Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

負の時

2017-06-13 23:20:17 | 

ことばを投げる。
自然と出た、深い意味もないことば。
それを聞いた相手は、予想外の反応をすることもあれば、
予想通りの反応を示すこともある。

予想外のことばに、
(それは違うだろう)
内心そう思い、
意に反したことばを覆そうと誘導を試みるが、
しだいに彼のペースにはまっていく。
(ストレートに言うべきがどうか)
迷いが生まれたころ、
彼は自らのことば匠に、
道理を繋げていく。
もはや反論するすべもなく、
(これ以上は必要ないだろう)
わたしは、
「そうたなー」と
いかにも同調したことばで補う。
わたしが彼に示そうとしたことは、
ほんのわずかにも届かず
(話題を変えることに思案する)
勝ち負けをそこに見出す必要もないが、
わたしは無難な話題を繋ぎ
その場を流すことに。
負の時を抱き、
そして次を見出す。

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糸を引く

2017-06-05 23:53:18 | 

毛羽立っている糸を引いた。
気になればなるほど
周囲へと気が移ろう。
気がつけば
生地に穴が開き
目だたなかった毛羽立ちは
すっかり姿を変えた。
後悔を募らせる姿だ。

跡形もなく片付けられた部屋に
射し込んだ明かりは
埃を浮かばせた。
時は何度となく音を刻み
身動きできなかったわたしをあざ笑う。
しかし、
動きのない部屋に、
ただ埃は舞い
わたしのこころの埃を迷わせる。
果たしてここに身を置いていることで
何を見出させるのか、と。
動かない限り
答えも、明かりも、
そして巳の垢も洗い落とせない。

そう思って糸を引いたはずが、
思うところとは違った姿に
後悔を産んだ。
これは生産的動きだったはず…。

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罠にはまる

2017-05-27 23:16:03 | 

〝モノをどこに置いたか忘れてしまう〟
そう語った年配の方は、
お互い〝歳をとった〟と言いたげな雰囲気を察知して口にされた。

仕事ではできる限り持ち物を軽くして〝歩きたい〟
そう、思うのは誰しも同じはず、
とりわけ持ち物を〝少なくしたい〟わたしは
同僚にくらべて思慮が浅いせいか、
必要なモノを持たずに発してしまうことは若い頃から多かった。
気をつけなくては、
そう思っても同じことはずっと繰り返してきた。
変えられない〝性分〟である。

〝持っていたはずだ〟
仕事で持ち歩いていたものが
いま、わたしの手にはない。
〝あの辺りか〟
歩いてきた場所場所を描いては
それらしいところを空想する。
どこかに〝忘れた〟という思いは
ひとつの思考の欠片を奪う。
流れへの抵抗。
欠品を出さないための最低限の思考を回すものの
いつも通りの答えが導けない。

たくさん持ち歩こうが
最小限にとどめようが
〝忘れる〟ことに変わりはない。
気がつくと
〝忘れた〟と思った道具は
すでに車の中に。
いつそこに戻したかも記憶にはない。
〝忘れた〟と気がつく前から、
すでに思考に欠片が生じていた証。
ひとつ、ふたつ、みっつ
思考に絡みつく罠ばかり。

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〝光明〟

2016-12-13 23:01:08 | 

少しばかり明かりが「見えた」
そう思っても、
数分後に蹴落とされることはいつものこと。
果てしない、
そう思ういっぽうで
少しでも気の晴れる灯りを求めようと、
もしかしたら「逃げ」の場を探す。
意外に時は遊ぶように
こころの隙間に「逃げ」の道を開けてくれる。
その時、まさに「光明」と思えるような
こころを緩ませる時が訪れる。
幸運だと思うかもしれない。
「神様はいるものだ」と思うかもしれない。
でも、
それは「逃げ」からくる「自己満足」。
いつかは元の鞘に、
と、どこかに危惧を持ちながら、
「やっぱり」、と
「光明」は失せる。
余裕のないこころにも、
まだまだこの「光明」が訪れる間は、
許される隙間が見えているということか。

目を閉じた世界にも
「光明」はかならず訪れる。
生きている証かもしれない。
これが見えなくなった時が
こころが閉じるときかもしれない。
浮き沈みする「思い」が、
とめどもなく回る。
ひとのこころは単純なうえに、
訓むことのできない回転をする。
そして、
個人差があるとともに、
共感するほどに
同じサイクルを見せるときもある。
すれ違うこころの狭間で、
なぜすれ違うのか、
そう考える余裕はないが、
すれ違うからこそ
その課題に直面する。
こころの模様を垣間見るのも、
経験、そのもの。
ひとは
いつも同じことの繰り返しでは
いつも同じ歩速では
見えてくるものも
見えなくなる。
一瞬に消え去ろうと、
「光明」が「見えた」と思えた経験を
活かすしかない。

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闇の裁き

2016-11-07 23:59:59 | 

 

闇の中に、寂しさを紛らわすようにテレビから発する音を求めると、独りごとをただ、ただ、発している。わたしの心臓の鼓動が聞こえることもなければ、もちろん血の流れを察することもない。かつてある山の懐に抱かれたムラで聞いたのは、「昔は心臓の鼓動や、血の流れる音が聞こえた」というものだった。そんなはずはない、と思うが、無音の静寂の世界には、本当にそんなことがあったのかもしれない。少し寒さを感じるようになったこの季節、すっぽりと布団を被り、頭に上着を囲って眠りにつくと、意外にも無音の世界に陥る。ふつうならあっという間に眠りの世界に誘われるのだろうが、「あれも、これも」と考えていると、なかなかそこにはたどり着けない自分が焦りを抱きながら「今、何時だろう」などと浮かび、自ら自らの別世界を作り上げてしまう。音にも、振動にも、そして空間の勢いにも潰されそうな闇が訪れ、気持ちは高ぶるばかり。かろうじて、どこかで「さよなら」とはがり意識のない世界へ送られ、わたしは朝へ突き進む。

このごろは「星空」が話題になる時代だ。気がつけば夜空から星が消えた証。でもこのあたりでは夜空を見上げないだけのことで、見上げればちゃんと「星」は明かりを放っている。でもかつて確実に見えていた天の川は、確かな川をわたしたちに意識させなくなったかもしれない。「日本一の星空ナイトツアー」と銘打って人気を呼んだ地でも、天候が良いと遠来の電光によって空が明るくなってしまうとも聞く。「なんだ、よく見上げてみれば、そんなに違わないじゃないか」とは、そんなところから始まる。人々に意識させる発想だけで、人呼びができるのも、よそのことを意識しなくなった、観察しなくなった、平成30年のわたしたちがいる、ということだ。「もう少し考えたら…」「もう少し観察しろよ…」、そして「もう少し、人の顔色を見て、もう少し自分の言葉に責任感をもとよう」、などと思わせることも多い。「なぜこんなことを言ったのだろう」、「なぜ、わたしはここに居るのよ」、闇の中からそんな言葉が還ってくる。これはわたしの「こころの音」、それともわたしの「あの世の音」。すべて意味ある自分への自分のアプローチ。闇の中から、わたしは蘇るでもなく、闇に葬られるでもない。眠りいつかない自分の「音」。

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予感

2016-10-19 23:27:32 | 

すでに暗くなった屋外に出ると、
「おや、雨…」か、
天気予報でもみなかった雨の装いに
「なぜ雨なんだ」
思わず独り言を口に。
部屋まで傘を取りに戻ろうか、
それともこのまま車まで向かうか、
そんな選択がよぎったが、
「霧雨、いや小雨か…」と
当然のようにそのまま駐車場まで向かうことに。

いつもどおり城跡の坂を一気に下り、
もうそこに車が見えているところまで進むと、
背後にざわつきが。
「これは、」
明るければ振り返ることで視認できたのだろうが、
もう周囲は真っ暗。
振り返ったところで判断も、
この目でそれを推し量ることもできない。
そう思うと
わたしは一気に走り出す。
すぐにでもやってきそうなざわつきが、
背後を足早にやってくる予感は、
なかなかわたしを包み込まないので
「予感だけだったのか」
そう思って走るのをためらい始めた直後だ。
わたしは猛然と天からの雨粒で叩かれる。
もう一度
思い新たに屋根の下へと走り抜ける。
一瞬の予感と、ためらいと、ありふれた結果だけが
そこに記憶された。
まるで、
今のわたしのすべてを表しているような
「予感」

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“時”を描く

2016-08-21 23:15:25 | 

人影はけして多くない坂道へ
いつも通り一歩踏み出すと
その日の先々を重たく感じたり、
あるいは軽く感じたり、
この一歩はその日を推し量る一歩になる。

時おり出会う男性は、
坂の先を歩いていても
その足取りは
大地を踏みしめるかのように
ゆったりとし、
そう時を待たずに
わたしは彼を捉える。
それはどれほど身体が重く、
また軽くとも
容易にその差を縮めるほどの
彼の歩みとわたしの歩みの
大きな違い。
しかしながら、
彼を捉え、
抜き去ろうとするも、
そこには、
自らの呼吸の乱れを読みとられまいと
息遣いを押し殺すわたしがいる。

日々くりかえされる
いつも通りのわたしに、
唯一訪れる場面。
彼がいなければ、
そして
彼の前に出ようとさえしなければ、
訪れない“時”

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“成”し遂げられたもの

2016-06-08 23:27:22 | 

旧南信濃村名古山で

 

日々重ね
“成”し遂げられたものとは
思いさまざまに
異なりしもの。

持ち得た“時”の
限りあることに、
気がつきはするが、
果たさねばならぬことの
如何な大きさに
潰されることなく
歩を進めることの
なんと重きこと。

肥大化した身体の
そしてこころの、
蟠りを拭えずに
ひとの顔をうかがう。

もはや個人差などと言い、
自らを諌めることでもなく、
ただ、
立ち位置を
勘定する弱さを嘆くばかり。

 

 

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日々に生まれしもの

2016-05-31 23:41:31 | 

 

 

なんでもない景色だった、
かもしれない。
「どこにでもある景色だと思っていたし、
子どもの頃から見慣れた景色」
そう言うも、
このごろは観光バスを仕立ててやってくる人たちも…。
混在することなく、
「かつての」と言えそうな
ごくふつうの景色が、
今はそうではなく、
どこにでもない景色となる。

ここが整備されなかったのは
「川向こう」のため
現代の道具を持ち込むことができなかったためかもしれない。
祖先が水田にしようと、
耕す先々で石が掘り起こされ
それらは畦に畦にと運び出され、
結果的に整った石積を見せることになった。
けして大型の機械が入ることはできないが、
最低限の動力が使える強み、
今もってほとんどの水田に水が湛えられ、
急峻な山々の影が水面に映し出される。

山々もまた、
分け与えられてきたそれぞれの山。
そして間伐された木々は
そのまま山に横たわり
なすすべもなく
風の餌食となる。
用を成すこと
用を成さないこと
いずれも
日々に産まれしもの。

 

 

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「さんざ働いたで…」

2015-12-27 23:51:45 | 

 

 「さんざ働いたで…」、そう言う母の言葉にはどんな気持ちがあるのか、はっきりとは解らない。「お金がかかるに」と何度も口にした。「そんなの気にすることはない」と言っても、お金が掛かっていることに気を病む。でもその方が楽だから、と周囲は母を施設に送った。でも母のこころは違う。お金が掛かっていることそのものに気を病む。家族の思いとはかけ離れているのだ。そして自分を諭すようにこの言葉を吐く。

 記憶の中には、遠い面影が消え、そして見え、あらためて過去は去る。揺り動かされたこころの残照か。今の姿を見、これからの日々を思い、時は横たわる。多々ある人生のひとつに、母は頷く。

 

 

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喝采

2015-11-25 23:14:49 | 

段丘崖の道を上りつめると、
しだいに増した川の音が斜面に反射し、
わたしを喝采の渦に取りこむ。
それは大河で
なお急流であるほどに高まり、
わたしのこころを揺り動かす。

今は車の音、
畑を耕す動力機の音、
そして、
ちまたを濁らす不明瞭な音ともに、
わたしのこころの歪の音と相まって
川の音もかき消されることも。

動力もなく、
血の流れる音すら聞こえたと言われる
かつてのこの野に立った人々にとって、
段丘崖に響く喝采はどんなものだっただろう。
もちろん景色は異なるも
大河の流れも、
層をなす幾重もの段丘も、
かつてと変わりなく眼前に広がるのに、
きっと
そこに立つわたしを包み込む喝采の音は
今のわたしたちには聞こえなかったのかもしれない。

 

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朝の予感

2015-08-24 23:17:23 | 

すでに収穫も近い
そう思わせるほど垂れた稲穂をわきに見ながら
いつもどおり坂へ
“重い”
そう思うと
いっそう身動きは鈍く、
そして頭の中では
これから始まろうとしている1日が
途方もなく長くなるのだう、
そう思わせる。
それが月曜日ならなおさらのこと。

日々、
この坂へのアプローチに差はない。
垂れかけた稲穂を
鳥から護ろうと掛けられた網は、
見渡される水田のほとんどに見える。
田植え後にホウネンエビの泳ぐ田もあれば、
草ひとつなく、
まるで死の世界のような静けさの水面の田、
そして密生した草に水面が覆い尽くされる田、
それぞれの思いを蓄えた稲穂の波に、
それぞれの思いを隠すように
均一化した薄赤いベールが掛けられる。
それは季節の変化に過ぎず、
日々の歩を急かせるようなきっかけにはならない。

ところが坂を上り始めて間もなく、
わたしはその違いに気づく。
今日という日の予兆か
それとも身体の変調か。

上り着いた丘の上で
達成感など生まれるはずもなく、
坂を振り返ることもない。
すでに明日の朝を思う。
意図もない朝の予感

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間を埋める

2015-06-30 23:03:53 | 

 このところあまり利用しなかった飯田線に、ようやく乗る余裕が出てきたところ。久しぶりの車内の雰囲気は、久しぶりだけに新鮮に映る。とはいうものの、座る場所を容易に求められないほど、その空間は以前に比べると立ち入り難い空間。したがってこうした空間を利用しようとする思いも、なにがしら得るものがないと楽しくないものだ。求めて座らなくても良い、そう思って乗り込むと、また違ったものも見えてくる。座るにはためらうものの、立っていれば隣の車両まで見渡せるような空間が、時を重ねるごとに埋め合わせられていく。もちろん息の届くようなところにも乗客が乗り込んできて、半時にも満たない1日の間を埋めていく。

 学力で位置づければ、地域の1位校の学生が1人、2位校の学生が2人、そんな3人組がいつもわたしの息の届くような空間にやってくる。そして2位校の学生はいつもの通り問題集を手にし、集中するでもなく問題集を持った者同士雑談と問題集と、交互に目的の駅までの時間を埋めていく。いっぽう1位校の学生は、そんなふたりの会話を聞きながら、片手に持つスマホと彼らの会話を捉えながら時折注釈を入れる。2位校ふたりが問題集を持たないひとりに「なんで勉強しないんだ」みたいに揶揄する光景も。彼らの会話を聞いているかいないかは定かではないが、周囲の間を埋めた同じ世代が無言で時を埋め合わせる。もちろん参考書を開く女の子もいれば、スマホの画面をひたすらなぞる男の子も、とさまざまだ。いつも思うのだが、かれらの手にあるスマホと、そこから繋がったほぼ画一的な黒い線が、身体のどこかに繋がる。まるでスマホと身体を結ぶ電源のように。例えばイヤホンもそうだが、これほど厄介な邪魔者はないが、その画一化された黒い線は、この機械が登場する以前から当たり前のように若者の身体と耳とを繋げた。こんなに厄介なのに、その進歩はないかのように。いっそ身体の中に無線ランでも格納し、この厄介な黒い線を取り除けば世の中もスッキリするだろうに、と思うのだが。

 埋め合わせられた車内の空間に、このように黒い線が災いとなってトラブルが起きることもなく、目的地に向かうほどに間は取り除かれていく。

 地域では唯一の私立高校(女子高)の女の子は、規律が厳しいのか、教えに対する履行能力が高いのか、スマホを人前でかざす姿を見せない。これは他校との大きな違いだ。したがって彼女は一緒に立つ同じ高校の女の子と盛んに会話を続ける。そして周囲の様子をよくうかがっているせいか、まだ空間に余裕のある間は、同じように様子をうかがっていた私と何度か視線が合った。様子をうかがいながら、友だちと話をする彼女は観察力を養っているのか、単純に周囲に気を使うタイプなのか、まだわたしには解らない。

 かつて身体と手元を結ぶ黒い線を演出するような機械が出まわらなかった時代には、間を埋めるために話が始まったが、今は間を埋める道具がある。これは彼らだけの道具ではなく、オトナもなんら変わらない。音一つ聞こえず、他人が空間に接近しても、間を埋め合わせるのは機械となったのだ。

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春へ

2015-03-12 23:51:54 | 

厳冬のころから
冬枯れの野に
埋もれるように花を咲かせていたロウバイが、
ようやく最期を迎えようとしている。
その最期を待たず
もう周囲では梅はもちろん
サンシュユの黄色い蕾がふくらみ
桜のころも間近に。

厳冬に淡く
そして芳しく周囲を和ませたに違いないその姿が
けしてひと目には華やぐこともなく、
日々を繰り返す様は、
朝陽を浴び
“今朝も訪れた”
と気づく妻の目覚めのよう。

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雪“霰”

2015-03-10 23:37:28 | 

花吹雪が舞っているわけではない。
はっきりと、目に映る白い塊は
激しく降り注いでも
身体をそれほど濡らすわけでもない。
賑やかに大地を叩き、
わたしの耳元で囁く塊も、
そのまま足もとに乾いた音を立てて落ちていく。

春を迎えようとサンシュユの蕾も膨らんだころ、
ひっくり返すような冷え込んだ空気が、
雪“霰”となって空を、
そしてあたりを包んでいった。
冬じまいと思い込んでいた人々も
山々も、野も、
乾いた音に起こされるように、
一面を埋めた粒に目覚める。

長年の経験と、
蓄積された記憶。
それぞれが人々の動きを予測する。
しかし、それだけでは解決できない出来事が
今は日増しに新たな記憶としてわたしを揺り動かす。
人々は穢れなき定説を描き、
安心と安全をこの世の常道と言うが、
わたしにとって、
それは“迷い”への導き。
わたしはこの世の常道から逸れた道を歩むしかないのか。

わたしの心の冷たさを癒すように
乾いた雪“霰”が身体をさする。
一面を埋めた心の汗は
わたしを白く打ち消していく。
消え果てる明日を前に…。

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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****