鬼無里下新倉の双体道祖神と五輪塔残欠
信州新町左右礼の双体道祖神と五輪塔残欠
昨日の“民俗地図「道祖神の獅子舞」修正版”には記号の凡例は付けたが、そもそもの地質図の凡例がない。したがって「何のことかわからない」、ということになるかもしれないが、地質図の凡例を全て明示するのは大変だ。わたしのイメージでは、特徴的な岩石を産出する地質のみ表示すれば良いのだが、それが叶わなかった。簡単ではないのである。自分でその地質だけポリゴン化すれば良いのだろうが、それもけっこう時間を要す。そもそもある程度質の知識がないとわからない。ということで、全ての地質を示した既成図を利用するに至ったわけだが、図はこのままとしても、意図する凡例だけは分かるようにしなければせっかくの地図が意味不明なものになってしまう。試行錯誤しながら修正する予定である。
さて、このところ繰り返して触れている五輪塔残欠。これまで道祖神の形態に関する記述でこのことについて触れられてきたのかどうか、倉石忠彦氏は『道祖神伝承論・碑石形態論』で若干触れているが、特別視しているわけではない。今後文献を探していきたいが、とりわけ五輪塔がやたら目立つ神奈川県に注目するところだ。そうしたなか、この五輪塔について触れている『秦野の道祖神・庚申塔・地神塔』(秦野市立南公民館道祖神調査会編 平成元年)での扱いを引用してみる。道祖神の項は小川直之氏によって記述されているが、「石塔のない道祖神」に次のように書かれている。
石塔のない道祖神祭場にほぼ共通しているのは、五輪塔片あるいは石臼が置かれていることである。五輪塔片や石臼は道祖神石塔のある他の祭場にもしばしば見ることができ、偶然に置かれているのではなく、何らかの意味をもつといえる。大根地区では道祖神祭場の五輪塔片空風輪部を男石(オイシ)、火輪部を女石(メイシ)といい、セイトバライ前になると道祖神組の子どもたちが他の組の祭場から集めまわったといわれている。男石、女石という言い方は、双体像の男女の区別と同じ発想と考えられる。
こう記した上で、「道祖神祭場は一種の神送りの場、他界との境界でもあるわけで、五輪塔片が集められているのはこうした場に納め、災いを防ごうということである」と述べている。とはいえ、神奈川県内の道祖神には夥しく五輪塔が同居している。道祖神が1基でも五輪塔はたくさん、というように。そしてこの光景が長野県の長野市西山に多く見られるのはどういったことなのか、神奈川県ほどではないにしても、同じように道祖神と五輪塔が同居している光景を頻繁に見る。遠く離れた両者との関係や、両者を繋げるように他の地域にそうした光景が見られるのかどうか、この辺りを調べていく必要があるのだろう。