この期に及んで東京スタイルのホームページ

因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

漫然とした話(いはを)

2018-09-15 23:37:18 | 日記
ツイッターを始めてから、長文を書くのがどうも億劫になつてしまひ、9ヶ月も我がホームグラウンドを疎かにしてしまつた。
まあ、このブログを期待してゐる人がゐるかどうかは知りませんが、もしいらしたならば申し訳ございません。

さて、色々書かねばといふか、書きたいといふか、自分自身の問題として書いておいた方がいい案件が溜まつてゐるにも拘はらず、一つひとつにガップリと取り組む気力が無く、漫然と書き連ねようと思ひます。

今年はビッグネームの訃報が相次ぎまして、何がなんだか訳がわかりません。
その中から今僕が漫然と取り上げようと思ふのは二人の女性。

森田童子とさくらももこ。

一見、このお二方の共通点は無い。

片やアンダーグラウンドのシンガーソングライター、片や国民的漫画家。

しかし、二人とも本名は非公開。そして、「私」をさらけ出してゐるやうで、フィクショナルな「私」を作品世界で突き通した人達といへます。
まあ、さくらももこの本名は非公開ながら出回つてますが、それをどうかうしようとはここでは致しません。

シンガーソングライターとしての森田童子、漫画家としてのさくらももこは「公開」された存在です。当人たちが見られたり、聴かれたり、読まれたりすることを想定し、そのために作り上げたペルソナといへます。

その一方で、公開を望まず、隠し通した「本名」の彼女たちも確実に存在してゐた訳です。

二人とも作品からは「私」的な要素が強く出てゐるやうに感じられます。しかもその「私」的なものは、物凄くダークだつたり、それをさらけ出して本当にいいのかと思はれるものだつたりします。
しかしながら、それと同時に強固な虚構性も同時に感じられます。森田童子であれば、カーリーヘアにサングラスで素顔を隠し、1986年以降全くメディアには現れなくなり、普段どんな生活を送つてゐるのか全く分からない「森田童子」といふ「キャラクター」を守りきりました。さくらももこであれば、一見作品やエッセイからは生活感が強く感じられ、「ありのままに」「私」を描いてゐるやうで、その実は「かうであつたらいいのに」といふ理想や願望を作品に託し、プライベートを切り売りする「私小説」的な手法からは決然と距離を保つてゐたやうに見えます。

森田童子も(「ちびまるこちゃん」での)さくらももこも、過去に理想や願望(しかもそれは現実世界では成就する可能性の無いもの)を投影してゐたんだなあ、と今更ながらに気付くわけです。


森田童子の「夢」は、高校時代の学生運動に投影されてゐるやうに聴こえます。そこには深い挫折があり、彼女自身も心に深く爪痕が残されたのではないかと楽曲からは推察されます。しかし、その挫折の裏には甘美な思ひ出があり、どうもそれは一種のコミューン的な連帯とでも言ふべきものだつたのではないかと、聴いてゐる側は勝手に想像するわけです。

「ちびまるこちゃん」だつて、昭和40年代後半から50年代初頭にかけての「甘美な思ひ出」とでも言ふべきものが基調を成してゐるやうに思ひます。ただし、実際のところは「甘美」なものでなく、困難や傷つくことも多いかつたとは推察されます。しかし、それを「甘美な思ひ出」に純化することで国民的な共感を得たといへる気がします。その「甘美な思ひ出」といふのは、高度経済成長を経て「豊かなニッポン」がやつとのことで実現し、世の中全体が安定した秩序の中で営まれてゐたといふ、一種の信仰ではないかと考へられます。日本全体が緩やかな紐帯の中で幸せに暮らしてゐた、といふ信仰です。

森田童子もさくらももこも、結局は「時代の子」であつたといへますが、「時代の子」といふ特定があればこその普遍性があつたんでせう。
しかし、その普遍性そのものが虚構であり、その虚構の中だからこそ、「私」的なものの発散ができた、といふメカニズムだと考へます。

本名の「私」はこの普遍性を食ひ破る可能性を孕んでゐます。実際は虚構のやうにうまく事が運ばない訳であり、また、本名の「私」自身が作品の虚構性に影響され、苦しい状況に陥つてしまふ危険性もある訳です。

といふことで、漫然とここまで書いてきました。

虚構を虚構として享受するなら、「本名」の森田童子やさくらももこを知る必要は無いのでせう。それが彼女たちに対する礼儀かもしれません。

しかし、人間は弱いもので、礼儀と知りつつ、ゴシップ的な話題をどうしても漁りたくなる性分もある訳です。