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「廃れきった十王堂の話」-『伊那路』を読み返して56

2024-05-09 23:00:42 | 地域から学ぶ

「枝義理」-『伊那路』を読み返して55より

 『伊那路』昭和40年9月号に赤羽篤氏が「廃れきった十王堂」を報告している。わたしは、現在でも常に意識しているものに「十王」がある。先ごろから記している「志久見川沿いの集落景観」でも扱っている十王。葬儀といえば今では当たり前に寺に依存しているが、過去には寺ではなく、もっと身近な形で存在していたと考えられる葬儀。引導を渡すのは墓地周辺だったとも捉えられる痕跡は、今でも時折見ることができる。そのひとつが「十王」なのである。「志久見川沿いの集落景観 前編」でも触れた通り、十王と葬儀用具が同一の空間に収められている姿を今も見かけることがある。さすがに葬儀用具は無いとしても、十王は石造が多いこと、加えて神様仏様を容易に捨てることができない意識が現在まで残存させている背景にある。したがって十王があるところにはかつての葬儀の臭いがする。したがって十王を見かけると、周囲の状況も含めて「なぜここにあるのか」を含めて、常に注意深く探ることにしている。その原点にあった報告のひとつが赤羽氏の本報告であり、もう半世紀ほど前から認識していた報告文である。

 さて、赤羽氏は大清水川に架かる「寿翁橋」の名から「十王」を想像し、調べてみたらここに十王堂があったということを報告している。伊那市大萱は伊那インターの西側地域の集落。集落の真ん中を大清水川が流れているが、この川は水無川といって良いほど水が乏しい。したがって川の幅もそう広くはない。集落の中ほどにこの大清水川を渡る10メートルにも満たないほどのコンクリート橋が架かっている。この橋がここでいう「寿翁橋」であり、ガードレールにその橋名板がはめられている。赤羽氏によると、延享年間(1744~1748)に成立した『伊那神社仏閣記』にも大萱に十王堂があったことが示されているという。「延享以来今日までわずか二百年ばかりの間に、ちゃんとあった筈の十王堂が全くなくなって、遺物遺跡はもとより、その伝承さえ消失し、「寿翁橋」という宛字の橋名でかすかにその名残りをとどめている現状に世の移り変わりの激しさを如実に感じた」と述べているが、赤羽氏が報告されて既に半世紀以上経過しているため、300年を経ようとしている。実は十王の遺物はあちこちに残存するが、意外と十王の信仰は廃れ切っている。なぜこれほどまで十王が忘れ去られたかといえば、現代も葬儀の変化が著しいが、過去にもそうした時期があったことを示す遺物と言えるのが十王なのである。十王堂がある場所、あるいは墓地の中に石台のようなものが残存する光景を見ることがある。この台は、いわゆる棺桶を置いた台。引導を渡した場所とも言える。こうした背景が見られなくなった原因は、寺院の葬儀への関与が影響している。そもそも寺院は葬式を業としていたわけではない。今でこそ檀家檀那寺関係で築かれているが、昔は葬儀はもっと地域住民の手の内にあったといえる。寺の関与によって十王が忘れられていったともいえる。

 赤羽氏はどこかに遺物がないかと探した結果、寿翁橋から200メートルほど西に大清水川を遡った場所にある阿弥陀堂の脇(現在は堂の北側格子戸の中に安置されている)に半ば埋もれていた十王を発見した。「堂の脇の竹藪との境にすっかり崩れ果てた石垣の石塊の中に墓石などとの石造物が入り交ざっている」中からそれを見つけたといい、阿弥陀堂の掃除に集まった老人たちもその存在どころか十王そのもののことを全く知らなかったという。

 赤羽氏は十王信仰の歴史を振り返っている。前掲の『伊那神社仏閣記』に掲載されている上伊那の十王堂は11箇所ほどあったが、記載がまちまちで明確な数は掌握できないと言う。「延享時代に十王堂がどのくらいあったかを知ることはできない」と述べた上で、相当数あったのではないかという。「人はこの世においてひたすら善行につとめ、冥界において十王のさばきをうけないように仏道に精進しなくてはならない」という戒めのために十王が存在していたと説く。そして「十王堂はまず密教寺院の境内に造られ、そして次第に村々に建立されていったと考えられる」と述べ、その時代ははっきりしないが、室町時代であったのではないかと言う。また、その衰退期は明治初期だったのではないかと想定している。「悪いことをすると地獄へいって閻魔様に舌を抜かれる」とは、わたしも子どものころよく耳にした戒めの言葉であるが、故に十王は知らなくとも閻魔王はよく知られている。もちろん現代の子ども達が認識しているかは知らないが、十王の遺物はそうした過去の葬儀を垣間見ることのできる物であることはもちろん、空間でもある。

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