Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「地図」について 前編

2024-05-07 23:07:31 | 信州・信濃・長野県

 『地図中心』(一般財団法人日本地図センター)についてこれまで2回ほど引用して日記を記した。そもそも地図に興味がもともとあった。今は長野県民俗地図なるものに傾向しているが、ちょっと意味合いが違う。後者は表現方法として地図、といっても略図のようなものだが利用しようとしているもの。前者はまさに「地図」である。地図と言えば国土地理院の地図を思い浮かべるのは、仕事がらかつてはこの地図を多用していたからだ。しかしデジタル時代になって、かつてのような柾版の国土地理院の地図を広げることはなくなった。かつて会社の図面用の引き出しに国土地理院の柾版の地図がたくさん購入してあっていつでも利用できるように確保していたもの。したがってちょっと私用でいただくこともあった。いつごろから柾版の地図を利用しなくなったのだろう、と振り返るが、もうずいぶん以前からだ。やはりパソコンがウインドウズ時代に入ってからだろうか。したがって30年近いことになり、そもそも柾版の国土地理院の地図など「知らない」と言う人も多いのだろう。

 さて、その国土地理院の地図も昔とはだいぶデザインが変わっている。海青社というところから『読みたくなる゜地図」』なる本が出版されている。シリーズもので何冊も出版されているようだが、そのうちの「地方都市編②」には駒ヶ根市と佐久市が取り上げられている。「日本の都市はどう変わったか」をテーマにしているもので、2万5千分の1の地図の過去と現在の地図を並ぶて記述している。この2市を担当されたのは長野県環境保全研究所の浦山佳恵さん。同所の人文担当の方で、とりわけ長野県民俗の会で活動を共にさせてもらっている。そんな浦山さんから駒ヶ根市を担当するにあたり、過去とどのようなことが変わったか話を聞かせてもらいたいと連絡があったのは一昨年だっただろうか。「地方都市編②」は昨年の7月に刊行されている。わたしで良いのだろうかとも思ったが、浦山さんにとっては南信の小都市のことはあまり身近ではなかったことから、初歩的な情報源ということで少し駒ヶ根のことについて話をさせていただいた。ただ、そもそも過去と現在と言っても、駒ヶ根市は「それほど変わっていない」というのがわたしの印象だった。地図上で大きく変わった出来事と言えば、農村だから「ほ場整備」。しかし駒ヶ根市でのほ場整備のピークは昭和50年以前のこと。過去のいつの地図を採用するかにもよるが、今回は昭和51年の地図が過去の地図として取り上げられた。したがって地図の変化を著しく示すことになる道路の配置はほとんど変わっていない。加えて当時は既に中央自動車道が開通していた。あえて大きな違いは地図標記がかつてと今では異なるということ。ようは地図上の物の変化というよりは、ソフト上の変化が著しく見て取れる、というところ。その中でどうしても物の変化を上げるとすれば、看護大学がかつてはなかったこと、スキー場がなかったこと、国道バイパスがなかったこと、それに加えて現在の文化会館のところに昭和51年の図では昭和伊南病院があった。その昭和伊南病院も数年後には移転して本に掲載されたエリア外に建てられる予定。

 いずれにしても、駒ヶ根市という選択肢は編集者からのものなのかもしれないが、比較してもそれほど変化のない駒ヶ根市ではちょっと解説が難しかったかもしれない。そのせいもあるのだろう、解説では地図外にあたる中央アルプスのことや養命酒駒ヶ根工場といったことにも触れている。

続く

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