トシの読書日記

読書備忘録

三人組の真面目な冒険

2013-04-18 23:55:01 | あ行の作家
大江健三郎「二百年の子供」読了


読売新聞に連載した大江唯一のファンタジー・ノベルということです。


長男の真木、長女のあかり、二男の朔の三兄弟が過去と未来を自在に行き来して、自分たちのこれからの生き方を考えるという物語です。


兄弟たちの親の故郷の「四国の森」(!)。その森の「千年スダジイ」と呼ばれる千年杉の木の「ウロ」に入って、行きたい時代を三人が同じ強い思いをもって眠ると、その時代へ行けるという、まぁタイムマシーンですね。120年前の明治時代に三人はタイムスリップし、そこで例のメイスケさんに会ったりします。また、80年後の2064年の世界へ行ったりもします。


それを長女のあかりの視点で物語は進んでいくわけですが、面白いことは面白いんですが、文章がなんともかったるい。ファンタジーということで、意識的に難解な言葉や、言い回しを避け、なるたけ平易な文章にしているんですが、今まで大江作品をずっと読んできた者には、いささか食い足りません。

ファンタジーノベルなんだからと言ってしまえばそれまでなんですが、それにしてもねぇ…。まぁ、こんなもの読みました、ということで。



さて、これで大江作品の未読の分はひととおり読み終えました。これからは大江健三郎フェアを開催する契機を与えてくれた三部作にとりかかります。「取り替え子(チェンジリング)」「憂い顔の童子」「さようなら、私の本よ!」です。残りの読むべき本はあとわずかですが、自分としてはやっと本題に入ったという思いです。

心の襞に染み込む静謐な世界

2013-04-18 23:45:56 | は行の作家
堀江敏幸「雪沼とその周辺」読了


いつも行くバーの若いマスターと読書談義をしていて、堀江敏幸の小説がいい、と話をすると、是非おすすめの1冊を貸して欲しいと言われ、本書を貸したのでした。それが先日返ってきて、どうだった?と聞くと、これはいい、すごくいい小説でしたとの答え。自分が書いたわけでもないのになんだかすごくうれしくなり、再読してみました。過去のブログを見ると、7年前に読んでるんですね。


やっぱりこの連作の短編集はしみじみいいです。「河岸忘日抄」と並ぶ傑作です。すごく悲しい話でもなく、感動する話でもないんですが、なぜか涙がじんわりとこみ上げてきてしまいます。なんですかね。


堀江敏幸、この作家に出会えたことを心から感謝します。

錯覚と迷妄の森

2013-04-18 23:07:33 | や行の作家
吉田知子「吉田知子選集Ⅰ 脳天壊了(のうてんふぁいら)」読了



私の大好きな作家、吉田知子が自ら選んだ作品集です。「Ⅰ」とあるので「Ⅱ」「Ⅲ」あたりまであるのでしょう。

本書はアマゾンのマーケット・プレイス(古本)で買いました。古本といって全くの新品なんですが、ちょっと失敗しました。この本は定価が1575円なのですが、それをろくろく確かめもせず、マーケット・プレイスにしか本書がなかったので、そちらで注文したのですが、それがなんと2548円!そんなことなら書店に行って注文して取り寄せてもらえばよかった…。こういうところが自分はバカですねぇ。それはさておき。


表題作を含め、7編の短編が収められています。その「脳天壊了」もいいんですが、「お供え」が出色でした。これは以前にも読んでるんですが、何回読んでも面白い。


夫を亡くした初老の一人暮らしの女性の家の門に毎日花が置いてある。交通事故の現場に捧げる花のようにジュースの空き缶に挿してある。何日もそれが続き、そのうち蕗の葉の上にお団子が乗せてあったり、かと思うとキーウィ、焼魚、まんじゅう等、常識を疑うような物が家の前に置かれるようになる。

しばらく経つと家の前の空き地に何人もの人が集まり、笛、太鼓、鉦等を鳴らして宗教的な踊りをしている。ある朝、目が覚めると家の庭に「ハタリ、ハタリ」というなにかわからない音がする。起きて見に行くと500円、100円、10円等の硬貨が外から投げ入れられている…。


普通に日常を暮らしている者に忍び寄る理不尽な影。吉田知子はこういう物語を書かせたら天下一品であります。でもこれ、主人公もなんだかちょっとおかしいんですね。そこが著者のひと工夫なんだと思います。


巻末の解説に代えて町田康の国語の試験問題みたいなのもあってこれがまた面白い。ひとつも自信をもってこたえられませんでしたが。


これはもう「Ⅱ」も「Ⅲ」も買うしかないですね。いつ出るか知りませんが。

マンガよ、自由であれ!

2013-04-18 22:43:43 | さ行の作家
関川夏央「知識的大衆諸君、これもマンガだ」読了



関川夏央は一時期ハマってよく読んだものです。「石ころだって役に立つ」「家はあれども帰るを得ず」等々。本書も、その頃に買ったものですが、ずっと忘れていました。大江健三郎のあとなので、ちょっと軽いものを、と選んだのですが、なかなかどうして、かなり骨のあるマンガ評論でありました。32の作家、作品について論評を加えていますが、関川夏央は文章がうまい。ちょっとそこに酔っているフシもあるんですが、まぁよしとしましょう。


つまらないマンガに対して、かなり辛口にばっさりと斬っています。例えば…

〈小池一夫という人は、表現は消費されると信じている点で、小説なら西村京太郎に似ている。彼の推理小説は新幹線の車中で消費され、新大阪駅のクズ箱に投じられる。冒頭にハデな設定を用意すれば、たとえそれがコケオドシにすぎずとも読者の心をわし掴みできると見通している点では、映画の五社英雄のようだ。男が犯し、女が犯される。そして女は結局性的歓喜からのがれられない、という考えに揺るぎがないという点では勝目梓か西村寿行である。型押しした人物をあれこれ義都合主義にもとづいて操作したがる点ではアーサー・ヘイリーである。そして、これらのひとびとをつらぬく共通項は、彼らがおなじ作品が二度読まれるはずはないと信じて、実際にそのとおりであることと、作品が批評を拒絶しているということである。〉


どうですか、これ。溜飲の下がる思いです。


他にも内田春菊「南くんの恋人」、いがらしみきお「ぼのぼの」、さくらももこ「ちびまる子ちゃん」、弘兼賢史「課長 島耕作」等々、ほめるもけなすも、そこにはやはり関川のマンガに対する深い愛を感じるのであります。


好著でした。

神のいない教会

2013-04-18 22:11:16 | あ行の作家
大江健三郎「宙返り」(下)読了


「神」とは何か?というテーマを前回読んだ「燃え上がる緑の木」三部作よりさらに一歩踏み込んだ作品という印象を受けました。

師匠〈パトロン〉を中心とするメンバーが四国に移り、かつての「燃え上がる緑の木」の教会を譲り受け、新しく活動を始めるいきさつが木津を中心に描かれています。アサさん、サッチャン、不職寺の松男さんら、「燃え上がる…」の登場人物が再び現れ、そんな前に読んだ小説でもないのに、懐かしい気持ちになりました。


最後、夏の大会で立花さんと森生の姉弟が焼身自殺し、それに続いて師匠〈パトロン〉も火に包まれるという、ショッキングな幕引きとなりました。


印象に残った箇所、引用します。

夏の大会を前に行われた共同会見で、カレン・サトウという20代半ばの女性記者が質問し、木津がそれに応える場面。

〈「提灯を下げた昨夜の子供たちは、谷間の死者の魂を運んで森に帰ったのだそうですね。その魂がまた谷間に戻って、赤んぼうの身体に入るとも聞きました。(中略)しかし、魂がいつまでもそれを繰り返すのなら、仏教の輪廻を思わせます。」(中略)「天上に還る魂は、神のもとの、魂の共同社会に復帰するのでしょう?この土地の伝承では、その魂のために定められている樹木の根本に休んで、孤独に再生の時を待つようです。」〉


仏教の輪廻の思想とはまた違うこの死生観が、この「四国の森」に古くから伝わる伝承なのです。その土地の伝承と、師匠〈パトロン〉を中心とする「反キリスト」の思想とが物語の中で複雑に絡み合い、重厚な作品に仕上がっています。


この作品も一言では感想を表現しにくいです。いろいろなことを考えさせられました。しかし、テーマ自体もかなり深いんですが、小説の作り方が非常に際立っている印象を受けました。主人公である木津と育雄の出会い、育雄と踊り子〈ダンサー〉との子供の頃の偶然の出会いから大人になっての再会。その再会がある意味必然であったと思わせる伏線の張り方。うまいもんです。



大江健三郎フェアもいよいよ終盤になってまいりました。あとは未読の小説1冊を読んだら、去年読んで衝撃を受けた三部作の再読、そして「臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」さらに「水死」の再読ときて、一応終了と相成ります。そろそろゴールが見えてきたかな?

師匠〈パトロン〉と案内人〈ガイド〉

2013-04-09 16:55:14 | あ行の作家
大江健三郎「宙返り」(上)読了



他の文庫に邪魔されながら、ようやっと上巻、読了しました。この作品も前回の「燃え上がる緑の木」三部作同様、テーマは宗教であります。でも宗教というか、宗教というモチーフを通じて、人はいかによく生きるか?という大江の問いかけであるとも言えると思います。


東京を舞台に始まった物語ではありますが、前半の最終章、主人公である木津とその若い恋人(男)の育雄、そして医師の古賀は東京から例の「四国の森」へと向かうのであります。またしても「四国の森」です!そうなると「燃え上がる…」のサッチャンとかアサさんとかまた出番が来るんでしょうか。たのしみです。


印象に残ったところ、少し長くなりますが、引用します。

〈神はこの世界を作りあげている自然の総体だ。というのが(私=師匠〈パトロン〉の思想の)根本です。私たちが信仰を抱いて生きることは、正確にかつ豊かにその総体を認識してゆくことであって、それをよくなしとげた時、私たちの認識そのものが、そもそもの初めから神による認識であったことがわかる。
神から私たちに流入しているものの働きによって、私たちはその認識に到り、それを言葉にすることもできるのだ。(中略)いま私たちは、もう遅すぎる認識を、破壊される神、病む神から、赤んぼうへの母親の口移しの言葉のように導かれているにすぎない。(中略)
世界としての自然、すなわち神を破壊し、恢復しえぬ病いにした、その実行者は人類なのだから。
神へ抗議するやり方によって、悔い改めを導く者、反キリストの教会は、そのように建てられるのではないか?〉

これが作品前半部分の大きなポイントではないでしょうか。救い主である師匠〈パトロン〉のビジョンです。最後に出てくる「反キリスト」というのは、もちろん逆説的な意味だと思います。

後半が楽しみです。

ラストコンサートにかける思い

2013-04-03 16:09:00 | か行の作家
小池昌代「弦と響」読了



外出するときの携帯本として、今読んでいる大江健三郎の単行本はあまりにぶ厚く、重いので、いきおい、こんな文庫本ばかり読了することになっております。大江は家で、仕事場で、少しづつ読み進めております。それはさておき…


この小説はいつもの小池昌代らしくないといえばそんな作品でした。悪くはないんですが、やはりあの「タタド」とか「怪訝山」のような世界をイメージして読み始めると、あれ?という感じでしたねぇ。


弦楽四重奏の鹿間四重奏団が結成30年を経て解散するという、その最後のコンサートを前に、それぞれの思いをモノローグの形で綴った小説であります。


リーダーの鹿間五郎。ファーストヴァイオリン。音楽にかける情熱は誰にもひけをとらないくらい強いのだが、それが災いして時には音楽性の違いから、メンバーとよく衝突をする。そして無類の女好き。


そしてセカンドヴァイオリンの文字相馬、ビオラの片山遼子、チェロの伊井山耕太郎、マネージャーの山下三郎、伊井山の妻、それぞれがそれぞれの思いを胸にラストコンサートに向かう。その様子が丁寧に描かれています。


佳作でした。




書店に立ち寄り、以下の本を購入


稲垣足穂「一千一秒物語」
堀江敏幸「時計まわりで迂回すること――回送電車Ⅴ」

また、ネットで以下の本を注文する

吉田知子「脳天壊了」
アントニオ・タブッキ著 須賀敦子訳「インド夜想曲」


そして姉から以下の本を借りる

G・ガルシア・マルケス著 木村榮一訳「コレラの時代の愛」
バルガス・リョサ著 西村英一郎訳「継母礼賛」
バルガス・リョサ著 西村英一郎訳「ドン・リゴベルトの手帖」
ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳「さくらんぼの性は」
幸田文「増補・幸田文 対話」(上)(下)
車谷長吉「車谷長吉の人生相談 人生の救い」