Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

輸入カブトムシ

2005-07-30 10:45:13 | 農村環境
 昨日の朝のNHKニュースで、輸入カブトムシが取り上げられていた。ここ数年来輸入個体数は増えているようで、カブトムシ以外の昆虫類を含めると百万匹以上の固体が輸入されるようになったという。NHKのニュースでは、今まで高価で手の届かなかった昆虫、そして本でしか見ることのできなかったカブトムシが、手にとって触れられるようになったという、どちらかというと、好イメージでとらえ、最後に若干の問題性を説明して終わった。
 1999年から農水省が外国産クワガタの輸入を大幅に解禁した。これにともない年々輸入個体が増えてきたようだ。ちょうど別のラジオで中国海老の規制の話をしていた。いずれにしても飽食、所有欲といった日本人の性格だろうか、さまざまなものを輸入してきた。その結果として、問題を絶えず与えてきた。輸入昆虫が生態系に影響があることはいうまでもない。

危険にたたされた日本の昆虫

 最近話題のアスベストが、危険であることを認識していたにもかかわらず、そこにつながる利益優先業者にだまされたのか、あるいはだまされた顔をして黙認してきたのか、規制をかけずにきた。そして多くの人命を失い、これからもその病を発症するという、悲劇を引き起こしてしまっている。これは同じ問題といえるだろう。なぜ、輸入のカブトムシを子どもたちに体感させなければならないのか。そこから問題が始まる。
 ①ひとつは、どういうものでも利益が生まれるなら商売にしようという、この世の中の不幸があるだろう。合法的であるなら、隙間をぬって何でもありなのである。そして、隙間をぬって既成事実を作ってしまえば、法制化する際にさまざまなバック体制を整えておけば、ある程度は理由をつけて規制を遅らせることができる。マスコミは、事件が起きると、そうしたお役所的な流れを批判するが、では、もっと早く指摘して、あとの祭りではないような報道をなぜできないのか。結局は、もっとも影響の大きい民間放送そのものが、視聴率を第一とした利益優先にあるのだから、マスコミそのものも不可解なものとして捉えざるをえない。よく、民間の力というが、確かに競争力は高まるが、つまりは利益優先であって、矛盾なのである。
 ②子どもたちが金を使って生き物を手にする、というのがいけない。かつてなら、自らの手で、足で昆虫は捕まえたものである。ところが、最近は農村部でも、子どもたちは昆虫に興味を示さない。あたりまえといえばあたりまえで、ほかに楽しいことがあれば興味を引くわけがないのである。昨年のちょうど今ごろ、地元の自治会で夏祭りをした。その際、祭りを主催した地区公民館の親方が、子どもたちにカブトムシをわけてあげようとして、たくさんとってきて、カゴに入れてゲームの景品とした。最初のうちは子どもたちも興味を示していたが、そのうちに「なんだ、ふつうカブトムシか」という感じで、用意したカブトムシ全てをさばくことができず、最後は無理やり配ったという感じであった。子どもたちの金銭感覚のなさから、通常のものでは満足できなくなってしまっている。いっぽうで、最近は生き物の住める川にしよう、というと、子どもたちを招いて改修する水路の生き物を引越しさせたりする。そんな催しをしなくては何か行動をおこせない、また、そうした行動に子どもを客寄せパンダのように利用するのはいかがなものだろう。すべてが家庭の役割崩壊の産物と言えはしないか。
コメント    この記事についてブログを書く
« 盆の始まり | トップ | 行って参ります »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事