仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

やっぱり学びの多い本   「大きな努力で小さな成果を――平凡なことを非凡に努める「凡事徹底」の生き方」

2020年07月31日 | 本と雑誌
 本日午前中は、健康診断。

 本を持って行っておいて良かった。

 読んだ本は、鍵山秀三郎氏の本。

 「大きな努力で小さな成果を――平凡なことを非凡に努める「凡事徹底」の生き方

 何度読んでも勉強になる。

 表紙には、「仕事と人生の集大成」と描いてある。

 確かに、これまで様々な本で述べられてきたことがまとめてある。

 どの章から読んでも学びがある。

 例えば、

 「掃除は、掃除道具をきちんと揃えることが第一条件です。」p.38

 「一見無駄に見えることをやった時に、人間は成長するのだと思います。」p.40

 「真のエリートとは、断ることができることを、あえて引き受けていく人のことを言う。」p.45

 「(不運について)免れることができないものを受けた時には、潔くそれを素直に受け取って、そして、そこからまた再スタートをしていくという考え方が大事だと思うのです。」p.49

 「毎日の掃除で、私の掌には硬い『箒ダコ』ができました。」p.62

 「この人たちの心を穏やかにする方法として、とにかく職場環境をきれいにすることだと私は思ったのです。」p.63

 「私の父も母も『人間はいつも見ているものに心が似ていく』と行って、隅々まできれいに掃除をしていました。」p.64


 

20ページほどを読んだだけでも、これらの言葉が目に飛び込んでくる。

 自分にとっては、どれも生きるためのヒントになる言葉である。

 

 ところで、長い時間を待合室で待ったが、中には、何もせずにひたすら座っている人もいた。

 少し多動傾向がある私には、何時間も待たされるのは耐えられない。

 本を持って行っておいて良かった。
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マスコミの問題点・・・無症状者の数を教えない

2020年07月30日 | 生活
 最近、「知りたい情報は流してくれないなあ」と感じる。

 連日のように、PCR検査による陽性者の数が、どれだけ増えたかを報道している。

 テレビでも、ラジオでも、新聞でも流している。

 しかし、無症状者の数は教えてくれない。(いるはずなのに)

 「陽性だった。症状は出ていない。」などと、個別には報道する場合がある。

 しかし、そのトータルの数や割合については、報道しない。

 不思議である。

 陽性だったかどうかだけでなく、無症状者の数も知りたいのである。



  インフルエンザの場合、毎年3000人前後の死者が出る。

 やはりインフルエンザも恐ろしい病気である。

 今のところ、新型コロナウイルスは、インフルエンザほどの死者数が出ていない。

 (だから安心というわけではない。)

 
 インフルエンザと比較する上でも、陽性反応が出た人だけでなく、無症状者や重症になった人の数も知りたいのである。
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梅雨明けの青空が気持ちいい

2020年07月29日 | 修養
 南九州地方も、やっと梅雨が明けた。

 例年よりも14日遅い梅雨明けだそうな。

 昨日は、曇り空だったけれども、今朝は青空。

 

 久しぶりの青空は、気持ちいい。

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テストの丸付けに関するちょっとした仕事術(いつ丸付けをするか)

2020年07月28日 | 仕事術
 勤務時間外に、テストの丸付けをしている若手教員を見た。

 小学校では、テストの丸付けをまとめてやっている教員は、今でも結構見かける。

 自分もテストが終わってから、まとめて丸付けと記録をしていたことを思い出した。(若い頃は)

 30代頃からだろうか、そういう丸付けはしなくなった。



 基本的には、次のようにした。

 「テストの丸付けは、そのテストの時間内に殆ど終わらせる」

 仕事が速い先輩の先生に学んだ方法である。

 テストが終わったら、教卓に持ってくるように伝える。

 (併せて、見直しをしてから持ってくることも伝える)

 持ってきた順に丸付けをする。

 速い子は、20分くらいで持ってくるので、順にどんどん丸付けをしていく。

 45分間をめいっぱい使って解きたい子もいるので、そういう子は、時間をあげる。

 しかし、殆どの子は、45分もかからずに教卓に持ってくる。

 45分間で、殆どのテストの丸付けと記録は終わってしまう。

 あとは、休み時間を使って、まだ持ってきていない子の分の丸付けをする。



 この方法の良いところは、次の通り。

 ○ テストの時間内に終わるので、時間短縮になる。

 ○ 次の教科の時間には、テストを返却できる。
  (記憶が新しいうちに返却されるので、やり直しの効果も高い)
 
 ○ 教師の心理的な負担が軽減される。
  (「テストの丸付けが終わっていない」という気持ちを抱くことがない。)
  (未処理のテストが、たまればたまるほど心理的負担は大きくなる)
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アフリカ少年が日本で育った結果

2020年07月27日 | 本と雑誌
 日本講演新聞に掲載されていた星野ルネさんの話が面白かった。

 本人が描いた漫画があるというので、早速買って読んでみた。

 「アフリカ少年が日本で育った結果

 面白い。

 動物ドキュメント番組は、星野母にとっては、グルメ番組だったりする。(アフリカでは、編み目ニシキヘビやクロコダイルも食べるため) 

 カメルーンの村に帰ってきた時は、「絶対に他人とハグをしない」「食べ物を勧められても断る」という約束を母とさせられたりする。(黒魔術をそういう方法でかける人がいるそうな)

 アフリカの子供達が日本の話で驚いたのが「植物園があること」・・・熱帯の植物を見るのに、お金を払う人がいるのが衝撃らしい。



 中でも、個人的には「星野家山道バナナ事件」が面白かった。p.86

 日本の山道を家族でドライブしていた日のエピソードである。

 バナナを食べ終えたルネ氏は、皮をもてあましていた。

 それに気づいた母が、

 「バナナの皮は、今なら車の外に捨ててもいいよ。」
「バナナは自然のもので、外は山道だからいいのよ。」
(自然の中では、他の生き物のごちそうになるから)

 という。


 それに対して、父親は

 「バナナの皮を外に捨てちゃだめだ。」
 (ゴミを投げ捨てるのはみっともない。)

 という。

 どちらも理屈は通っている。

 さて、これを見事に解決した話も紹介している。

 「朝の会や道徳の時間の小話として使えそうな話だなあ」と感じながら読んだ。
 
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外出しにくい状況だからこそできる自宅でのくつろぎと学び

2020年07月26日 | 修養
 最近、休日の二度寝が気持ちいい。

 新型コロナウイルスの影響で、休日の外出が少なくなった。

 その分、家で過ごす時間が長い。

 朝をのんびり過ごすことが多くなった。

 以前は、研修会やイベントへの参加のため、休日の朝も忙しかった。
 
 今日も朝8時過ぎまで寝ていた。

 十分眠ったので、体調もすこぶる良い。

 午前中は、コーヒーを飲みながら、読書。

 その後は、近所の田圃道をウォーキング。

 午後は、勉強、そして来週の仕事の準備を少し。

 庭木の剪定と草取り作業。

 こういう時期だからこそ、自宅で充実した時間が過ごせる。

 自宅でくつろいだり学んだりする時間を増やしたい。
  
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職員向けにコンプライアンス研修会をする。授業と同じ「教えて考えさせる」流れで

2020年07月25日 | 授業づくり
 夏季休業中に、研修会を行うことになった。

 職員向けのコンプライアンス研修である。

 重要な研修である。

 与えられた時間は、60分間。
 
 構成は、授業と同じ。

 教えて考えさせる流れにする。



 前半では、次の内容を「教える」。
 
 懲戒処分の現状、懲戒処分になった人の声

 学校におけるリスクには、何があるか。

 緊急保護者会を開くことになった事例紹介(いじめ、体罰、情報流失の例など)

 前半では、事実をもとに、懲戒処分になったり、重大な問題となるケースは何か、どれだけ大変な事態なるかを知ってもらう。

 これで、「不祥事」なるものを、出さないようにしようとする意識が高まるだろう。

 また、ここでは、「報告・連絡・相談」をすることで、重大な危機にならずにすんだ事例も紹介したい。



 後半では、次の事例について「考える」

 わいせつ事案、体罰事案、飲酒運転事案の例を示し、

 なぜそのような事案が起きてしまったのか、

 どうすれば、防げるのか

 を考える。

 (宮崎県では、「わいせつ事案、体罰事案、飲酒運転事案の根絶」を目指している。)

 個人で考え、小グループで情報交換をし、最後にグループ毎に発表してもらう。



 職員が幸せに仕事をするためにも、この研修会を実のあるものにしたい。

 職員が、「懲戒処分には、そのような事例があるのだな」と知ることで、

 「自分たちも気をつけよう」という意識が高まり、

 何かあったら、すぐに主任や管理職に「報告・連絡・相談」をするような研修会にしたい。
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家族で外食

2020年07月24日 | 家庭教育
 今日は外食、鰻を食べに行った。

 年に1回、家族の恒例行事として行っている。

 こういうイベントをすることで、家族揃って出かけることになる。

 楽しめる行事を家族でいくつか作っていくといいと思う。

 例えば、盆正月の集まりに加えて、誕生日のお祝い、母の日、父の日などなど・・・。

 今日は、子供達は、鰻丼、大人は鰻定食

 あっという間に、きれいに平らげた。

 ちょっと前なら、「おなかいっぱい、もう食べられない。」

 と言っていた子どもたちだが、今では親よりたくさん食べるようになった。


 


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思想および良心の自由は認められていますが・・・唯物論者は恐い

2020年07月23日 | 修養
 世の中には、唯物論を信じている人、あの世の存在や転生輪廻を信じている人がいる。

 バリバリの唯物論者で、「あの世などない。死んだら終わり。」という人がいると聞いて、びっくりした。



 自分は転生輪廻を信じている。

 あの世があることも信じている。

 神様、仏様のような存在がいることも信じている。



 世の中には「あの世はない、神仏もいない。」という唯物論の人もいる。

 心の底から「死んだら終わり、何もない。」と信じている人である。

 そういう唯物論の人は、恐い。

 道徳心の根本が欠けていると思うからだ。

 自分の場合、道徳的な行動を促す動機の一つは、

 「お天道様が見ている」

 である。

 神仏のような存在が、自分の見ていると信じているから、少しでも良い行いをしようと考えるようになる。

 (他の人の目があるから良い行いをするのは、真に道徳的ではないかもしれないが・・・。)

 「あの世はある。この世でなした結果があの世で反映される」と思えば、真っ当に生きようとするだろう。



 逆に、唯物論の人のように、「この世で終わり」と思っていれば、悲惨な犯罪でも犯してしまうような気がする。

 歯止めとなる思想がないからだ。(唯物論の人は、どんな判断基準で行動するのだろう?)

 どんな思想を持っていても自由だけれども、私が感じている「唯物論の人は恐い」と思う自由も許してほしい。
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泳げるようになるかどうかの目安になる能力

2020年07月22日 | 体育
 昨日、水泳指導で感謝された話を書いた。

 じつは、泳げるようになるかどうかの目安になる能力がある。

 それは、

 「伏し浮きが10秒できる」

 である。

 伏し浮きが10秒できるということは、

○ 顔が水につけられる。

○ 体に水が触れた状態で、リラックスできる。

○ 体に水が触れた状態で、呼吸を10秒止めることができる。

 という3つの条件をクリアーできることを意味する。

 この3つの条件をクリアーできる子は、45分間の指導で25m泳ぎ切ることもできる。(指導次第ですが)

 体育の場合、「この基礎的な動きができれば、この難しい動きも習得できる」というケースが多い。




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教員をする喜び

2020年07月21日 | 授業づくり
 教員をする喜びのひとつに、「感謝される」がある。

 先週まで、泳ぎが苦手な児童の個別指導をしていた。

 ヘルパー(おなかにつける浮き具)を使って、平泳ぎの手のかきだけ指導したら、それだけで50m泳いでしまった。

 本人はもちろん、周りの先生方も驚いていた。(自分も驚いた)

 2週間ほど(合計5回)指導したが、ビート板キックでも50m泳げるようになった。

 顔をつけるのをいやがっていた1時間目とは大違いである。

 終わった後、お手紙をもらった。

 お礼のお手紙である。



 感謝されるのを求めていないだけに、こういうお手紙をたまにもらうと感激する。

 うれしい。

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学問の基本の形とは、

2020年07月20日 | 授業づくり
 月刊誌「致知」で学んでいる。

 今月も学びが多かった。

 特に心に残ったのは、占部賢志氏の言葉である。

 (グループ学習やアクティブラーニングが重視されるようになった昨今の状況に対して)

 古今東西、学問とは独学が基本の形です。この独学ができてこそ協働の学びが為し得るのです。はじめに協働ありきでは、依存心が強まるだけで結局は学びを妨げることになります。

令和2年(2020年)8月号p.126




 「学問とは独学が基本の形」

 確かにその通りである。

 この月刊誌「致知」を読んでいる方々が、集まって感想を述べ合う「木鶏クラブ」がある。

 月1回の会であるが、様々な職業の方、年齢の方が集まって、読後感を述べる。

 その木鶏クラブで聞いているのは、それぞれの独学の結果なのである。

 それぞれの独学が深いから、読後感を聞くのが楽しみである。



 授業においても、本時の学習課題に対して、必ず自分の考えを持たせるのが重要となる。

 考えを持たせるためには、書く時間を設定するのである。

 その後に、お互いの考えを交流させる時間をとればよい。
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捨てる際に、心がけていること

2020年07月19日 | 修養
 昨日のブログで、

 整理するというのは、要るものと要らないものを分別することである。

 その上で、要らないものは捨てる。

 と、書いた。

 捨てる際に、自分は心がけていることがある。

 それは、「声かけ」である。

 これまでに、たびたび使用して、お世話になったものであれば、捨てる時に、次のように言う。

 「ありがとう。お世話になりました。」


 中には、あまり使わなかったものもある。

 そういうものに対しては、

 「ごめんなさいね。ありがとう。」

 こう言って、処分するようにしている。


 中には、涙を流しながら捨てるものもある。

 我が子4人が使ってきたチャイルドシートを捨てる時がそうだった。

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整理する時の判断基準

2020年07月18日 | 修養
 今日も家財道具の整理をした。

 これをすると、すっきりする。

 家の中も、自分の心も。

 整理するというのは、要るものと要らないものを分別することである。

 その上で、要らないものは捨てる。

 要るものは生かして使う。


 
 この分別の際に、迷うことがある。

 「もったいない」と思ってしまうのである。

 最近、自分が分別する際に拠り所としているのは、鍵山秀三郎氏の言葉である。



 分別する際、しばしば迷うことがあります。

 「まだ使えるのではないか」とか、「もったいない」という気持ちです。

 そんな時の判断基準として、次のことをお勧めします。

 「使えるか使えないか」ではなく、「使っているか」


 「凡事徹底「一日一話」 「後味のよい人生」を送るために」 p.172より


 捨てる際に、自分で心がけていることがある。

 それは、明日のブログに続く。
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「頭のいい愚か者」というのは、存在する

2020年07月17日 | 修養
 「頭のいい愚か者」というのは、存在するなあと思う。

 (もちろん自分のことは棚に上げてます)

 この人は、頭がよさそう、理路整然とした話もする。

 でも、なんでこんな愚かな判断をするのだろう。

 という人は、いる。



 例えば、政治家である。

 政治家の中では、与党の人たちから見れば野党の人はそう見えるだろうし、

 逆に野党の人たちから見れば、与党の人たちはそう見えるだろう。

 たぶんどちらかは、「頭のいい愚か者」である。

 

 例えば、詐欺をする人や横領などをする人、罪を犯す人たちである。

 頭がいいのかもしれないが、その頭のよさを悪いことに使う人たちは、やはり「頭のいい愚か者」と言えるだろう。

 身の回りにいませんか?

 頭は確かにいいのだけれども、利己的なことばかり考えている人や、判断を間違って不幸な道を選んでしまう人。 



 人間には我欲があるので、「頭のいい賢者」になるのは難しいのかもしれない。

 たぶん、「頭のいい賢者」に近づくためには、「利己」ではなくて、「利他」の考えで行動することだと思う。

 (それでも判断を間違うことはあるだろうけれども)
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