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因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

青い鳥が逃げていく(いはを)

2023-07-29 22:29:18 | デジタル・インターネット
ブログ。SNS全盛の今、何故ブログを書かねばならないのか。
と、そんなことを書きながら、たまには投稿しておかないと、何か悪いといふか、長文も書いておいて損はない気もするしな、といふ気分で、キーボードをカチカチやつてる訳です。

かういつたマクラなんか、SNSで書いてる暇や場所が無いもんですが、長文が投稿できるブログなら、マクラだけ書いても別に構はない位、ある意味では自由度が高い訳です。

さて、ではSNSの何が良いのか。双方向性?、リアルタイム性?、依存性?…、依存性は良い面ではないですな。しかしながら、常にチェックできる気軽さや簡便性が依存を生むといふ意味では、SNSに頻繁に投稿する人といふのは、何らかの依存状態にあることは言へるでせうね。かくいふ私もその渦中にゐるのかもしれません。

さて、Twitterから青い鳥が逃げてしまひました。いや、正確に言へば、イーロン・マスクによつて放逐され、「X」になつてしまつた訳です。

青い鳥のロゴに思ひ入れがある訳でも何でもないと、自分では思つてますが、それにしても「X」のロゴ、馴れない。何か気持ちが悪い。すかした感じを出さうとして、ことごとく失敗してしまつてゐる、そんな一種の「痛さ」みたいなものを感じてしまふ。そもそも、イーロン・マスク氏自体、何となく掴みどころがないといふか、ふざけてるのか本気なのか分からない恐ろしい感じがあります。

Twitter自体が、エコーチェンバーになつたり、ヘイト言説の温床になつたりと(ヤフコメの方が酷い気もしますが)、それ自体に問題があるといふか、モデレーションが効いてないといふ面はある訳で、なすべきことはそこなんでせうけれども、むしろモデレーションをより効かさない方向へと舵を切つてるやうに見受けられます。マスク氏がTwitterを買ひとつて以降、その傾向はますます顕著ではないかと。

青い鳥が逃げた、或ひは放逐されたといふのは、辛うじてあつたTwitter上の「希望」「自由」「良心」が追ひやられたといふことを象徴してゐるのではないかと、何となく感じる訳です。

それにしても、「希望」「自由」「良心」といふ言葉、昔の自分であれば「こんな言葉を使ふのは恥づかしい」と思つただらうなと感じます。
でも、この「恥づかしい」と思ふ気持ち自体が、80年代~90年代サブカルチャーの冷笑的なものの見方からの影響で、その冷笑自体がヘイトだとか右傾化だとかに繋がる要因ではないかと、最近思ふやうになりました。
おそらく、このブログの前身の「時事放談」の頃の文章なんてのは、さういつた悪しきサブカルチャーの影響で、それこそ「恥づかしい」部分が多分にあるのではないかと思はれます。
まあ、それも含めて自分たちといふことで、そのまま残しておきます。いや、もしくは、別の文脈で読めるところもあるかもしれませんしね。