思うような明かりは見えないし、
読み取ろうとしても何が書かれているか見えない。
まるで読み取れなくなった自分の目を疑う。
それが老眼といえば結論に過ぎないが、
誰もが到達する世界だと知れば、
病でも何でもない
〝到達点〟だと知る。
老いる先に、
いずれこの世を去る自らがいるとすれば、
盛んに気概を表す自分は何なのだろう、
などという現実と消える時を想像するジレンマに陥る。
この世の不合理や、
格差や、
差別や、
身勝手さも、
どうということはない。
諍いによって、
そこかしこに争いが起きようが、
自然災害によってどれほどたくさんの不幸が訪れようが
それが時の定めだとそれぞれは悟るのだろう。
自ら招いた定めだと
誰も思わなくても、
不幸は誰にでも訪れる、
と、思う端緒には、
あまりにも採算性のない、
そして乱暴とも思える
それぞれの動きが、思いが、
あるからだ。
未明の時に思いを寄せるのは、
寝静まった無風を感じるからだ。
明かりは見えずとも
ひとは誰も異論を突きつけない。
老いるにちょうど良い、
独り時代は、
こうした時の素直さに招かれたのだ。