「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2020・01・27

2020-01-27 04:44:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


           冬の日に冬の音あり山かいを

               飛びゆく鳶の羽音やいかに


           冬の日に冬の音あり深き谷

               鳴りとよもして渡る風あり

     
                   ( 加島祥造 )









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Long Good-bye 2020・01・25

2020-01-25 04:15:00 | Weblog








   今日の「お気に入り」は、頼山陽( 1780 -1832 )の「母を送る路上の短歌」。


     「 東風(とうふう)に 母を迎えて来たり

       北風(ほくふう)に 母を送りて還る

       来(きた)る時は 芳菲(ほうひ)の路(みち)

       忽(たちま)ち 霜雪(そうせつ)の寒と為(な)る

       鶏(とり)を聞いて 即ち足を裹(つつ)み

       輿(こし)に侍(じ)して 足槃跚(はんさん)たり

       兒(じ)の足の 疲るるを言わず

       唯(ただ)母の輿の 安きを計る

       母に一杯を献じて 兒も亦呑む

       初陽(しょよう)店(みせ)に満ちて 霜已に乾く

       五十の兒に 七十の母有り

       此の福(さいわい)人間得(う)ること 應(まさ)に難(かた)かるべし

       南去北來(なんきょほくらい) 人織るが如きも

       誰人(たれびと)か我が兒母(じぼ)の 歉(よろこ)びに如(し)かんや 」  
          
     







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Long Good-bye 2020・01・22

2020-01-22 05:00:00 | Weblog







    今日の「お気に入り」。


     「 いまSNSは罵倒と呪詛の言葉が渦巻いていますけれど、口汚く人を罵る人た

      ちを駆り立てているのは実はおおかたが嫉妬です。言うと怒るので、あまり言

      わないようにしていますけれど、人を罵倒する人間を駆り立てている一番強い

      感情は嫉妬です。

       彼らが怒っているのは、彼らの罵っている相手が『 オレがいるはずの場所 』

      を占めていると思っているからです。

       『 人々が注目しなければならないのはオレだ、人々が意見を拝聴しに来なけ

      ればならないのはオレだ、人々が敬意を払うべき相手はオレだ、なんでオレの

      席にお前がいるんだ。場所を代われ 』と言っているんです。

       それは彼らが『 自分より格下 』だと思っている人間を相手にしないことか

      らわかります。

       そんな人間と居場所を交換してもしようがないからです。

       彼らが欲しいのは『 彼らのもののはずなのに彼らに与えられないもの 』で

      す。それが彼らに与えられないのは、誰かが不当にそれを占拠しているから

      です。

       そう思うからこそ、そういう手ごろな相手を探し出して罵倒し、嘲弄し、

      冷笑する。

       別に論破したいわけじゃないんです。もちろん、話し合いをして、説得し

      たいわけでもない。自説が正しいことを理解してほしくて言葉を発してい

      るわけじゃない。ただ、『 そこをどけ 』と言っているだけなんです。

       それは彼らが匿名で発信していることから知れます。

       『 そこはオレのいるべき居場所なんだから、そこをどけ 』と言ってい

      る人は『 今のオレは “ ほんとうのオレ ” じゃない 』と思っています。

      だから、名乗らない。それは『 ほんとうのオレじゃない誰か 』の名前

      だからです。

       いま自分が嘲弄し、罵倒している相手を『 そこ 』から追い出して、自

      分が代わって、その地位を占めることになったとしたら(あまり望みはな

      さそうですけれど)、そのとき、そこにいるのが『 ほんとうのオレ 』で

      す。

       それまでは名乗るべき名前を持っていない。

       だから、匿名でしか発信することができない。

       これは『 しなかったことについての後悔 』と構造は同じです。

       後悔を引き受ける人間がいないように、『 そこをどけ 』と言っていな

      がら、『 そう請求しているあなたは誰ですか? 』という問いには答えな

      い。

       だから、匿名者はどれだけ大量の発言をしても、その成否や正誤から学

      習することができません。だって、その責任であれ、功績であれ、それを

      引き受けるべき固有名の人間が存在しないんですから。

       ノーベル賞級の発見をした人間がSNSに匿名でそれを公開するという

      ことはありえません。匿名だとその功績を『 自分のものです 』と請求

      することができないからです。賞金も特許権も国民栄誉賞ももらえな

      い。

       だから、ほんとうに大切なこと、『 自分が言わなければ誰も言わない

      こと 』を言おうと思う人は、決して匿名で発信しない。

       僕はそういうふうに考えています。だから、匿名で送られてくる言葉

      にはいっさい反応しません。それは『 発信者が匿名だから 』じゃあり

      ません。『 発信者が誰でもない人間 』だからです。」

   
       ( 内田 樹著 「そのうちなんとかなるだろう」 ㈱マガジンハウス刊 所収 )




    よまずにスルー、そっこうサクジョ。


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Long Good-bye 2020・01・19

2020-01-19 05:11:00 | Weblog





    今日の「お気に入り」。


      「 凱風南よりして彼の棘心(きょくしん)を吹く」


                ( 詩 経 )



      凱風というのは初夏に南から吹く風のことだそうです。

      その風に吹かれると、とげのあるいばらの芽も開く。














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Long Good-bye 2020・01・14

2020-01-14 06:00:00 | Weblog


                                                      



   今日の「お気に入り」は、昨日の続き。


    「 両者の違いは子どもや英語学習中の外国人が重点的に教わるポイントだが、オックスフォ

     ード英英辞典のサイト( oxfordlearnersdictionaries.com )によれば、シンパシー

    ( sympathy )は『 1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけ

     ていることを示すこと』『 2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為 』

    『 3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解 』と書かれている。

     一方、エンパシーempathy )は、『 他人の感情や経験などを理解する能力 』とシン

    プルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは『 感情や行為や理解 』なのだが、エン

    パシーのほうは『 能力 』なのである。前者はふつうに同情したり、共感したりすることの

    ようだが、後者はどうもそうではなさそうである。


     ケンブリッジ英英辞典のサイト( dictionary.cambridge.org )に往くと、エンパシー

    の意味は『 自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や

    経験を分かち合う能力 』と書かれている。

     つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような

    意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自

    然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわい

    そうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパ

    シーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。

     EU離脱派と残留派、移民と英国人、様々なレイヤーの移民どうし、階級の上下、貧富の

    差、高齢者と若年層などのありとあらゆる分断と対立が深刻化している英国で、11歳の子

    どもたちがエンパシーについて学んでいるというのは特筆に値する。」



    (ブレイディみかこ著 「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 」 新潮社刊 所収)











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Long Good-bye 2020・01・13

2020-01-13 05:19:00 | Weblog
                                                   



   今日の「お気に入り」は、昨日の続き。


    「 英国の子どもたちは小学生のときから子どもの権利について繰り返し教わるが、ここで

     初めて国連の子どもの権利条約という形でそれが制定された歴史的経緯などを学んでいる

     ようだ。

     『 そういう授業、好き?]』とわたしが聞くと息子が答えた。

     『 うん。すごく面白い』

      実はわたしが日々の執筆作業で考えているような問題を中学1年生が学んでいるん

     だなと思うと複雑な心境にもなるが、シティズンシップ・エデュケーションの試験で最初

     に出た問題がエンパシーの意味というのには、ほお、と思った。

   『 エンパシーって、すごくタイムリーで、いい質問だね。いま、英国に住んでいる人たち

     にとって、いや世界中の人たちにとって、それは切実に大切な問題になってきていると思う

     から 』

     『 うん。 シティズンシップ・エデュケーションの先生もそう言ってた 』と、ちょっと誇

     らしげに顎をあげてから息子は続けた。

     『 EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越え

     ていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像して

     みることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみることこれからは『 エンパ

     シーの時代 』
、って先生がホワイトボードにでっかく書いたから、これは試験に出るなっ

     てピンと来た 』 

     エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。」


    (ブレイディみかこ著 「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 」 新潮社刊 所収)











   
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Long Good-bye 2020・01・12

2020-01-12 05:00:00 | Weblog

                                                  



   今日の「お気に入り」は、昨日の続き。


    「 『 試験って、どんな問題が出るの? 』

     と息子に聞いてみると、彼は答えた。

     『 めっちゃ簡単。期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。で、次が

     『子どもの権利を三つ挙げよ』っていうやつ。全部そんな感じで楽勝だったから、余

     裕で満点とれたもん 』

      得意そうに言っている息子の脇で、配偶者が言った。

     『 ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、

     めっちゃディープっていうか、難しくね?で、お前、何て答えを書いたんだ?』

     『 自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた 』

      自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に

     立ってみるという意味だ。日本語にすれば、empathy は『 共感 』、『 感情移入 』

     または『 自己移入 』と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみると

     いうのはすこぶる的確な表現だ。

     『 教育を受ける権利、保護される権利、声を聞いてもらう権利。まだほかにもあ

     るよ。遊ぶ権利とか、経済的に搾取(さくしゅ)されない権利とか。国連の児童の

     権利に関する条約で制定されてるんだよね 』」


    (ブレイディみかこ著 「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 」 新潮社刊 所収)





     「『自分で誰かの靴を履いてみること』という英語の定型表現 」にも、色々な言い回しが

     あるようです。" Try putting on someone's shoes " とか " Stand in someone's shoes "とか

     " Put oneself in someone's shoes " といった表現の他に、意味から入って " Put yourself in

    their position "
とか、あるいは端的に " Think in their shoes " といった表現もあるようです。
     
    





   
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Long Good-bye 2020・01・11

2020-01-11 04:50:00 | Weblog
                                                 



   今日の「お気に入り」。


    「 英国の公立学校教育では、キーステージ3(7年生から9年生)から

     シティズンシップ・エデュケーション(日本語での定訳はないのか、

    『 政治教育 』『 公民教育 』『 市民教育 』と訳され方がバラバラの

     よう)の導入が義務づけられている。英国政府のサイトに行くと、イン

     グランドで行われている、中学校におけるシティズンシップ・エデュ

    ケーションのカリキュラムの要約があがっていた。

     シティズンシップ・エデュケーションの目的として、『 質の高いシテ

    ィズンシップ・エデュケーションは、社会において充実した積極的な役

    割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供する

    ことを助ける。シティズンシップ・エデュケーションは、とりわけデモ

    クラシーと政府、法の制定と順守に対する生徒たちの強い認識と理解を

    育むものでなくてはならない 』と書かれてあり、『 政治や社会の問題

    を批評的に探究し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主

    張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならな

    い 』とされている。

     キー ステージ3では、議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、

    法の本質や司法制度、市民活動、予算の重要性などを学ぶらしいのだ

    が、こういったポリティカルな事柄をどうやって11歳の子どもたち

    に導入していくのだろう。」


    (ブレイディみかこ著 「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 」 新潮社刊 所収)










   
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Long Good-bye 2020・01・08

2020-01-08 04:55:00 | Weblog




                                         


   今日の「お気に入り」は、昨日の続き。


     「 だから、この人にはまだまだ発現されていない才能があると思ったら、この人

      にはもっと傑作を創り出してほしいと思ったら、骨がきしみ、血が出るような批

      判をして、けってんを補正させるよりは、どうやったら『傑作を創る気』になっ

      てくれるか、僕はそれを考えます。

       そして、経験的にわかったのは、人にほんとうに才能を発揮してほしいと思っ

      たら、その人の『これまでの業績』についての正確な評価を下すことよりも、そ

      の人がもしかすると『これから創り出すかもしれない傑作』に対して期待を抱く

      ほうがいいということです。

       だから、僕が世間的にはまったく無名な人に対して敬意を表するのは、『この

      人がこれから創り出すかもしれないもの』に対する期待を感じるからです。

       そういうのはわかるんです。才能のあるなしは、それがまだかたちになってい

      なくても、わかる。

       そして、才能はしばしば『あなたには才能がある』という熱い期待のまなざし

      に触れたことがきっかけになって開花する。

       才能はそこに『ある』というより、そこで『生まれる』んです。

       だから、僕はこの世界を、豊かな才能と、彼らの創り出した作品によって満た

      されたものにしたいと願うので、批判するよりはほめ、査定するよりは期待す

      るようにしています。

       今の話は創作についてですけど、それとまったく同じことは教育についても言

      えるんです。


      ( 内田 樹著 「そのうちなんとかなるだろう」㈱マガジンハウス刊 所収 )








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Long Good-bye 2020・01・07

2020-01-07 04:50:00 | Weblog


                                    



   今日の「お気に入り」。


     「 どんな人でもいろいろな面がある。いいところもあるし、嫌なところもある。

      面白いところもあるし、つまらないところもある。ユニークなところもあるし、

      凡庸なところもある。あって当然です。

       僕はその人の一番『いいところ』、一番『面白いところ』、一番『ユニーク

      なところ』だけを見るようにしています。

       相手も生身の人間ですからいろいろとアップダウンがあり、凹凸がある。

       クリエイターの場合だと、『これは傑作だけど、こちらはイマイチ』とい

      うような質のバラツキは必ずあります。

       でも『このへんはイマイチですね』なんてことを本人に面と向かって言っ

      てもしようがない。本人だってそれは重々承知しているわけですから。

       批判されたり、面罵されたりした人が、そう言われることでやる気を出し

      て、その次によいものを仕上げるということはふつうありません。

      ( 中略 )

      人に質の高いものを生み出してほしいと思ったら、いいところを探し出して、

     『これ、最高ですね』『ここが、僕は好きです』と伝えたほうがいいに決まっ

     てます。

      少なくとも僕はそうです。批判されたら落ち込む。ほめられるとやる気にな

     る。当たり前ですよ。

      肺腑をえぐるような批判をされてボロボロになるのは、もちろんその批判が

     『当たっている』からです。

      でも、批判が当たっているからと言って、それでその次の仕事に向かって

     『さあ、やるぞ』と意気軒高になるということはありません。

      同じような失敗をしないように警戒心は高まるでしょう。欠点は補正され

     るでしょう。でも、そのせいで魅力的な部分がより開花するということは

     ありません。

      絶対にありません。

      批判を受けたせいで魅力が増すということはないんです。

      というのは、才能ある人の魅力というのは、ある種の『無防備さ』と不可

     分だからです。

      一度深く傷つけられると、この『無防備さ』はもう回復しません。その人

     の作品の中にあった『素直さ』『無垢』『開放性』『明るさ』は一度失わ

     れると二度と戻らない。


      ( 内田 樹著 「そのうちなんとかなるだろう」㈱マガジンハウス刊 所収 )








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