Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

あのころの景色②

2024-04-03 23:06:27 | つぶやき

あのころの景色①より

 昭和54年から5年間暮らした飯山市。いろいろあったが、仕事で初めてほ場整備にかかわったのは、栄村の小滝という集落にある小さなほ場整備だった。先日、栄村まで足を伸ばしたが、さすがに栄村まで行くと、まだ雪に覆われていた。とりわけ生活圏は除雪されていて雪の姿は限定的だったが、農業地帯に入ると、道も除雪されていない。あたりまえだろう、無駄な空間まで除雪する必要もないし、いずれ雪は自然に消えるもの。そう考えると、そのままでも消えるものなのに、あえて除雪費を要して手間をかけなくてはならない地域の大変さは、雪のない地域の人々には想像しづらいだろう。人々の動きが早まったことが、除雪という当たり前な行為を「あたりまえ」と思わせることに繋がった。そのいっぽうで人々は手間のかかることはしたくなくなった。草刈管理と除雪を対比すると、その間には大きく格差がついたように思う。このことはまた触れることにしよう。

 

劣化した落差工の蓋の向こうに見えるのは高社山

 

水槽の下に石が集積されている(整備されたほ場から拾い出したものと思う)

 

下方は南永江の集落、土手が大きい

 

こうして草刈がされない畦畔もちらほら

 

急傾斜ということもあって、農道はコンクリート舗装した

 

 さて、小滝の現場は、まさに水田地帯であって、生活空間と離れていて、現場を遠方から望む程度しかできなかった。同じ飯山時代に、もうひとつ直接担ったほ場整備があった。旧豊田村の南永江の集落背後の急傾斜地帯である。小滝と違ってそこそこの面積の整備だったと記憶する。飯山市より南に位置するため、こちらにはもう雪はない。南永江の神社周辺の整備で、傾斜8分の1ほどの斜面にある水田地帯である。さすがに40年を経ていることもあり、当時布せられた水路も、だいぶ古くなっている。落差水槽の蓋が凍上でぼろぼろになっている姿をあちこちに見ることができる。この水槽の蓋は、飯山に限らず、いたるところで劣化している姿を見る。最も最初に交換したくなる構造物のひとつ。とはいえ水路そのものは、すぐに整備しなくてはならないというレベルには達していない。事実地区内を見渡しても、一部局所的に更新してある箇所が見られたが、トータルに見ると、早急に更新しなければならないという域には達していない。

 集落を下方に、急傾斜の水田の法尻には湧水を除けるための溝が掘られている水田が多い。川を挟んで北永江の集落が見え、その先には高社山が望める。その手前に当時はなかった上信越道を走る車が見える。

続く

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