よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

ぼんやり~ぬ。

2013年04月25日 | 復興プロジェクト



どうやら気づかぬうちにまた風邪に当たったよう。

日中、どうにも加工場でしんどくなり、それでもなんだかなーと一日過ごしたら、

昨夜寝る前に猛烈な悪寒に襲われて熱を計ると38度手前。

あわてて寝たものの私の気づかない所で夜中まで唸ったいたらしく、となりのカミさんに朝イチで猛抗議を受けてしまう。





我が家の10本ほどのプチ梅林も満開。良い香りを振りまいております。




そろそろ、一本目のたけのこが顔を出しているかと夕方の散歩ではチョビを引き連れて竹林まで。

残念ながら収穫はなし。

しかし、数年前に圃場拡大計画に失敗したクレソン。数十分の一の面積だけど、元気に育っています。




放射能がなければタケノコヤマ再生計画進行中だったのに、アレ以来、この季節の楽しみが失われた気がする。

いつもなら、親戚のおんちゃん達がウズウズしてコゴミ採りに歩き始める時期。

外で大量になってる原木しいたけも、肉肉しくうまそーなのに、、、テンションがあがらない。

宮城のたけのこ産地で有名な丸森も、あれだけ手をかけてブランドに育てたのに本当に気の毒。

現実に生活がある以上、保障も大事だけれど、そういう金で済まないっていう部分をもう少しみ~んなで考えねばねー。

なんでも金と交換出来るって思ったら最後に馬鹿見るのは自分らだ。。。



ちょっと疲労たまり気味。




日中のあったかさに、メルもたまらずアクビばかり。。。


持つべきものは・・・。 組織改革。

2013年04月08日 | 復興プロジェクト



暴風暴風また、暴風。。。。



また一本倒されました。

なので、薪にする木が勝手に倒れてくれたと思って刻みます。




たねの森から種が届きました。

今年も色々試します。幅を広げます。



本当なら今晩会議をする予定でした。

ちょっと集まれなくてやめました。

近いうちに組織改編!

ちょっと海山との関わり方を変えてみようかと。

年明けから考えてました。

海山の価値という点では何も変わってはいないのですが、自分的に行き詰まりを感じています。

具体的にどうのこうのなら簡単ですが、そんな問題ではなく、自分は答えに小数点があるうちは悩む人なので、

それをメンバーに相談しようかと思っていました。

あまりにも関わっている外部が多すぎるのもひとつ。

ひとつを掘り下げる時間が取れないので、パパパッと捌いているうちに充実感がなくなってきた。

それで面白いと思えるうちはいいんだけれど、今度は気が入らなくなるのが怖くなるというジレンマ。

行きついた気がします。

楽しめなくなるといやなので、楽しめるうちに切り替え。



詳細はまた近いうちに。

当面はほっかぶって過ごそうと思います。


ワークショップ。

2013年03月24日 | 復興プロジェクト


早くも一ヶ月が経ち、海山主催二回目のワークショップの日。


まだ頭痛がするものの、体調は改善しつつある。











自立支援、仕事作り、で始めた新聞バック。

実績、という点では何にもないところから始め、
それなりに切らさずに仕事を継続出来た、という自負もある。

それこそ、山の手は生業を立てながら手弁当で力を注いできた。

それこそ、関わりを持った以上は責任もあるから必死だった。


二年が経った。

震災で感じたことは新聞バックに通じる価値観、それが一番取り戻すべきもの、ではないかと感じた。

実際、生まれたたっくさんの支援プロジェクトは手仕事で、作る手触り、人の顔、

あるものを活かす知恵、そんなものが多かった。

それは単に「無いから」ではなく、大きな震災を機に、被災地の人も、そうではない人も、

人の暮らす世の中、人が呼吸する社会、、、、人を根底に感じたからだ。

が、

それをいつまでも引っ張り続けるのは私の役目ではない。

これからは、「仕事として与えらてきた」折手が、少しずつ、次、を感じ、自分で

切り開いて行くきっかけの場を作っていかないと。

その試みの一つがワークショップ。

そこで、一歩づつでも踏み出せればいい。それが、根付くということ。



今日の講師でもあり、昨年四万十のコンクールでもグランプリを頂いたK條さん。

今日も新作の新聞バッグを作ってきた。

全国津々浦々から送って頂く新聞。

中で、定形のバックには中々使えないサイズのものがあり、それを、

せっかく頂いたのだから活かしたい!無駄にしたくない!と、考えて作ってきてくれた。

それはそれは素晴らしい発想。震えるほどの感動でした。

まだ秘密なので画像は載せません!(笑)



なんでもそうだけれど、単に与えられてやる人と、

しっかりと向き合って形を仕上げる人では、ぱっと見が明らかに違う。

そこを 四万十の梅原先生は見抜いてたんだなー、と今更ながらに感服している次第。



そういうのを見せられるとね、やっぱりいい意味で、俺は俺の1番をやりたい!と刺激されます。

よっちゃん農場頑張って、ほっかぶりたいっ!(笑)

よっちゃん農場 × K條さんの新聞バック をやりたい!って思っちゃう。



だからこそ、少しづつ、少しづつ、形を変えていかないとと考えるのです。




原点はこの「出来たー!」というドヤ顔の連鎖!


なんだか中途半端ですが、iPadで書きにくいということで勘弁ください。。

ぎりぎり。

2013年03月20日 | 復興プロジェクト


今日こそやりたいと思っていたことが、今日も出来ずじまい。

車をちょっと片付けることも、加工場の壁のちょこっとした汚れさえも拭く時間がないほど、ぎゅうぎゅう詰め。

身体も疲れてるけど、それ以上にこういうストレスが、ずっと辛いこのごろ。

もう限界。



大分暖かくなって、

ということは、冬の間にやらなければならないこともタイムリミットが迫ってる、ということ。ギリギリ。








今月が色々と山だけれど、4月に一旦整理。

来年度はよっちゃん農場8割でいく。その他は2割。

今年のメインディッシュは、親父がずっと担当してきた米作り。今年から私もしっかりと取り組んでいきます。

いつまでも形だけでは仕方がないので親父に密着して習います。






午後、一ノ蔵に向かう途中のモスバーガーにて情報誌ぱど発見。

めくると1ページ目に先日のインタビュー&大ほっかぶり市の広告!

いい内容にまとめて頂き感謝です! 上村さんありがとうございました。




一ノ蔵・酒ミュージアムに向かうと、お世話になってるマーケティング室長Y田さん、そして、

新聞バック、いつでもよっちゃんを販売頂いている東京恵比寿のギャラリーまぁるオーナーKさんがいらっしゃりびっくり。

そういえば来られると聞いてた、、、と思い出す。


一ノ蔵のお酒のラベル、をキーワードに作家の方々の展示が行われており、

お二人に色々とお聞きしながらぐるっとひと回り。

作品の、額に入れて飾ってある表情と、ラベルになったときのそれがまた違って見えるのが面白かった。

Y田さんには色々とネタも頂きました。



夕方は薄暗かったがチョビ散歩に繰り出す。



久しぶりだけれどコースはいつも一緒。

山のある斜面でチョビを遊ばせ、私は捜索作業。というのもここ10回一緒。

先日山作業でなくした、「トビ」と呼ばれる、木を引っ掛けて運ぶ道具があるんだけれど、それを紛失。

STIHL製のあのオレンジなので見えるはず、、なんだけど目の前の10坪をなんど探しても、

この葉を掻き分けても見つからない不思議。高かったんだよな~。

数日前にいつものチェンソー屋さんで同じ話をしたら、山仕事のプロが、目印に派手なテープを巻いといてもよく失くしている、

と聞いた。

不思議。



あー今夜くらいは少しのんびりするべ。

明日は朝市夕市ネットの定期市です!

春に先駆けて、たけのこ水煮、限定で持っていきます!

あ、県庁でもグリーンアップがよっちゃん販売してます! 私はいないけど。







やりたいこと。当てはまること。

2013年03月18日 | 復興プロジェクト



ちょうど今日夕方、再び仙台放送スーパーニュースに登場!

海山の活動、全体像がなんとなくまた伝わったんでねーべがなーと思います。


その「とうほく新聞バックプロジェクト」、高知銀行発送第二弾をみんなでやりました。



2回目となると早い。

あっという間に終了!なんともありがたい!






昼間ははるばる仙台からチーム・NENOKICHI FARM代表星野さん、監督ゆきちゃんが来て、佐藤農場を訪問。




アニキの「週末キッチンねの吉」3月のメインパスタにはこの佐藤農場の梅を使っています。


「梅クリチナーラ」

ほら、うまそーでしょー! 3月もあと少しだがら食べ逃しのないように!

でないと来年からは県南の梅になっちゃいます(笑)


佐藤農場は、来月のほっかぶり市の会場でもあります。

つぼみが大分膨らんできました。きっと、ほっかぶり市あたりが満開だと信じています!






夕方、Yahoo!発送分の商品を頂きに三本木へ。今日も色々と情報交換。


中で、井上さんからある話をされる。

うちに来た時に裏山の雑木林を見てから考えてたことで、モノづくりに関連。私に会わせたい人がいる、と。

私も14.5年前に炭焼を始めるために山に入って作業するようになり、その時から感じていたこと、考えていたこと。

そして、それは時間を経た今の考え方にもしっくりと、ぴったりと当てはまることだった。

早く取り掛かるに越したことはない!と、また気持ちが焦る。






震災後、何が出来るだろうか、と考えた末に海山を始めた。

それは、よっちゃん農場と並列することではなく、

よっちゃん農場として自分の今後はこうだ、という序列一番の筋があり、

その過程で出来るなら、出来る人の輪だけだけれどもやろうじゃないか、それが海山。


新聞バックを織る人達が、

海の人なら自分のワカメを再建する為の、なんでもいい、箱一個でも、一日分のガソリン代でも・・・とにかく「自分のこれをやるために稼ぐんだ!」

海の人たち、また、東北の人たちでまず何か覚悟を持っていて、それに海山を利用する。

それでいい。そうやって一人ひとりが何かを見つけて関わり、

私が代表からいなくなる事が、海山の完成形。

私が海山をやってるのは、気づいて欲しいことがあるから。

自分の周り、同じ県内、東北、、、今回被災したと言われる現地の人が、震災を経て何を感じ、何を思い、どう動く!と決めるのか。

誰かに何かを与えてもらう右ならえではなくって、自分はコレがやりたい!という確信。

それを見つける「場」。なにがしかの価値観を共有するための「場」。

だから、10人居るなら1/10ずつ責任と妄想を分担すればいい。そう思える主体性を作る場にしたい。

大げさ、かもしれないけれど、それが海山を続ける私の最大の理由。

そこからブレた瞬間、自分は自分の居場所にかえります。

そこまでが自分の海山に対する責任範囲。


河北の畠山さんに昨年云われたこと。

「場」は「私」とは切り離されるもの。

なるほどなぁ~と最近腑に落ちてきた。



新聞バック、は良い材料だと思う。つくづく。

エコ、工夫、知恵、もったいない・・・沢山感じる要素を含んでる。




2年という時間継続出来たのも、そんな距離をも超える価値観を共有できた方々との繋がりがあったからだと

本当に感謝致します。


なんだか支離滅裂だけれど、ま、記すという意味で。