仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

月刊誌「致知」2023年2月号からの学び 2 ・・・中西氏の「時流を読む」を批判的に読んでみた

2023年01月31日 | 修養

 中西輝政氏の「時流を読む」を読んだ。

 批判的な視点で読んでしまった。

 次のような文があったからである。

 

○ ロシアによる一方的なウクライナへの軍事侵略

 

○ プーチンというたった一人の独裁者によって仕掛けられた邪悪な侵略戦争

 

 この文を読んで「偏った情報だなあ」と感じる。

 

 ロシアだけが悪であり、ウクライナは善であるかのように書いているからである。

 ウクライナの悪い面には触れていないのである。

 

 マスコミは決して報道しないが、ウクライナにも問題点はある。

 

 中西氏は、ウクライナ東部のドンバスで、ウクライナ軍やネオナチの傭兵がロシア人を攻撃している点には触れていない。

 ロシアが動いた理由は、それらの親露派の住民を助けるという目的もあったはずである。

 

 「時流を読む」というタイトルで原稿を書いているのだから、マスコミが触れない情報も踏まえて書いていただきたい。マスコミ情報だけで語るならば、素人でもできる。

 

 マスコミが報道しない情報も踏まえた上で、ロシア情勢を語るのが、国際政治学者である氏の役目ではないだろうか。

 

 私自身は、北方領土を返還しないロシアに対して不快感を感じているが、それとこの問題とは別である。

 フェアで公正な情報を元に「時流を読む」という原稿を書いていただきたいのである。

 

 

 

 上の2文を読んで、気になることがもう1点ある。

 

 描写が感情的である。冷静に書いていただきたい。

 

 「一方的な」「たった一人の独裁者」「邪悪な侵略戦争」という描写は感情的ではないだろうか。

 

 「時流を読む」というタイトルであるならば、もっと淡々と書いていただけないものか。

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月刊誌「致知」2023年2月号からの学び・・・こんなお爺ちゃんになりたい

2023年01月30日 | 修養

 元気が出る文章に出会った。

 108ページの横田南嶺氏の玉稿である。

 白隠禅師の元気ぶりが紹介されている。

 白隠禅師が養生法について語った「夜船閑話(やせんかんな)」の序文には、次のように書いてあるそうである。

 

「自分の歳は本年七十を超えたが、少しの病もなく、歯が抜け落ちることもなく、目や耳もますますはっきりし、ともすれば、老眼鏡を忘れる位である。」

 

「心身ともに健康で、気力に至っては二、三十歳の頃よりはるかに勝っている。これ皆、内観の秘法の不思議な効果による事と思う」

 

 

と書かれているほどに、晩年まで健康そのものであったことがわかる。

 

 うらやましい。

 自分も七十歳を超えた頃にこれくらい元気なおじいちゃんでいたいものである。

 白隠禅師は、「内観の秘法」なるものを行っていたようである。興味深い。

 

 白隠禅師と同じように、元気なおじいちゃんといえば、「無病法」を描いた ルイジ・コルナロ氏を連想する。

 氏は、百二歳でなくなられたが、最晩年まで目も歯も、耳も完全で、足腰も若いときの力強さと変わらなかったそうである。

 

 コルナロ氏は「これまで、老年と言うものが、これほど素晴らしいものとは知らなかった」と言われたそうである。

 

 コルナロ氏は、「極少食」で健康を維持していた。

 

 老年になっても、白隠禅師やルイジ・コルナロ氏のように、元気いっぱいで過ごすおじいちゃんを目指したい。

 少食の方は、心がけているが、「内観の法」は知らなかった。

 自分に合っていそうならば、ぜひ試してみたい。

 

 

 もう一つ、年齢に関係なく活躍している方の文章もあった。

 100ページのコシノジュンコさんの文である。

 

 私は今日まで自分の年齢を考えずに生きてきました。

 

 若い頃は、仕事の相手から軽く見られるのが嫌で、年齢を隠し、今は新しいことに挑むのも周囲から反対されるのが嫌で年齢に触れないことにしています。

 

 挑戦する人間にとって、年齢は邪魔。できれば、今後も年齢不詳のまま思いっきり挑戦を続けていきたい、というのが私の思いです。

 

 

 こちらも読んでいるだけで元気が出る。

 

 自分としては、少食を心がけ、日々学び続けているうちは、元気でいられるのではないかと考えている。

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「しくじり先生(失敗談)」パターンで話すのか、「情熱大陸(成功談)」のパターンで話すのか・・・校長の話

2023年01月25日 | 学校経営

 職員に研修会や終礼などで指導をすることがある。

 「ここに気をつけてほしい」「こうするといいですよ」などの指導である。

 自分の経験を踏まえて指導することが多いのだが、その際に「しくじり先生(失敗談)」パターンで話すのか、「情熱大陸(成功談)」のパターンで話すのか。

 

 自分はもっぱら「しくじり先生」のパターンで話すようにしている。その方が職員に伝わる気がしている。

 

 情熱大陸のパターンだと、どうしても自慢話に聞こえてしまうのではないかと言う心配がある。(そもそも、そんなに語れるような成功談もないのだが…。)

 

 例えば、研究授業の後に、指導者が全体を見ていない時の場合は、次のような話をする。

 

 

 

 私は、若い頃にこんな指導をされたことがあります。

 

 「あなたは、教室の中央ばかり見ていて、端の方の子がどんな反応をしていたかを見ていないでしょ」

 「首を傾げていたのに気づいていないでしょ?」

 「教室の全体を見て指導すれば、児童全員の反応が分かりますよ。」

 「授業中は、扇風機の首振りのように全体に視線を配りながら指導をするといいですよ。」

 

 このように語ると、「全体を見ながら授業を進めよう」という指導ができる。

 

 自分の失敗談を通して指導をした方が、素直に聞いてもらえるような気がしている。

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中山隆氏のオンライン講演会に参加しての学び・・・オンラインの講演会や授業での基本的な流れ

2023年01月21日 | 授業づくり

 中山隆氏のオンライン講演会に参加した

 演題は、「 宮崎版教育イノベーション ~宮崎だからできた、そして、これからできる教育の未来~ 」

 学校教育だけではなく、行政や保護者、地域を巻き込んでどのような教育を作っていくかという内容だった。

 すでに「こゆ財団」では、そのような教育を始めているということで、事例紹介もあった。

 

 内容からも学ぶことが多かったが、講演の手法も勉強になった。

 1つのテーマにつき、次のような流れで進んでいった。

 

 

 初めにこの流れを示し、レクチャーの後に、対話の時間があることを伝えておく。

 レクチャーでインプットをした後は、必ずアウトプットの時間がある。

 そうなると、必然的に考えながら聞くことになる。

 能動的にレクチャーを聞くことになる。

 

 授業でも「教えて考えさせる」流れは重視するが、オンラインの講演会でも同じだった。

 

 この進め方は、今後広がるであろうオンラインでの授業や講演会でも使えるのではないだろうか。

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もっと早く読んでおけば良かった・・・ 土井善晴氏の「一汁一菜でよいという提案」

2023年01月18日 | 本と雑誌

 

 土井善晴氏の「一汁一菜でよいという提案」を読んだ。

 もっと早く読んでおけば良かった。

 

(本の紹介ですが、以下、長文になってしまいました。でも、この本の良いところは紹介できていると思います。よろしかったらお読みください。)

(この本を読み、実践すると、食生活が変わります。いい本だと思います。)

 

 一汁一菜とは、「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型のことである。

 次のように書いてある。

 

 「ご飯は日本人の主食です。汁は、伝統的な日本の発酵食品の味噌を溶いた味噌汁。その具には、身近な野菜や油揚げ、豆腐などをたくさん入れられます。それに漬物。野菜の保存のために塩をして、発酵しておいしくなったのが漬物で、それは、いつもある作り置きおかずです。」

 

 この本を読んで、一汁一菜には次の良さがあるとわかった。

 

1つ目・・・食べ飽きない。

2つ目・・・具沢山の味噌汁を食べることによって、栄養も十分に摂れる。

3つ目・・・食事作りが簡単になる。負担にならない。

4つ目・・・余計な食品添加物を摂らなくて済む(これは本には書いていないが、結果的にはそうなると考える。)

 

 ご飯と味噌汁、漬物は、次のような良さがあるそうだ。

 

 「食べ飽きないご飯とお味噌汁、漬物は、どれも人間が意図してつけた味ではありません。 ご飯は、米を研いで、 水加減して炊いただけ。 日本で古 くから作られてきた味噌は微生物が作り 出 したもので、人間の技術で合成したおいしさとは別物です。 人間業ではないのです。」(p15)

 

 「ご馳走」と「日常の食事」を比較して、次のようにも述べている。

 

 「肉の脂身やマグロのトロは、 一 口食べるなり反射的においしい ! と感じますが、それは舌先と直結した「脳」が 喜んでいるのだと思います。 そのように脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。」

 

 「若い人が「普通においしい」という言葉使いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。普通の おいしさとは暮らしの安心につながる静かな味です。切り干しのおいしさは、「普通においしい」のです。(p20)

 

 

 確かに、切り干し大根は美味しいが、ご馳走を食べる時の「美味しい」とは違う気がする。

 「普通に美味しい」は、失礼な言葉だと思っていたけれども、その言葉が相応しいのが、一汁一菜の食事かもしれない。

 

 

 一汁一菜の良さは、簡単さにもある。負担が少なくなる。

 

 次のような記述があった。

 

 「食事を 一 汁一菜にすることで、食事作りにストレスはなくなります。それだけで精神的にも随分とらくになるはずです が、その上で、自由にのびのびできる余暇という時間を作ることです。 それによって楽しみができて、心に余裕が生まれてきます。」

 

 

 そうなのだ。この本を読んで以来、基本的には、ごはんと味噌汁を食べるようにしているが、楽である。

 具沢山の味噌汁にしても、切って入れるだけなので、楽である。

 

 

 日本には、 「ハレ」と「ケ」という概念があります。ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常です。 日常の家庭料理は、 いわばケの食事なのです。手間を掛けないでよいそのケの料理に対して、ハレにはハレの料理があります。そもそも、 両者の違いは「人間のために作る料理」 と「神様のために作るお料理」 という区別です。それは考え方も作り方も正 反対になるものです。(p29)

 

 多くの人が、ハレの価値観をケの食卓 に持ち込み、お料理とは、テレビの料理番組で紹介されるような手のこんだも のでなければいけないと思い込んで、毎日の献立に悩んでいるのです。(p32)

 

 

 確かに料理番組を見ると、ハレの日の料理ばかり紹介される。(ケの料理では視聴率は上がらないだろうけれども)

 

 料理番組で紹介される料理は、伝統的な和食の日常料理とはかけ離れてきているのだろう。(美味しい料理を食べさせたいと願う家庭料理の作り手の気持ちもわかるけれども)

 

 

 読んでいて、余計な食品添加物を摂らなくて済むとも感じた。

 なぜなら、「一汁一菜」の料理は、基本的には、素材に手をかけずに、シンプルに作るのが基本である。

 そうなると、今売られている添加物がたくさん入っている加工食品を使う機会は少なくなるだろう。

 

 

 この本を読んでいて、本当に「一汁一菜で良いのだ」と感じた。

 

 頭でも心でも感じることができた。もっと早く出会いたかった本ではあるが、これから先の自分の食生活は間違いなく変わる本であった。

 

 人生で一番若いのは今なので、今出会えたことに感謝したい。この本には、他にも簡単な出汁の取り方やお膳の活用など、食事を美味しく食べるヒントがいろいろと紹介されている。おすすめの本です。

 

 

 

  

 心に残った文章を他にもいくつか載せておきます。

 

 家庭料理、 日常の料理は、こうした当たり前の調理以上にはそもそも手を掛ける必要はない、というのが本当です。手を掛けることは 手数を増やすことでもあって、食材に触れれば必ずその分だけ傷み、鮮度が落ちます。ですから、見た 目を良くしようと意識して手数を増やせば、素材はまずくなります。(p27)

 

 

「一汁一菜」とは、ご飯を 中心として汁(味噌汁)と菜(おかず)それぞれ一品をあわせた食事の型です。ただし、おかずは昔の庶民の暮らしではつかない ことも 多く、実際には「味噌汁」 「ご飯」 「漬物」 (=汁飯香)だけで一 汁一 菜の型を担っていました。(p52)

 

 

 まず、 一汁一菜の型を、きれいに整えることです。きれいな三角形に整えることで、毎日の食事を楽しくする基本になります。 ご飯は左、味噌汁は右側に置いて、漬物は向こう側に、そして手前に箸を置くという型です。

 この型を守ることで、たぶん、子どもたちもお行儀が良くなって、ご飯の食べ方も、身についてくると思います。 まず は、目の前をきれいにして、きちんと整えることを教えてあげて下さい。大人だって、目の前にきれいな食事があれ ば、自然と姿勢が正される気持ちになるでしょう 。 これが、食育のはじまりです。(p158)

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リーダーになる人のたった1つの習慣

2023年01月11日 | 本と雑誌

 

 「リーダーになる人のたった1つの習慣」とは何か

 

 これを述べるために、物語が始まる。

 赤字のカラオケ店があった。

 3人の若者が店長として、立て直しに取り組む。

 どんなリーダーになればよいのか、3人がそれぞれ悩みながら立て直していく。

 初めはうまくいかないが、若者がリーダーとしての学びが深まることで、希望が見えてくる。

 この立て直しの物語を通して、あるべきリーダーの習慣が見えてくる。

 

 物語の最後の方で、メンターとして3人の若者を指導してきた柴田氏は、次のように述べている。

 

(物語をじっくり読みたい方は、読んでから以下の文章を読むことをお勧めします。)

 

 

「仕事において、最高の報酬とは、まさしく感動だよ。私はこれまで、君達にたくさんのことを伝えてきたけれど、リ ーダーになる人に、たった一つ、習慣にしてほしいことがある。それは、人を変えたければ、相手を感動させ、 一緒に 感動する、ということだ。これだけは覚えておいてほしい」

 

 そう、感動である。

 

 どのように人を育てればよいか。

 次のように述べている。

 

 一番大きなきっかけになるのが、相手を感動させることです。感動は人の意識を一瞬にして、大きく変えてし まうことがあります。

 感動は、テクニックだけで生み出せるものではありません。人と人との関係の中で生まれる感動は、そこにいる人の 思いの強さによってもたらされるものだからです。

 相手が感動するためには、相手に対する真剣な気持ちと本気の行動が、相手の想像を超えることが必要になります。

 いずれにしても、相手が変わるかどうかは、自分の意識と行動の結果なのです。相手を変えるのではなく、自分自身を 見直し 、自 分を変えることによってしか、相手を変えることはできません。

 それは、相手に対する信頼と愛情にあふれることであり、その思いが様々な行動や 出来事を通して相手に伝わり、共鳴することであると言ってもいいでしょう 。

 私たちは人間関係の中で、最も多くのことを学ぶことができます。 いつでも他人は、自分が成長する最高の機会を 与えてくれて いるのです。

 

 人材育成のポイントにも触れている。

 

 第一 は、まず、自分が見本になること 。 相手がどうかではなく、まず自 分が相手の見本になっているかどうかということです。

 (略)

 第二は、相手を信頼すること 。 信頼とは、相手がどうかではなく、自分が相手をそのまま受け入れる覚悟ができて いるかどうかということです。別の表現をすれば、自分が相手と 一生涯付き合う覚悟を する こと、と言って もいいでしょう 。

 (略)

 第三は、相手を支援すること。支援とは、相手を楽にすることではなく、相手をやる気にさせることです。

 

 このように、ポイントだけ書いていると、味気なく感じるかもしれないが、物語を読んでからこの文章に触れると、説得力がある。 

 

 

 

 

 

 

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救急車のサイレン音が多くないでしょうか?

2023年01月11日 | ブログ

 最近、救急車がサイレンを鳴らして走る姿をよく見かける。

 以前より、かなりよく見かける。

 

 救急車を呼ぶのはよっぽどのことだろう。

 重病ではないことを祈る。

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前後裁断する具体的な作法・・・丁寧道

2023年01月05日 | 本と雑誌

 この本を読んで良かった。

 そう思える本が年に何冊かある。

 

 この本は、間違いなくその中に入る本である。

 

 その本とは、「丁寧道 ストレスから自由になれる最高メソッド」である。

 著者は、書家の武田双雲氏。

 丁寧道とは、「今ここ」に集中する営みである。

 

 「前後裁断」という言葉がある。

 これは、過去も未来も断ち切り、今にすべてを集中することである。

 過去を引きずり、未来を心配することで、そこから悩みや不安が生じてしまう。

 

 「今ここ」に集中する技法としては、「マインドフルネス」や「瞑想」がある。

 

 この「丁寧道」は、動きを伴ったマインドフルネスだと思う。

 

 丁寧道の実践方法の具体例として、著者は次のような例示をしている。

 

 

 

 「いま、あなたはお風呂場の中にいる、と想像してみてください。これから髪を洗おうと思っています。当然、シャンプー容器のポンプを押しますよね?  そのとき、シャンプーの容器をできるだけ丁寧に、楽しそうに全神経を駆使して味わってみてください。」

 

 「たとえば、ポンプをいつもよりじっくり押して、そのときの「しゅこ~、しゅこ~」という音に耳を澄ましてみる。「意識して聞いたことなかったけど、いい音だなぁ~」「やさしい音だなぁ~」なんて感じてみるのもありです。」

 

 「また、シャンプーの容器を楽しそうに眺めてみてください。ちょっと見てみると、容れ物・ポンプ・ポンプの中の部品等々、いろいろなものを組み合わせてくれているおかげで、スムーズにシャンプーが出てくることがわかります。」

 

 「それに、想像をめぐらしてみると、温もりのあるピンクの容器も、涼しげなブルーの容器もメーカーやデザイナーさんがさまざまな工夫を凝らしてくれて、ああでもないこうでもないと改良しながら使いやすいものにしてくれているんだなぁ~なんていうイメージも湧いてきます。 そして浴びているシャワーの一滴一滴が、顔や頭に当たっている感覚もじんわりと感じ取ってみてください。」

 

 

 

 いかがだろう。この方法ならば、「今ここ」に集中することができる。

 

 これ以外にも、次のような例もある。

 

 

 

 昼食が一人で立ち食いそばだったとしたら、ただ腹を満たすためだけにそばを流し込むので はなく、七味を振ったときの「シャッ、シャッ」と いう音を味わってみたり、そばをすすると きの唇やノドに全神経を集中 してみたりする 。

 

 おやつにポテ トチップスを食べるなら、 目を閉じてカリッという音に耳を澄ませながらじっくり噛みしめてみる。チョ コを食べるなら、噛んですぐに飲み込むのではなく、しばらく舌の 上で甘 さをじんわりと味わい、深呼吸してにつこり微笑んでから 「ああ、本当においしいなあ」とボソッとつぶやいてみる 。

 

 料理をつくるときなら、食材を包丁で切るときの感触に意識を向けてみる 。そ れを炒めると きの「ジュー」という音に心湧きながら集中する。フライパンを振るときの重さをじっくりと感じてみる 。

 

 仕事帰りの食卓でビールを飲むときには、いつもよりじっくり缶を開けて「プシュッ 」 とい う音 に耳を澄ましてみたり、グラスに注ぐ「 トクトク」という音を味わってみたり、あえてノ ドを渇かしておいてビールのキレを「く〜っ」と感じ尽くしてみたりして、ニンマ リする。

 

 コーヒー好きの人は、ミルで「ザザザ~」と豆を挽く音を楽しみながら、お湯をじっくり注ぎ、そこから立ち上がってくる香りに至福を感じてみる。

 

 温泉好きの人は、 湯に浸かる瞬間から足で温度を感じつつ、湯の肌触りや体がほぐれていくのを味わいながら、「あ〜、極楽だ~」と笑顔になってみる。

 

 

 

 これらの丁寧な動きは、常に行うのは難しいので、1日のうちに何回か意識して行うようにしている。

 やってみるとわかるのだが、五感を使って丁寧に動くと、マインドフルネス状態になる。つまり、意識が今この時に集中している。

 過去や未来の出来事ではなく、「今ここ」に意識が集中される。

 

 本の中では、

「丁寧道をやるとなんでいいのか」

「丁寧道がうまくいくためのポイント」

「認知を変えれば、一生が変わる」

なども述べられている。

 

 自分の意識と行動が変わるという点で、とても良い本に巡り会えたと思う。

 

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