冬バテなる言葉はないのだが、まあいいとする。
さて結局布谷文夫の「悲しき夏バテ」を聴いたわけだが、思つてゐた以上にファンキーな盤であつた。この作品も恐らく大瀧詠一の福生スタジオで録音されたナイアガラ関連作品なのであらうが、そこはかとないガレージ的な質感がロックンロールである。さて、「ロックンロールである」といふ表現はやはりちと恥づかしい。
すぐにライナーが出てくればパーソネルも調べられるのであるが、物置の段ボールの中の奥深くにきつとあるだらうから、勝手な想像や推測で書いてみるが、「冷たい女」のスライドギターはきつと伊藤銀次だ。渋いのにポップだ。
それにしても。ガレージ的な質感とはいふものの、演奏は実に巧みである。締まつてゐる。隙が無い、といふと何だかけなしてゐるやうな感じにもなるが、勿論良いいみで隙の無い演奏だ。その上に布谷氏のダークなやうなとぼけたやうな、恰好良い歌がのれば、結局「ロックンロールである」と表現せざるえない。シェギナベイベイ。
かういふ締まつた音を最近聴かない。随分昔に「インベルベル」でも書いたことがあるが、80年代以降商業音楽はオーバープロデュース気味なんぢやないだらうか。
ともかく、布谷文夫の潔いとすらいへるあの歌声に黙祷。