仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

離任式での挨拶文

2020年03月31日 | 教師修業
 転勤することになり、離任式(先生と児童とのお別れの会)があった。

 教員生活で初めてのことであるが、校内放送での挨拶となった。

 体育館などで対面しての式ではない。音声のみでの挨拶である。

 今の状況を考えれば、集団になるのを避けなければならない。

 その校内放送では、とても平凡な挨拶だが、次のように挨拶をした。



 教頭の○○です。

 4月から、となりの○○小学校に行くことになりました。

 みなさんとは、昼休みに鉄棒遊びや長縄遊びをしたり、立腰の勉強をしたり、百人一首をしたりしましたね。

 私にとって、とても楽しい○年間でした。

 ○○小学校では、とてもすてきな思い出がたくさんできました。

 すてきな思い出ができたのは、みなさんが、素晴らしい子どもだからです。

 みなさんは、とても素直で、先生達の言うことを良く聞いて頑張る人たちです。

 教えられたことを素直に聞いて努力できるところは、みなさんのとても素晴らしいところです。

 これからもその素直さで頑張ってください。

 これからも○○小学校のみなさんのことをずっと応援しています。

 ありがとうございました。さようなら。

 

 (ウーン、平凡な挨拶だなあ・・・。)
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残念で残念でたまらない

2020年03月30日 | 修養
 困ったときは原点に返る。悩んだときは原点に返る。

 もう1回、もう1回と、何度も見直してみる。

 これは、オレがいつも考えていることだし、ずーっとやってきたことだ。
 

ドリフ時代も、いつもセットをどうするかって時に、このことを実践していた。

 いろんなアイデアが出てきて、どうしたらいいのか混乱してくると、「じゃ、基本のベンチ1個のセットに戻って考えてみよう」って。

 途中まで作ってしまうと、どうしても「ここまでやっちゃったから」という気になってしまいがちだ。


 煮詰まったら、いったんチャラにする。フツーの仕事でも、同じじゃないかな?その方が結局、早道だし、最後はうまくいく物だ。


 オレは、元来コツコツ型の慎重派で、どこまでやっても安心できない性格らしく、最低でも予備のプランを2つ以上持っていないと不安でたまらない。

 だから、何回でも見直す。リセットして、ゼロに戻してから何度でも見直してみる。すると、本来の目的がはっきりと見えてくるものだ。



 これは、私が尊敬する志村けん氏の言葉である。

 著書「志村流」の後書きに書いてあった言葉である。

 芸に対して、仕事に対してとてもまじめで、常識人だった志村氏が大好きだった。

 志村氏の笑いは、常識人だからこそ作れると考えている。


 本日、亡くなられたと聞いて、言葉が出なかった。

 映画初主演となる予定だった「キネマの神様」も観たかった。

 まじめに生きて、真剣に仕事をし、周りの人に幸せを与える志村氏の仕事をもっと観たかった。

 亡くなられたのは、とてもとても残念である。

 涙が止まらない。
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1日あたりのコストで買い物を考える

2020年03月29日 | 通販・買い物
 電気カミソリが動かなくなった。

 突然のことである。

 思えば購入してから7年間、ほぼ毎日使ってきた。

 よく頑張ってくれた。

 突然壊れたので、その日からは久々にシェービングクリームを付けてひげを剃る。

 しかし、肌が弱いせいか、剃った後はひりひりする。

 電気カミソリよりも、時間がかかる。

 ということで、新しく電気カミソリを買うことにした。

 パナソニック の電気カミソリである。 ES-LV7E-A

 5枚刃なので、きれいに剃れる。肌に優しい。

 28800円と高価なのだが、こういう買い物をするときは、1日あたりの価格で計算することにしている。

 前のもそうだったが、7年間くらいはもつだろう。365日×7年間=2555日である。

 28800円÷2555日=11.272・・・円

 約11円である。

 5年間だったとしても、1日あたり16円もかからない。

 「快適な朝を過ごすために、1日あたり約15円くらいの投資をする。」

 という気持ちで買うことにした。

 
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パソコンは家電製品としてみれば不良品?

2020年03月28日 | 修養
パソコンが起動しなくなった。

そのため、iPhoneで入力している。

つくづく思うのだが、パソコンというものは、家電製品としてみたならば、「不良品」である場合が多い。

炊飯器や湯沸かし器が動かなかったら、必ず買ったお店に行き、交換をお願いする。

パソコンに関しては、うまく動かなくても、「自分が悪いのかな」?と、何故か考えてしまう。


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感染拡大を防止するために、子供達にはこのように伝える

2020年03月27日 | 保健体育
 昨日は、「感染拡大を防止する理由」について書いた。

 昨日は百日咳の場合だが、現在感染拡大防止に努めている新型コロナウイルスでも、同じことがいえる。

 重症化する人や致死率の高い人が居る。

 高血圧に糖尿病、心臓病等の基礎疾患を抱えている人や高齢者である。

 もちろん若い人でも重症化する場合はあるが、致死率は今のところ低い。

 

 春休みが終わったら、学校生活が再開されることになっている。

 感染拡大防止の行動がとれるようになってほしい。

 例えば、手洗いをする子になってほしい。

 早寝早起きをして、抵抗力を維持できるような生活を送ってほしい。



 自分が学級担任だったら、次のように話すかもしれない。

 「今、新型コロナウイルスによる病気が広がっていますね。

 そのために、3月は休校になりました。

 新型コロナウイルスに罹ると、重症化したり、亡くなったりする人が居ます。

 若い人にとっても危険な病気ですが、特に危険なのは、お爺ちゃんやお婆ちゃんたちです。

 そして、心臓や血管の病気に罹っている人たちです。

 お年寄りや病気に元々罹っている人の場合、病気が重くなったり、亡くなったりする可能性がとても高くなります。


 もし、君たちが罹ってしまったら、君たちのお爺ちゃんやお婆ちゃん、近所の人たちも罹る可能性がとても高くなるのです。

 自分の身を守るためだけでなく、君たちの周りの人を守るためにも罹らないでほしいのです。

 そのために何ができるかは、分かっていますね。

 何をするとよいのですか?

 (「手洗い」「マスクの着用」「睡眠をとる」などが子供達から発言されるだろう)

 (①換気をする ②密集しない ③近距離での会話や発声を避けるなどが出れば素晴らしい。)

 そうですね。そういうことに気をつけて過ごしましょう。」



 自分を守るためだけでなく、周りの人、特に高齢者や基礎疾患を守るために行動するのである。

 こう伝えることで、子供達の意欲はもっと高まる気がする。
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感染拡大を防止する理由

2020年03月26日 | 保健体育
 以前、百日咳にかかった子供がいた。

 その子は出席停止となる。

 出席停止期間は、次の通り。

 「特有のせきが消える、または5日間の抗菌性物質製剤による治療終了まで」

 ただ、百日咳に罹った場合、重病化する小学生は、かなり少ないと聞いた。

 なぜ出席停止にするのか?

 それは、「乳児を守るため」だそうである。

 百日咳に罹った場合、小学生以上の子供が重病化することがまれだとしても、

 「感染力が強い」「乳児の死亡率が高い」

 という特徴があるため、流行させてはいけない。

 

 罹った小学生以上の人は、重症化しないとしても、

 感染力が強い百日咳を広げてしまう可能性が高い。


 よって、感染者を減らし、乳児に感染する可能性を下げるためにも「百日咳で出席停止」は重要である。



 そして、今は新型コロナウイルスの感染拡大防止が重要な課題になっている。

 なぜ感染拡大防止を目指すのか、百日咳の場合とも共通している。
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儀式に参加する時に大切なのは、・・・

2020年03月25日 | 授業づくり
 卒業式が終わった。

 3月はずっと休校で、全く授業ができなかった。

 子供達は全く練習をしないままで本番の卒業式を迎えた。

 通常ならば、卒業式に向けて練習をする。

 歩き方からお辞儀の仕方、卒業証書のもらい方や呼びかけに歌など、いろいろな練習を通して、儀式への参加の仕方を学ぶ。

 今回は、それが全くできなかった。

 唯一、今朝30分ほどかけて、流れを伝えただけである。

 

 練習をしないまま迎えた本日の卒業式だったが、すがすがしかった。

 一番の要因は、「子供達が一生懸命に卒業式に参加していたから」である。

 2月までと同様に、真剣な態度で卒業式に臨んでいた。

 途中でお辞儀をする場所を間違えたり、お辞儀をしなかったり、帰るルートを間違える子も少しは居た。

 しかし、少々の失敗は気にならない。

 表情や行動からは、「小学校生活最後の行事に精一杯の力を出して参加しよう」という気持ちが伝わってきた。

 

 今日の卒業生からは、教えてもらった。

 やはり、儀式に参加する時に大切なのは、「気持ち」であると、改めて教えてもらった。

 ただ、そういう気持ちで参加できたのも、これまで六年間で育てられた力、総合力なのだろう。
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体育科指導の力量がすぐに分かるポイント その3

2020年03月24日 | 体育
 体育の授業を見て、すぐに力量が分かるポイントがある。

 その3つめは、「教師の立ち位置」である。

 子供達が運動をしている時、教師はどこに立つべきか?



 なるべく、外側に立つようにする。

 どういうことかというと、運動している子供達の外側に立つことで、全体を視野に入れることができる。

 逆に、子供達の中に入ることで、背中側にいる子供達の動きが見えなくなる。

 子供達が運動しているサッカーコートの中に入って指導していたら、教師の背中側にいる子供達の動きは見えない。隣のコートの子供はもちろん見えない。

 よいプレーをしても褒めることができないのである。



 もちろん、個別指導をする際には、中に入って指導する時もあるだろう。

 その時間は短くするべきである。

 中に入っての指導の時間が長くなると、他の子供の動きは見えなくなる。 

 特に、跳び箱運動をしている時などは、子供の動きが視野に入っていないと危ない。

 基本的には、子供達の集団の外側から集団を見て、必要に応じて中に入って個別指導をするというのが望ましい。



 そうそう、跳び箱運動の場合は、個別指導をしたい子供達の跳び箱は一番箸に置くようにしていた。

 そうすることで、開脚跳びの補助をしていても、視野の中には、運動をしている子供達全体が入っている。

 安全に運動できているかを確認しながら個別指導ができる。
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学級担任として、4月の初日前にやっていたこと

2020年03月23日 | 学級経営
 学級担任として、4月の初日前にやっていたことは、

 1つめは、「名前を覚える」である。

 何回も名前を声に出す。

 春休み中は、いろんな方法を使って、何回も声に出し、耳に入れて覚えていた。

 可能ならば、昨年度の顔写真ともリンクさせながら覚える。

 兄弟姉妹がいれば、担任したことがあって、知っていれば、覚えるのは更に速くなる。

 こういう準備をすれば、学級開きの初日には、3分の1くらいの子は、覚えてしまう。

名前を呼んでもらうと、子供と担任との心理的な距離は縮まる。


2つめは、「学級のルールをノートに書く」である。

 朝学校に来たら、誰が何をするのか、どんな係や当番を決めるのか、すべてノートに書いて決めておく。

 ルールが分からなければ、周りの人に聞きながら決めればよい。1度作っておけば、次の年には、改訂版を作っていけばよいので、ぐんと楽になる。

 また、4月に入ってから、子供達と作ったルールができるかもしれない。そのルールもノートに書き足しておく。


 3つめは、「1週間のプランをノートに書く」である。

 出会った初日から1週間のプランを書いておく。特に初日から3日間はノート2~3ページになるくらいに書いてもよい。

 自分の動きや何を伝えるかも書く。子供に何をさせるかも書く。

 書いていると、迷いが少なくなる。


 4つめは、「授業プランの準備」である。

 主な発問と指示、そして板書計画だけでもよい。

これもノートに書いて準備する。

 先行実践を参考にしながら作ればよい。

 先行実践の情報は、本だけではなく、インターネットでも手に入れられる。

こうして作ったノートは、次の年から改訂版ができる。

 毎年レベルアップしながら学級経営ができるようになる。
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体育科指導の力量がすぐに分かるポイント その2

2020年03月22日 | 体育
 体育の授業を見て、すぐに力量が分かるポイントがある。

 その2つめは、「準備運動で何をしているか」である。

 一年間、同じ準備運動をしている学級もある。

 何かこだわりがあってやるならば良いが、惰性でやっている場合も結構多い。


 ラジオ体操を毎回やっている学級もある。(ラジオ体操には、やる意義があるが、いい加減なラジオ体操が多い)

 また、同じストレッチや体操だけをやっている学級もある。

 授業における教育活動には、意味があるはずである。

 毎回同じ準備運動でよいわけがない。

 

 例えば、器械運動ならば、マットや跳び箱などの場づくりをする。

 その後は、関節の可動域を広げる運動をする。

 手首や足首のストレッチである。

 そして、本時の運動の「下位の運動」を行う。

 「ゆりかご」や「倒立」「カエルの足打ち」などである。

 「下位の運動」のレベルが上がってくれば、本時の運動の成功率は必ず上がる。

 できる喜びを味わえる子が多くなる。



 例えば、水泳ならば、「けのび」「伏し浮き」「だるま浮き」などである。

 「だるま浮き」10秒ができる子は、25m完泳できる確率がかなり上がる。


 例えば、サッカーならば、一人に一つボールを持たせて、ドリブルしながら運動場を走る練習である。

 どの子もボールコントロールがうまくなる。



 準備運動一つとっても、やるべき内容は必ずある。

 本時の学習につながる前段階の運動をさせるべきである。


 その運動をさせずに、毎時間同じ準備運動をしている授業をみることもある。


 ちょっとしたことかもしれないが、「準備運動で何をさせているか」でも、授業者の力量は見えてしまう。
 
 
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お彼岸に墓参り

2020年03月21日 | 家庭教育
 今日はお彼岸ということで、墓参りに行った。

 しかも、ちょっと特別な墓参りである。

 墓石を作り直したということで、新しいお墓に、ご先祖の骨壺を入れていった。

 墓誌も新しくなった。

 (墓誌とは、お墓の横にある石板である。亡くなったご先祖の名前となくなった日付や年齢が書いてある)

 墓誌を見ると、1827年生まれの五代前のご先祖が、初めに書いてある。

 隣の鹿児島県から移住してきた人である。

 明治になる2年前のことである。

 父に尋ねると、3日間かけて、馬車でやってきたとのことだった。

 四代前のご先祖は、その時すでに生まれていた。

 四代前のご先祖は、その時4歳。馬に乗せた籠の中で座って移動である。

 3日間も籠に乗っていたので、ずっと籠の中で揺られていた。

 揺られているので、へりに頭をこすられ、血が出たそうである。

 結局その部分だけ、頭髪は生えてこなかったとのことである。

 移住後も、相当な苦労をしてきたらしい。

 今のように、機械はない。

 山や荒れ地を開墾して、田や畑を作った。水も引いた。

 木の切り株などもあっただろう。

 岩ももちろんあっただろう。

 山や荒れ地を、人力で開墾した昔の人の苦労は、想像できないくらい大変なモノだっただろう。



 そういえば、自分が小さい頃は、ひい爺ちゃんや爺ちゃんは元気だった。

 身の回りのモノは、縄でもわらじでも、いろいろ作っていたのを思い出す。

 大工仕事もうまかった。

 山に行って、山菜も採ったし、鳥や動物を捕まえるための仕掛け罠も作っていた。

 

 というような話を、自分も子供や孫(まだいないけど)に、語って聞かせてあげようと思う。

 そうやって、がんばって生きてきた人たちの子孫なんだよ。

 ということを語ることで、命がリレーされてきたことを感じてほしい。
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体育科指導の力量がすぐに分かるポイント その1

2020年03月20日 | 体育
 体育の授業を見て、すぐに力量が分かるポイントがある。

 その1つめは、「運動する場の多さ」である。

 マット運動ならば、少なくとも3~4人に1つは、マット運動をする場がほしい。

 (30人の学級ならば、10カ所くらいとなる。)



 理想と反対なのが、場が少なくて、子供の人数が多い場合である。

 そんな体育の授業を見ると、「子供がかわいそうだなあ」と感じてしまう。

 時々、10人くらいで1つの場を使っている場合がある。

 運動したら、次に自分の番が回るまで、長く待たないといけない。

 そんな体育の授業だと、運動量がかなり少なくなる。

 運動量が減るので、満足感を味わえないし、うまくもならない。



 逆に、1つの場につき、3人くらいだったとする。

 マット運動の技を終えたら、また開始する場所に戻るわけだが、その時には、もう自分の順番がやってくる。

 すぐに運動できる。

 運動量だけを見れば、1人に1つの場で良いのだが、お互いの技を見たりアドバイスをし合ったりすることを考えたら、3人に1つの場が理想的である。

 そんな体育の授業を見ると、「いっぱい運動できる子供達は幸せだなあ」と感じてしまう。
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現代詩の祭典・・・「現代詩」は何と読む?

2020年03月19日 | 国語
 「現代詩の祭典」というイベントがあるそうだ。

 最近、チラシで見た。

 「現代詩」と呼ばれるモノを読んでみたい、音読してみたいと思った。

 「現代詩」があるということは、近代詩や古代詩もあるのかなあ・・・とも思った。

 「現代詩の祭典」かあ、行ってみようかな・・・。

 そんなことをぼんやり考えているうちに、「現代詩」にルビが振ってあるのが目に付いた。



 そのルビを読んだら、「現代詩」というのを読みたい気持ちがしぼんでしまった。

 何と言うルビが振ってあったかというと・・・。



 「ことば」である。

 「現代詩」という漢字の上に、「ことば」というルビがあった。

 つまり、「現代詩」と書いて「ことば」と読ませるのである。

 「げんだいし」で良いではないか。

 「げんだいしの祭典」ではなくて、「ことばの祭典」なのだ。


 もう一度いう。

 「現代詩の祭典」は、「げんだいしの祭典」で良いではないか。

 少なくとも、「げんだいしの祭典」を「ことばの祭典」と読ませるそのセンスが分からない。

 美しいとは思えない。

 まあ、これは単なる自分の主観なので、「ことばの祭典」の方が、表現として面白い、美しいと感じる人もいるのだろう。



 ただ、自分にはそのセンスは合わない。

 「ことばの祭典」には行きたくない。

 (「げんだいしの祭典」ならば、行きたかったなあ。)
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中学生の行動に感動

2020年03月18日 | 修養
 甲府市の中学生が手作りマスク600枚寄付したというニュースを、今朝ラジオで聞いた。

 高齢者がマスクを買い求めて何軒もの店をまわる姿を目の当たりにしたことが、そのきっかけだったとのこと。

 多い時には1日に5時間かけて30枚以上作ったそうである。

 これまでにかかった材料費は、約8万円。

 材料費は、その子が幼いころから一度も使わずにためてきたお年玉でまかなったということである。

ニュースを聞いていて、涙が出そうになった。有り難いことである。

 きっと多くの人が、同じように心温まる思いをしたことだろう。




 ただ、たまに、ひねくれ者がいて、善意を素直に解釈しない人もいる。

 この中学生のニュースを聞いて、杉良太郎氏のエピソードを思い出した。

  震災直後、被災地にボランティアに駆けつけた杉さんへのインタビューである。

 10台以上の車に物資を積み込み、一生懸命に炊き出しをしている杉氏に対して、ひねくれ者であろうインタビュアーが、次のように尋ねた。

「偽善とか売名と言われることもあると思いますが…」

 こう聞かれた杉さんが、何と答えたか。




「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。

 私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」


 と、答えたらしい。

 痛快な答えである。

 きっと杉氏は、これまでも同じようなインタビューを受けて、不快な気持ちになったこともあるのではないだろうか。
 杉良太郎氏が、これまで真摯に福祉活動を初めとする社会貢献をしてきたかは、著書「媚びない力」で読んだ。役者の仕事も、社会貢献も、真剣にされてきた方だということが分かる。


 甲府市の中学生も、もしも、ひねくれ者に尋ねられたら、こう答えるかな?

 「ええ、私のことをそういうふうにおっしゃる方も、ぜひ自費で8万円出して、100時間という時間を使って、600枚のマスクを作ったらいいですよ。
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なぜ家庭学習の習慣化をすすめるのか、その理由となる本

2020年03月17日 | 修養
 学級担任をしていた頃は、6年生であれば60分くらいは家庭学習を習慣化するように指導していた。

 (ただし、「120分を超えても出された宿題が終わらないようならば、それ以上はしなくても良い」とも伝えていた。)

 なぜ家庭学習を習慣化してほしいのか、

 それは、努力することが当たり前という感覚を身につけてほしいと考えていたからである。

 努力するのが当たり前、家庭学習をするのが当たり前と考えられる子は、中学校や高校に進学した時に必ず伸びる。

 さらに、大人になってからでもいえる。

 知的な作品でも、モノづくりでも、努力を習慣化している人こそが、大きな成果を残すからである。



 次は、渡部彰一氏の著書「実践・快老生活」からの引用である。

 渡部彰一氏といえば、上智大学名誉教授であり、歴史や生き方に関する本を多数執筆されている方である。

 著書「知的生活の方法」は有名である。

 

 私は、老後の充実のために、ぜひとも心がけておくべきことがあると思う。

 それは、

 「機械的な仕事の方法こそが、決定的に重要である」

ということである。

 (中略)

 ここで機械的というのは、毎日、決まった時間を割いて仕事に取り組むというほどの意味である。

 生産力の高い作家たち(多作であったり、数々の長編を残したりするような作家たち)は、多くの場合、一日のうちで執筆に充てる時間を決め、機械的といっていいほどの勤勉さで執筆に励んでいるのである。

 (中略)

 われわれは、文学作品であれ、絵画であれ、音楽であれ、「芸術」といわれる分野のものは、

 インスピレーションによってできあがると思いがちである。

 もちろんインスピレーションがなくて芸術作品が生まれるわけはないが、

 「作品」と名の付くものは、その大部分は機械的な作業であることを知らない人は、

 知的生産には無縁にとどまるであろう。

 人は、機械的に働くという習慣(勉強の習慣)が付くと、

 次から次へと、最初は考えることもできなかった大作を仕上げることができるようになるらしい。

p.176




 渡部彰一氏のは、知的な生産物を生み出すには、機械的に取り組むのが一番であるといっている。

 そうであるならば、小学生のうちに、機械的に取り組む習慣をつけてあげることは、その子の一生の財産になるだろう。 

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