トシの読書日記

読書備忘録

日本人として

2019-05-28 15:34:08 | あ行の作家



松家仁之編「伊丹十三選集―日本人よ!」読了



本書は平成30年に岩波文庫より発刊されたものです。


天才、伊丹十三が生前残したエッセイ、評論、インタビュー等を編集し、全三巻の選集にしたものです。その第一巻として「日本人とは?」というテーマをメインに据えて、様々な見地からそれを検証していくという編み方になっています。


いや、実に面白いですね。知的好奇心をいたくくすぐられます。しかし、前半の部分、「日本人はどこから来たのか?」それに続いて「邪馬台国とは?」のようなところは、正直、あまり興味がなかったので、ちょっと読むのがつらかったんですが、それを過ぎると、もう俄然面白くなってきましたね。


真ん中あたりにちょっと軽めのエッセイ(といっても、中味はずっしりと手ごたえのあるものです)、そしてまた後半に対談形式のいわゆる「日本人論」を持ってくるあたり、構成もうまいですねぇ。


「ミドル・クラス」と題したエッセイの中から少し引用します。

<たとえば、ネクタイとスーツに身を固める以上、人前でズボンをたくし上げたり、ワイシャツをズボンに押し込んだりチャックを直したり、そういう真似はよしてもらいたいのである。ひどいのになるとトイレットから出てくる際にチャックを上げたり、ズボンをずり上げながら出てくるではないか。卑猥というものである。最低のエチケットが守られていない。
 エレヴェーターの前に数人の男女が待っているとする。ドアが開いたとき真先に降りてくるのは男である。また真先に乗り込むのも男である。背広とネクタイに身を固めた男である。恥ずかしいではないか。筋が通らないではないか。俺はそういうことはしないといえる人が何人あるか。>

これなんですね。伊丹十三の矜持というものが伝わってきます。男子たるもの、かくあるべしという気持ちにさせられます。


また、一番最後のところ、評論家の山本七平氏とフランス料理を食べながら日本人論を展開するくだり、非常に興味深く読むことができました。


伊丹十三のあふれる才気を改めて感じ入る次第です。

世界を見る目

2019-05-23 00:07:55 | た行の作家



武田百合子「遊覧日記」読了



本書は平成7年にちくま文庫より発刊されたものです。


「ことばの食卓」に続いて本書を読んだわけですが、著者の文章の魅力をなかなかうまく言葉に表すことができず、もどかしい思いをしていたんですが、あれですね、著者は、自分が見るものに対して、少なくとも表現される文章には何の感情移入もないということなんですね。むしろ冷徹な眼差しさえ感じます。


しかし、武田百合子は物事に対して、そんな冷たい眼差しを向けているわけでもなんでもなくて、ただ、著す言葉としてそんな表現になってしまう、そこのところなんとも魅力的なんですね。


小川洋子もお気に入りの「藪塚ヘビセンター」が、中でも出色です。まぁ、ただでさえ気色悪いヘビを武田さんは物好きなんですかね、わざわざ見に行くわけです。このヘビの様子を淡々と書いているところがなんとも気味悪く、いかにも武田百合子らしい文章になっています。


さてお待たせしました(誰を?)。次は「伊丹十三選集」全三巻にとりかかろうかと思っております。

世界の縁

2019-05-14 14:06:07 | ま行の作家


 
村上春樹「海辺のカフカ」(下)読了


本書は平成25年に新潮文庫より発刊されたものです。


いやー感動しました。世界一タフな15才、田村カフカ。まぁいつものごとく謎に包まれたところはあちらこちらにありましたが、そんなことはどうでもいいと思わせるくらいの素晴らしい出来ばえですね、この小説は。


印象に残ったところ、引用します。

甲村図書館、大島さんのセリフです。

<「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。(中略)言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる。」>


また、

<比重のある時間が、多義的な古い夢のように君にのしかかってくる。君はその時間をくぐり抜けるように移動をつづける。たとえ世界の縁までいっても、君はそんな時間から逃れることはできないだろう。でも、もしそうだとしても、君はやはり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。>


田村カフカが森の奥深くを進んでいるときに思索を重ねる場面も非常に印象的でした。ちょっとどんな感想を綴っていいのか、うまく言葉にできません。「ねじまき鳥」もよかったんですが、本作品もそれに負けず劣らず、いや、もっとすごい作品に仕上がっています。


こんなすごい作品を次から次へと送り出していた村上春樹なんですが、今の、例えば「騎士団長殺し」なんかを読むと、なんとこの体たらくという思いで、しっかりせーよ!と背中をどやしつけたくなるのはきっと私だけではないと確信しております。


そんなこんなで村上春樹をめぐる旅も終わりを告げるときが来ました。初期から中期にかけて読んできたわけですが、この物語の構築力たるや、もうため息が出るくらい素晴らしいものがありました。やはり日本文学界における稀有の作家であることは論を俟たないところでありましょう。


何年か後にもう一度同じように再々々読してみようかと思っております。

4月のまとめ

2019-05-07 16:10:07 | Weblog



4月に読んだ本は以下の通り

村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」第三部「鳥刺し男編」
武田百合子「ことばの食卓」
村上春樹「海辺のカフカ」(上)


以上の3冊でした。「ねじまき鳥」は面白かったなぁ。「羊をめぐる冒険」、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、そして「ねじまき鳥クロニクル」と、どんどんテーマが深くなり、そして面白さが増していく感じです。で、真打登場、「海辺のカフカ」というところですかね。


あっちへこっちへ寄り道しながら約半年続いた村上春樹祭りも「海辺のカフカ」(下)を残すのみとなってまいりました。それもそろそろ読み終わるんですが、すごい展開になってます。改めて村上春樹のすごさを感じないわけにはいきません。再三言いますが、そのころは、ということです。

オイディプス王と佐伯さん

2019-05-07 14:43:44 | ま行の作家



村上春樹「海辺のカフカ」(上)読了



本書は平成17年に新潮文庫より発刊されたものです。


さて、村上春樹祭りもいよいよ大詰めを迎えてまいりました。このあとも読みたい本、よまなきゃという本が目白押しなので、そろそろこの辺(本書の上、下巻)で打ち切りにしたいと思っております。


前回読んだ「ねじまき鳥クロニクル」はテーマを簡単に言ってしまうと「愛」と「暴力」であると思ったんですが、本書の(上)だけ読んで思うのは、なんというか、もっと複雑なものが入り組んでいて、なかなか一筋縄ではいかないような読後感でありました。


田村カフカ(主人公)、カラスと呼ばれる少年(カフカの心の中に住む友人)、ナカタさん、星野青年、大島さん、佐伯さん、田村浩一(カフカの父)といったところが主な登場人物なんですが、聞いたところによると、本作品はギリシャ神話を下敷きにしているようなことらしく、それでちょっと調べてみたんですが、主人公のカフカがオイディプスとして、母が甲村図書館館長の佐伯さんということなんでしょう。だとするなら下巻でカフカと佐伯さんが交わる場面があるということなんでしょう。


あと、父、田村浩一(ジョニーウォーカー)を殺したのは作中の文章を読むかぎり、ナカタさんということになっていますが、田村カフカが意識を失って気がついたら服に血がべったりとついていた、というのは多分ナカタさんがジョニーウォーカーを殺した時刻と符号するということなんでしょう。なので現実に田村浩一を殺したのはナカタさんであるけれども、なんだろう、メタファーとしてカフカが父親を殺したという意味に著者は受け取らせたいということなんだと思います。自分は浅学にしてそれ以上のことは推察できません。


「ねじまき鳥クロニクル」も、それ以前の作品に比べて、より深いテーマを掲げていると感じたんですが、本作品は、それらをさらに深く掘り下げたものを感じます。小説として、文学として、より本質に近づいた感じがします。


下巻が非常に楽しみです。