながら糟湯酒 ( かすゆざけ ) をすすり 、咳をしながら鼻をすする 。
   少しはえているひげをなでて 、自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれ
   ているが 、寒くて仕方ないので 、麻のあとんをひっかぶり 、麻衣を重ね着
   しても寒い夜だ 。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ 、妻子は
   泣いているだろうに 。こういう時は あなたはどのように暮らしているのか 。

    天地は広いというけれど 、私には狭いものだ 。太陽や月は明るいという
   けれど 、私のためには照らしてはくれないものだ 。他の人もみなそうなん
   だろうか 。私だけなのだろうか 。人として生まれ 、人並みに働いているの
   に 、綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて 、つぶ
   れかかった家 、曲がった家の中には 、地面にわらをしいて 、父母は枕の方
   に 、妻子は足の方に 、私を囲むようにして嘆き悲しんでいる 。かまどには
   火のけがなく 、米をにる器にはクモの巣がはってしまい 、飯を炊くことも
   忘れてしまったようだ 。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると 、短いもの
   のはしを切るとでも言うように 、鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる 。
   こんなにもどうしようもないものなのか 。世の中というものは 。

   この世の中はつらく 、身もやせるように耐えられないと思うけれど 、
   鳥ではないから 、飛んで行ってしまうこともできない 。         」
  
   引用おわり 。

   たまには 絶食してみよう 。



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永遠の O-157 Long Good-bye 2023・06・11

2023-06-11 06:11:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」 。

  梅雨入り間近 の5月末 、ネットのニュースで こんな記事を見掛けた 。

  「 千葉・松戸の4歳女児がO-157で重症 県が感染経路を調査 」 産経新聞 5/30(火) 8:07 」

   厚生労働省のホームページには 、十年一日 、以下のような記事が掲載されている 。

   「 腸管出血性大腸菌 O157 による食中毒に注意してください 。

    ◎腸管出血性大腸菌 O157 による食中毒が発生しています 。
    ◎下痢や腹痛など体調が悪い方は医療機関を受診して下さい 。
     その際は 、食事の内容などを医師にお伝えください 。
    ◎腸管出血性大腸菌は 75℃で1分間以上の加熱で死滅します ので 、
     よく加熱して食べましょう 。

    食中毒予防の3原則
    ・ 調理前に必ず手洗い( 菌をつけない )
    ・ 生鮮食品は すぐに冷蔵庫へ( 増やさない )
    ・ 食材を中心までよく加熱( やっつける )         」

   たしかに 、腸管出血性大腸菌 O157 は 、「 75℃で1分間以上の加熱で死滅 」
  するようだけど 、死んだ菌の残骸の毒素は残るので 、食した人はその影響を
  免れない 。この種の細菌は 、元から断たねばダメなのだ 。
   何となれば 、生産国の HACCP をかいくぐって「 輸入冷凍牛肉 」に付着して
  やってくる つわもの もいるから 。この細菌 、低温には 滅法 強いらしい 。
   「 もやし 」なら 、調理前に洗えば流せるが 、「 牛肉 」は誰も洗わない 。
   凍らす前に 、洗浄すれば済む話だとは思うんだけど 、輸出国側でも 、輸入
  国側でもそれをやらない慣習があるらしい 。 そもそも 「 生肉のかたまりを
  洗浄する 」って発想が 、どこの国にもないのかも 。頭隠して尻隠さず 。
   どこの国の HACCP にも 現場には「 抜け 」がある 。
  「 O157 」 だけじゃなく 、生肉や生焼けの肉を食して 、食中毒になるのは
  自己責任の世界 、家庭でも 、お店でも 、とは思う 。君子危うきに近寄らず 。
   食べたのが 免疫力の高くない 子どもや高齢者なら 、食べさせた人 、調理し
  た人の責任もあるかも知れぬ 。 これからの季節 、調理人は気を付けなけりゃ 。

   コロナの「 5類移行 」とやらで 、感染症に対する警戒感が薄れたことも
  あるのだろう 。巷間 、子どもの感染症罹患が増えていると言う 。
  
   手洗いや消毒がおろそかになりがちだ 。
   他に手がないなら「 習慣 」にしとかなくっちゃ 。

   細菌だって 、ウィルスだって 、出所・発祥がどこの大陸か 、遺伝子検査で わかる 。
   皆が口を噤んで言わないことは 、大抵 本当のこと 。



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