Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

山奥の井水へ

2017-11-16 23:06:49 | 農村環境

 

 

 

 

 仕事で小沢川の奥へ入った。いわゆる権兵衛トンネルが開くまでは木曽へ行く主要な道路だった権兵衛峠越えの道は、今は南箕輪村境(伊那市域を上っていくと、南箕輪村の飛び地に入る)から一般車両進入禁止となっている。雪が舞う中、アスファルトの道一面にカラマツの葉が敷き詰められたように落ち、晩秋の色合いが強い。国道361号権兵衛トンネル道路の与地から林道を6キロほど上り、路肩に車を止めて山の斜面を1キロほど下ると小沢川の最上流にあたる北沢に出る。その北沢で取水しているのが与地井という農業用の用水路。その名の通り、権兵衛トンネル道路の麓にある与地地積に水を引いている。延々と山腹を引いているだけにその管理は容易ではない。取水口までたどり着くにも前述の通り。ここの取水口を訪れるのは6年ぶりくらいだろうか。遠隔の地なだけに、そう何度も訪れたわけではないが、ここを訪れる度に、その大変さを体感している。

 カラマツ林が晩秋の模様を描いていた。そしてすぐそこまで雪が来た。

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水の都

2017-10-26 23:40:18 | 農村環境

楽寿園 縄状溶岩

 

源兵衛川

 

 世界かんがい施設遺産、とはいえ、著名なかんがい施設がそれらに登録されていることは言うまでもない。長野県内でも登録されている施設はあるが、誰でも認知している施設であるということは共通している。そうしたよく知られたかんがい施設に限らず、“水”を導く施設のあり方は、農業がより一層厳しい状況に陥っていく今後、さらに広報していくことは必要になることは言うまでもない。先ごろある施設の管理者から、急遽「ここを直したい」という話があった。理由は用水路の脇に造成された宅地の法尻が湿気って困るというもの。漏水による湿気りが問題とされているわけで、原因者である管理者になんとかしろという苦情からくる。対策をしても継続するようなら裁判にするという、言ってみればこれ以上ない通告を受けたという。もともと造成地は水田。農業用の水路は水を掛けるために設けてあるから、土地よりも高いところを流れるのは当たり前。したがって漏水もごく自然の成り行きなのだが、それでは無関係な人々に理解はされない。これはコンクリートの製品を利用して整備されていた水路で、土水路でのことではない。ときにはコンクリートの水路で味気ないと言われた時代もあったが、そのいっぽうで漏水を一滴たりとも許さないという論理もある。こうした混在社会でかんがいするという実情は、さまざまな憶測や、駆け引き、妬みや嫌がらせ、そんな人の内面を垣間見ることになる。「嫌な社会」だという思いは消えず、いっぽうで良いところばかりを掲げて、言ってみれば虚像を創り上げる。世間などこんなもの、と諦めざるを得ないが、より一層そうした嫌な思いを内に込める時代になりつつあるのは、とりわけ農業を支える社会なのかもしれない。

 さて、世界かんがい施設遺産のひとつでもある源兵衛川を三島市に訪ねた。三島の中心市街地の中にある源兵衛川は中郷用水土地改良区などによって管理されている。源兵衛川の源は楽寿園である。三島駅のすぐ近くにある自然公園で、国の名勝ならびに天然記念物にも指定されている。この楽寿園内にある小浜池が源兵衛川の源流なのである。なぜここに源流があるかは、園内を歩いてみるとわかる。園内にある「縄状溶岩」は、富士山が1万年ほど前に噴火した際に流れ出したもので、このあたりまで流れ出して止まったというもの。末端部であるからこそ、富士山の伏流水もここまで流れてきて地上に姿を表すというわけなのだ。そうした湧水で成されるのが小浜池で、この池の水位は日々変化するとも言われている。とは言うものの、今はなかなか満水になることはなく、訪れた今日も渇水状態の池を見せていた。にもかかわらず、源兵衛川には豊かな水が流れている。これは「水の都・三島」の取り組みが成せたもので、「グランドワーク三島」の名はかなり世に知られている。グランドワーク三島のホームページにもあるように、「住民・企業・行政のパートナーシップを仲介することを通して、「水の都・三島」の原風景を再生し、子どもたちに受け継いでいくことを目指す」、そんなNPO法人なのである。写真のような自然流を下ること1.5キロ、そこに中里温水池があり、下流216ヘクタールほどの農業用水となっている。この用水路を起こしたのが地域の豪族であった寺尾源兵衛であり、小浜池に湧く富士山からの湧水を室町時代に引いたのだという。ところが現在の源兵衛川の水はとりわけ冬期などはそのほとんどが東レから供給されているという。安定的水源確保のためいろいろな案が検討され、そんな中から現在の東レからの供給水が実現したのだという。もちろん東レにだけ頼るのではなく、湧水の保全活動も行っているようだ。

 マチの中にもかかわらず清流が下る。脇のすぐに家々が立ち並び、「水の都」というイメージを醸し出している。ある意味、こうした取り組みが登録の原点にあるのだろう。

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平らだから、といって楽ではない

2017-10-07 23:50:11 | 農村環境

 先週から休耕していた水田の草刈をしている。初夏に一度草刈をしたが、それ以後できずに伸び放題になっていた。たまに1メートル余の丈の草があるが、ほとんどは5、60センチ以下のもの。ところが秋を迎えて既に倒れ始めていて、稲も倒伏していると刈りにくいのと同じように、雑草も倒伏していると刈りにくい。丈がそこそこ長いから最近使っているナイロンカッターで刈ろうとやってみたが刈りにくいので、先週はノコギリ刃に替えて刈った。確かにナイロンカッターより早いのかもしれないのだが、丈の長い草をノコギリで刈ると根元からそのまま倒れるから、倒れた草の重みが直に刈払機にかかる。これを力任せに左側に払うわけだが、これがけっこうしんどい。中腰で力を入れるから腰への負担が大きい。ずっと刈払機を動かしていると疲れるため、数分間刈っては払いを繰り返していると休みたくなる。結局休憩時間を考慮すると「早い」と思っていたのは実作業の間だけで、トータルでは同じ。むしろナイロンカッターで刈ると刈った草をはね飛ばしてくれるので、腰への負担はない。ようは燃料がなくなるまで連続的に作業ができる。

 先週はノコギリ刃で2畝ほどの田んぼを刈り払ったが、今日はすったもんだして結局ナイロンカッターの方が楽だと気がついて、途中からずっとナイロンカッター刃でやはり3畝ほどの面積を刈り払っただろうか。身体への負担という面でもナイロンカッター刃の方が楽だということはよくわかった。平坦地の草刈りは、もっと言えば乗用の草刈機でないととでもやりきれないということ。果樹農家が果樹園下をこの乗用の草刈機で刈るが、これがなければとてもエラくてやってらんないだろう。

 それにしても休耕しても管理は手のかかること。休耕する以前に農地を所有している者の宿命のような作業だ。

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月とすっぽん

2017-10-02 23:57:43 | 農村環境

 

 脱穀をする時期を逸したという感じを抱くほど、先週までとはうってかわって予報が思わしくない。妻は「日曜日にすれば良かった」と言うが、妻は久しぶりの同級会だったから、はなからこの日に脱穀をするつもりはなかった。加えてハザに干し始めてまだ1週間ほどということで、少し短いかもしれない。そういうこともあって、見送ったわけだが、確かに今週の天気は良くないようで、数日天候が良くないと脱穀には至らない。この季節になって天候が悪くなるのは近年毎年のことで、ハザ干しをするのが必ずしも美味しい米になるとは限らない。昨年の我が家は稲刈りの時期を逸して、乾きすぎて美味しくない米になってしまった。妻はそれまで収穫を終えると「メダカ米」として知人に分けていたが、さすがに昨年の米は人様に上げるには美味しくなかった。

 先ごろの台風18号の際に、近くのハザが風で飛ばされて、隣の田んぼまでハザが飛んだという。その田んぼは最も山つけにあって、頻繁にニホンジカに荒らされて被害を被っているし、以前からも触れているように水源にも苦労している。「こんな田んぼ辞めよう」と言っても不思議ではない環境だが、苦労しながらも稲作を続けている。形状と段差という面では我が家の田んぼよりもずっと条件が良い。我が家のあたりでハザといえば支柱と竿をしっかりと結ぶのが普通なのだが、先日西天竜の水田地帯で写真のようなハザを見た。すでに脱穀を終えていたので、紐を解いたあとだったのかもしれないが、それなら全て解かれているはずだか、竿を繋ぐ部分はまだしっかりと縛られていたので、最初からこんな感じのハザだったと思う。支柱の交点と竿の繋ぎ目は縛られているが、支柱と竿を繋いでいない。専用の三脚型の支柱を利用していて、確かにその支柱はU字型に受けがあるものの、揺れた場合は外れないとも限らない。そもそも繋いでいないと揺れが大きくなる。風の弱い地域なら良いが、段丘上の水田地帯は伊那谷では風が強いことで知られている。稲の自重で安定はしていても、横からの風が吹けば転倒する可能性もある。わたしが作るハザとは“月とすっぽん”くらいに違う。

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ハザ掛け2017

2017-09-26 23:12:30 | 農村環境

 

 ハザ掛け2015 第3章において、阿南町帯川のハザを紹介した。そこではこう記している。

最も特徴的な点は、笠に被せたブルーシートの先端を、わざわざ稲から離れたところに遠ざけている。ハの字をかいた支柱にシートの端っこを止めるための棹を通し、そこに端部を固定しているのである。ようは雨傘のように。さすがにこんなハザ掛けはよそで見たことがない。この方が降った雨を稲に垂らさず、地面に直接落とすことができるというわけだ。

ブルーシートを掛けているが、稲を包むようににはせず、屋根を作ってブルーシートに伝った雨を稲から遠ざけて落とすようにしている。西天竜の水田地帯からハザが減っているということを書いたが、減ったとはいえまだまだハザが作られて稲が干されている光景は多い。このエリアでは稲の天端にブルーシートを掛ける事例は、全体の半分以下の4割くらいといったところだろうか。それらブルーシートは垂れ下がった端部が風になびいていることが多い。下伊那地域では端部についたリングに紐を通し、天端に掛けた両端は稲束の中を紐を通して端部同士を結んでいる。ところが西天竜のブルーシートは前述したように風が吹くとたなびく。ようは端部をきっちり縛り付けないから垂れ下がっていて風が吹けば端部が揺れるというわけだ。なぜこんなだらしない掛け方をするのだろう、そう考えていたら写真のようなハザに出会った。端部に縛り付けた紐をハの字状にハザの左右に引っ張り、稲束から離れた位置に端部が浮いている。阿南町帯川の例のように、雨粒が稲に当たらないように細工しているというところだろうか。写真の事例はブルーシートの端部をハの字状にしているが、ここまでしなくても端部を縛り付けない掛け方は、だらしなく見えはするものの、より稲を雨から遠ざけようとする意図なのだろう。下伊那地域で盛んに掛けられるブルーシートとは少し掛け方が異なる。

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稲刈り日和

2017-09-21 23:10:49 | 農村環境

 

 会社でも「稲刈り」だからといって休みをとる人が…。かつてならもっと農作業だからといって休みをとる人がいたものだが、今は珍しくなった。なぜならば自ら農業をしている人が減ったこともあるが、農家であってもすでに農業をしていない人も多くなった。もちろんそれは「農家」ではないのだろうが…。「こんなはずでは…」、そう思っている今年の9月だ。このところ盛んに触れているお船祭りの調査で、土日といえば埋まっている。加えて立て続けに母を亡くして義理も忙しかった。ということで稲刈りをする日がない。先日もお船祭りの現場でこのことについて聞いてみた。ようは稲作地帯だから、農業が忙しくはないのか、と。かつては毎日のようにお船の準備をしたというから、農繁期の中でどうやりくりしていたもなのか。かつては収穫がもっと遅かったから影響なかつたのかもしれない。

 すっかり稲刈り日和となっているここむ数日、天候の様子をうかがって「明日は休みます」という会話が聞こえる。今年になって何度か触れているが、伊那市から辰野町まで広がる段丘上の西天竜の水田地帯は、数年前に比較して稲を植えている水田が減った。転作している水田が目立つようになった。それに合わせるように、以前ならこの季節になると水田に波のように並んだ稲はざがずいぶんと少なくなった。もちろん稲を植えている水田が減ったから当然なのだが、稲が植わっていた水田でもコンバインで刈ってしまう水田が多くなった。何を意味するかといえば、農家が担い手、あるいは営農組織に作業を委託している、あるいはすべて手放している農家の面積が増えているということだ。国の施策がその方向だから当たり前かもしれないが、ここ5年でずいぶん変化したといえる。

 とはいえ西天竜の水田は1反歩程度と小さい。今日も段丘崖のようなところにある小さな水田に、大型のコンバインが入って稲刈りをしていたが、いつまで経っても終わらなかった。見ていると後進しては前進を繰り返して刈っていた。水田が小さくて回転するより前後の動きだけした方がやりやすかったようだ。現場のすぐ隣の水田でバインダーで稲刈りを始めたおじさんは、隣の家の水田を刈っているとか。忙しいから刈って欲しいと頼まれたとか。刈り倒すだけ頼まれて、持ち主は明日仕事を休んではざ掛けをするんだとか。あちこちで稲刈りの最盛期である。

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ワレモコウ

2017-09-08 23:58:46 | 農村環境

 

 

 西天竜の水田地帯を仕事で歩いていた。この地域は先日も触れた上伊那南部に比較すると草刈の頻度は低いようで、草丈の伸びた畔が多い。もちろん、多いという印象に過ぎないが、そんななか写真のようにワレモコウの株を残して草を刈ってある畔に出会った。このエリアでこういう光景を見ることはあまりなく、ちょっと感動ものだった。と思っていたら、同じエリアの別の水田の畔でも、同じようにワレモコウの株を残している畔があった。離れているから同じ人ではないだろうが、希少なものを残そうという農家が少し増えている印象を持った。

 そもそもこのエリアの水田は昭和の初めから戦前を中心に開田されたところ。そのまますでに80年ほど経過しているから、いわゆる高度成長時の開発による環境の変化は起きていない地域。したがって観察すればそこそこかつての植生が残っている可能性は高い。とはいえ、草刈の管理は昔と大きく変化しているから、昔のままにというわけにはいかないだろう。ワレモコウについては、5年前に伊那で働いていた時にも、西天竜のエリアでよく目にしていた。したがってこのエリアではふつうに生えていた花ではあるが、徐々に減少しているのだろう。何といっても丈が高いから、雑草が伸びても覆われることはなく、丈の短いものに比べたら残っていきそうな種である。

 今日は風が強く、久しぶりの天候で強い日差しが刺しているものの、比較的涼しい風が肌をなぞる。ワレモコウの向こうに空に突き出るように立っている碑は、それこそ西天竜の碑である。このあたりから眺めてみると、やはりその大きさが突出している。ちまたにこういう碑を見ることはめったにないこと。

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水路を覆いつくす草のこと

2017-09-07 23:04:53 | 農村環境
 先ごろ“もうひとつの「見事な〝畔〟」”で触れたが、伊那市以北の水田地帯では草だらけの畔が多いことを記した。草刈の頻度がまったく異なるのだが、とりわけ草刈が行われていない水田に、営農組織が耕作しているという表示がされていた。そこに植えられている稲にはこの時期にしてはも全く穂がなく、青々しているのでいったい何だんだと思っていたら、いわゆる飼料米だという。すでに周辺が黄色くなって収穫間際だというのに、青々しているような稲は飼料米のようだ。肉牛に飼料米を食べさせるという話は、ここ数年仕事で縁のある肉牛農家の方から何度か聞いていた。わたしの生活エリアでは見ることがないが、肉牛農家があるような地域にはけっこう飼料米の姿が見えるようだ。
 
 こうした資料米が植えられている水田の畔がとりわけ雑草が多かったからではないが、飼料米はいわゆる食用の米のような病気にかかるのかどうなのか。そんなことを考えていたら、ふつうの米に比べたら雑草管理は重要視していないのかもしれない。とはいえ、ふつうの稲を植えた水田も混在しているから、そうした飼料米を作っている水田の周辺でふつうの米を作っている人たちには、ちょっと迷惑なのかもしれない、そんなことを感じた。
 
 昨日も触れた暗渠の出口から下流には水田地帯が広がり、黄色く穂が垂れていたわけだが、そうした中にも青々した水田が少し見られた。ここでも飼料米を作っている人たちがいるよう。そんな水田地帯を潤すための幹線水路なのだが、水路がすっかり消滅している。というのは草に覆われて水路がすっかり隠れてしまっているのだ。小さな水路ではない。幅にして1メートルほどある水路だから、少しくらい草が伸びてもそれが見えなくなってしまうことはない。にもかかわらず消えているのだから、いかに丈の長い草が垂れるように生えているか解るだろう。理事長さんに「こういう水路の草は誰が刈ることになっているんですか」と聞いたところ、周囲の水田耕作者が刈るのが今までの慣例だという。いまや慣例は伝わらなくなっている、と感じた光景である。
 
 ひとつの仕事がようやくひと段落して、今は盛んに現場に出ている。とりわけこの時期になるとそれまで盛んに管理されていた雑草が、一息ついたようにそのままにされて草丈が伸びている。5年ほど前に伊那にいた時も同じような空間を歩いたが、その時に比較すると明らかに草の管理はされなくなっていると感じる。何といってもわたしの仕事は草があると無いとでは作業効率に大きく影響する。水路が隠れてしまうど草が生えていると、水路機能の実態がすぐに把握できない。「どこで水を掛けているのだろう」、あるいは「どこで排水しているのだろう」といったことが、草をどかしてみないとわからないのだ。「前は1日にこれくらいはできたから」、という計算が成り立たないのだ。
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忘れられる背景

2017-09-01 23:56:37 | 農村環境

 近年は「盆を過ぎたら秋風が吹く」、そんな体感をすることはほとんどなかったが、久しぶりに「秋風」を盆のころから体感する夏だったのではないだろうか。何といっても盆の天候不順が際立った。盆だというのに雨ばかり。ご先祖様も、さぞ恨めしい里帰りだったことだろう。このところ9月に入っても真夏の日差しが疲れを増幅させたもの。しかし、すっかり夜間は涼しくなって、夕方も早い時間帯から草刈をする刈り払い機の音がするようになった。当然だろう、すでに午後6時半にもなればあたりはすっかり暗くなる。それでも真夏のような暑さが訪れていたのは不思議だ。

 台風シーズンと言われた9月も、意外に近年9月に大きな台風がやってこない。沖縄のサンゴの死滅は、台風の通り道が変わったせいだともいわれるが、わたしたちの生活がどう気候と連鎖してくのか、興味深いところ。巷ではすっかり長袖を着用する人が多くなった。混在の季節を迎えたと言って良いが、衣替えまでにはまだ1ヶ月もある。

 毎年のことながら、気がつけば9月、とばかりに仕事の進捗に頭を抱える季節だ。かんがい期間を終えるのも間近。わたしたちの業界では1年の大きな目安となる。水が流れているか、それとも流れていないか、光景は大きく変わる。先日もある改良区の理事長さんがこんなことを口にしていた。「水を止められると、畑の野菜に水がやれなくなる」と、改良区とは無関係な人たちから意見されたと。意見された方たちは、宅地内にある家庭菜園に、水路から水を汲んで掛けていたというわけだ。「水は天下のまわりもの」、そんな風に勘違いしている人もたくさんいるのだろう。とりわけ農業用水路を行政が管理している地域と、改良区が管理している地域では背景がまったく違う。このことは以前にも述べてきたことだが、行政が管理していると住民の誰もがその水を使っても異論はあげられないかもしれない。ところが改良区となると違う。多くの負担金を支払って組織は成り立ち、水路に流れている水には改良区という組織の身銭が含まれている。したがって無関係な人が、水が流れないからといって、改良区に意見するのは筋違いなのだ。それならみんな行政が管理すれば良いではないか、となるかもしれないが、農業用水路の背景はそんな単純なものではない。繰り返すが、この農業用水路という理解がない限り、農業の将来はさらに危ういものとなっていく。

 実は農業用水路だけではなく、地方にある道路にも同じような背景があった。地方にある多くの道路が同様に農林予算によって造られた。しかし道路の場合は公にしないと目的地に行けなくなるから、行政がそうしてできた道のほとんどを市町村道として扱い、以後管理してきた。造られたときは多くの道に個人の土地が無償で提供されてきたから、今新たに造られる道や、拡幅される道とは素性がまったく異なる。このあたりを認識している人は、極めて少ない。

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もうひとつの「見事な〝畔〟」

2017-08-23 23:01:14 | 農村環境

 先日「見事な〝畔〟」を記した。正直言って、飯島町の中をあちこち回っても、雑草が伸び放題の畦を見ることはほとんどない。北隣の駒ヶ根市も幹線道路の付近では、ます見ることはない。さらに北隣の宮田村あたりまでやってくると、伸び放題とまではいかなくとも、そこそこ伸びている畔を、時おりみることはあるし、「見事な〝畔〟」で触れたような畔を見ることは希となる。同様な光景は伊那市まで続くが、西天のエリアに入ると、ちょっと様子が変わってくる。

 今日も伊那市以北のある現場に出向いたが、水路際の畔を歩くにも容易ではないほど、草丈が伸びているような水田が珍しくない。水路を草が覆ってしまっていて、どこに水路があるのかわからないような場所も…。すると水が畔の上を流れている場所が。よく見てみると水路に上流で刈った草なのか、それともゴミなのかは定かではないが、塞いでしまって流れてきた水が溢れているのである。周囲の畔に足を置くとぬかってしまうほどだから、しばらく前から溢れているよう。塞いでいるものをどけてやると、元通り溢れることなく水はすんなりと流れるようになった。周囲に最近草刈をしたような水田はなく、すでに数週間この状態だったのかもしれない。見れば周囲の水田の畔は、どこも草が伸びほうだい。とりわけいけないのは、営農組織が請け負っているような水田。中には草丈が1メートル以上になっている畔もあり、それも密集しているから見事なもの。「見事な〝畔〟」でも触れた通り、地主ではない人(法人)に預けた水田の畔は、もはや管理されているとはとうてい思えないような空間を作り上げる。

 前述したように知らずに溢れているような水路の肩は軟弱化し、水路そのものを脆弱化させ、これが続くと二次製品だから目地がずれて漏水が始まる。そもそも草刈りの管理がされないということはいろいろな面で問題を発することになる。とはいえ、この問題はそれほど認識されていない。

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見事な〝畔〟

2017-08-21 23:20:06 | 農村環境

 

 飯島町の現場を回っていて、目が留まった場所があった。ご夫婦で刈った畔草を寄せているのだが、目が留まったのは、もちろんあまりの畔の綺麗さにだった。駒ケ根市から飯島町にかけての広域農道沿いの水田の畔が、とても綺麗に刈られていることは以前にも触れた。今日のように時おり車を降りて写真でも撮ろうか、そう思うことはたびたびある。しかし、今日の光景ほどの例はこれまで見なかった。

 この地域では畔草刈りというと、もはや我が家のような手持ちの刈り払い機を使う農家はない。もちろん実家の兄もそうだが、スパイダーモアという自走式の草刈り機を使う。幅にして30センチから40センチほどの刈り幅だから、例えば写真のような畔なら、5回以上自走させることになる。その境い目に筋のように色の違いなどが出るものなのだが、ここの畔にはそうしたムラがほとんど見当たらない。すばらしいの一言につきる。そしてスパイダーモアで刈るようになってから、それほど草丈が伸びないうちに刈るようになったこともあるのだろうが、草寄せをしない農家も少なくない。実家の兄は草を寄せて乾かしてから焼いているというが、ここでは刈ってすぐに寄せてどこかへ運んで処理をしているようだ。スパイダーモアで早めに〈草丈がそれほど伸びていないうちに〉刈った草は、刈ったずぐ後でも軽そうだし、量も少ない。

 周辺一帯はこうした草刈をしているところが多い。周囲を見て刈る、いわゆる昔風の農家意識が働くと、光景は連鎖する。もちろんどこの農家も同じ時期に刈るわけではないから、伸びている畔も混在していて、圧巻というわけにはいかないが、そう遠くないところにあった高畦畔もすでに草が伸び始めているが美しい光景を見せていた。時には一斉に刈るときもあるだろう、そんな時はきっと壮観だろう。

 さて、こうした光景がいつまで続くか、微妙なところにきている。飯島町の農地集約化は100パーセントに近く、いわゆる営農センターが主体になって耕作している。しかしながら耕権の契約ではないから、こうした草刈管理は、地権者である農家が実施している。国が進めている耕作を中間管理機構を通して預けるようなシステムとなったとき、こうした光景は消える可能性が高い。

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量水樋

2017-08-04 23:23:12 | 農村環境

 

 伊那市にある取水施設には「水枡」というものが付属している例がいくつかある。よく知られたものに木曽山用水があるが、これは別名であって正式には上戸中条井という。かつて木曽側にある「水枡」も、伊那側にある牛蒡沢の水枡のことも触れたことがある。水争いが激しかったが故の施設なのだろうが、ほかの地域では聞くことのない「水枡」である。

 小黒川のある取水施設にもこの「水枡」というものがある。明治36年3月20日付けの「和解條約書」というものがあり、そこには「多年争論に係わる分水事件に付」当時の上伊那郡長と上伊那農会幹事長を仲裁人として分水の細かい決め事が書かれている。とりわけ「水枡」のことについて條約書の中では「量水樋」と記しており、取水箇所にこの量水樋を設けることとしている。その主旨は取水量を一定にするためである。その「量水樋」について「幅三尺五寸深四寸長二間とし水平に敷設し小黒川本流に沿える一邉に於て余水の自然に本川へ逃流するの装置を為すものとす」と記されている。その後何度かこの量水樋は造り変えられてきているが、今もなお量水樋の大きさはこの記述通りとなっている。深さ4寸という浅い水路のようなもので、これ以上は余水されるというわけである。その名のとおり、「量水樋」なのである。

 この量水樋のすぐ下に小さなボックスが棒に付けられている。中には日々の管理をした方の名前が記されている。日付の最初は1月1日。以後毎日記されているが、次に1月1日と同じ方に回ってくるのは43日後のこと。

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堤の草刈

2017-07-30 23:58:33 | 農村環境

 朝6時から堤(ため池)の草刈だった。近年は1時間余、午前7時過ぎには終わっていた草刈だが、今年は午前8時過ぎまでいつもの倍近くかかった。車道からのアプローチが長いこともあって、歩く程度ではあるが3尺ほどの幅で約100メートルの草刈もしなくてはならない。以前は当番がアプローチ分について事前に草刈をしていたのだが、関係者が4軒しかなく、当番だけにその負担を強いるのも大変だということで、この日同時に行うようになった。そういうこともあって、以前より少し時間を要すようになった。今でこそ奥まったところにある堤に用事のある人は、堤の関係者くらいだが、かつては堤の周囲にも段々の田んぼが何枚もあった。堤だけに行くためのアプローチではなく、耕作者のための道、ようは農道だったわけである。拡幅がならなかったため、また周囲の水田の条件が悪いため、3尺にも足らないような道になっているが、かつて周囲が耕作されていた時代には、明らかに周辺の関係者がアプローチの草は刈っていたはず。荒れ放題になることによって、草を刈らなくてはならないというニーズはため池関係者だけになってしまったというわけだ。こういう事例は山間の農業空間では当たり前のように発生している事象。田んぼ1枚耕作するにしても、周囲がみんな耕作放棄してしまうと、そうした空間環境は著しく低下する。それでもって周囲の草が押し寄せてくるから、自ずと耕作しようとする人の負担が大きくなる。耕作放棄の背景には、何といっても管理されている、ようは耕作されていることによる管理の手数の問題が大き横たわっている。耕作放棄しながら畦畔にしても、水田にしても、耕作している時と同じような管理(とりわけ草刈)を実施する人はほとんどいない。

 草刈を終えた後、来週に予定されている下の堤の草刈の事前草刈を行った。こちらのため池の関係者はもう少し人数が多いこともあって、遠隔から加わっているわたしはいつも当日の参加は遠慮している。そういうこともあって事前に人数割以上の草刈を事前に行って許しを得ているというわけだ。朝方行った草刈をした堤も、そして下の堤も、いずれも堤の土手の法尻に続いて我が家の水田がある。もちろん耕作放棄しているから、いずれも丈の長い草はもちろん木々も伸びている状態であるが、前述したように我が家がここを耕作していれば、堤の管理もしやすいのだろうが、荒れ放題になっているため、我が家の土地からも草がどんどん伸びている。昨年も草を刈りながら思った「これほど伸ばしてしまう前に一度刈っておけば楽なはず」、がまったく学習になっていなかった。1年ぶりにこの丈の長い草を刈りながら、昨年同じ場所に身を置きながら感じたことを思い出していたような次第だ。繰り返すが周囲が耕作をするということは、それほどの格差に繋がるということ。何しろ3メートルはあろう丈の草は、刈り倒すと自分に向かって寄りかかってくることもたびたび。加えて丈の長い草が倒れると、まだ刈っていない場所を覆ってしまい、それらをどかさないとその下の草が刈れないという面倒なことになる。

 ため池については、草刈を年1回実施するところが多い。そしてこの草刈が行われているかどうかが、ため池への依存度の証にもなる。ようは草刈を実施ないようなため池は、「使われていない」と判断しても良いほど。最低限の管理としてこの草刈がある。

 ということで堤の草刈で今日は終わった。

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変わりゆく畦の姿

2017-07-19 23:13:56 | 農村環境

 先日、仕事である水田地帯に足を運んだ。意外に畦に草が茂り、「このあたりは草刈をしないのか」、そう思わせた。よく見ると、畦に立札が立っている。いわゆる法人が耕作しているという表示。この地域ではそうした立札がない水田でも草刈があまりされていないから、法人だからといって何かが違う、という風でもなかった。我が家の畦の草刈をしていてよく思うのは、そもそもいまだ水田に道がつながっていないような地域にあっては、他人に耕作してもらおうと思っても受け手がいないだろう。今や国の施策はこうした条件不利地に多く発生している耕作放棄地の解消を目的に農地バンクとも言われる組織に積極的に農地集約を促している。つい数年前までは作業の受委託を促していのに、今や耕作を完全な形で委託する流れだ。ますます農業の集約化が進む、ということは農業をしない人が多くなる農村。そうなったとき、果たして土地管理はもちろんだが、農業用水利施設の管理がどうなっていくのか、不安は多い。生業としての農業を目指すわけだから、これまでのようにサラリーマンをしながら、あるいは自らの食料保持のための農業は消滅していく。我が家の草刈のように、多様性ある畦を残そうとする農家もなくなっていくのだろう。そう考えると、仕事上でよく耳にする環境配慮などという単語は虚しいものに変わる。そもそも自然環境とは希少種だけ保存すれば良いというものなのか。ごくふつうの畦に展開された植物多様性は、いずれ消え去るのか、それとも畦の草管理が滞ることで、また違った世界が誕生するのか、なかなか想像できない。いずれにしても意図的に畦に何かを残そうという光景はより一層減少していくことだろう。

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迷惑な湧き水

2017-07-18 23:41:40 | 農村環境

 駅まで歩いていると宅地内の舗装の割れ目から流れ出した湧き水が、7メートルほどある道路を横切って反対側までアスファルトを濡らし、そのまま50メートルほどだろうか、反対側の路肩を濡らすと、再び道路を横切ってこちらまで濡らしながら、水は川へと落ちて行っている。流れているというほど湧き水があるわけではなく、本当に濡らしている程度なのだが、アスファルトを乾かすことなく、長~い蛇の様に乾ききった路面を蛇行する。これはずいぶん以前にも触れたことがあるが、1年中湧き水があるというわけではない。水田に水を貯めている、いわゆるかんがい期間のみ。ようは水田の漏水が、地中に潜って、下の宅地の舗装を突き抜けて湧いているというわけだ。ずいぶん昔からのことで、今に始まったことではなく、そして宅地の人は文句も言わずに今に至っている。

 5月ころのことだが、わたしの通勤途上の道で、雨も降っていないのに路面が濡れて、いいや濡れているというよりもこちらは完璧に湧き水のように流れていて、これはきっと苦情が出ているだろう、そう思うような場所があった。わたしが駅に向かう道とは違って通行量が違う。国道並とまではいかないまでも、県道並の通行量がある。そして大型車もたくさん通る。実は湧き水は路面下を横断している水路のせい。このあたりはそもそも地下水が高いということもないほど乾ききった地域。したがって用水を引くということも容易ではない地域であったが、いわゆるかんがい水路開発によって導水されて、今では当たり前のように水がやってくる。とはいえ、今は農家が少ないから、こうした路面に湧き出した水は、とりわけ車で走っている人には気に入らない。したがって苦情がけっこう多かったという。秋まで待っていられないということで、片側通行で掘り返して、結局完璧に止水することはできなかったが、漏水しているであろう場所をコンクリートで固めて修繕したというわけだ。

 わたしが駅まで歩く道も、道幅で7メートルもあるから、そこそこの道なのだが、田舎ということもあって、どうにかしろという苦情は行政に届いているのかどうか、いずれにしても昔からこの光景は続く。

 湧き水といえば、西天竜の水は段丘崖下に湧水を導く。その典型的光景だったわさび畑は、今はだいぶ衰退している。かつて「わさび畑」で振れた空間に、様子はどうだろうと足を運んでみた。無残にもわさび畑にはいまだわさびの株は残っているが、雑草がたくさん顔を出していた。もう出荷するほど耕作をしていない様子だった。清流とも見えた水は、アオコで清らかさを失っていた。

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