この期に及んで東京スタイルのホームページ

因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

最近アップした動画を(いはを)

2022-10-22 23:09:30 | 音楽
ブログを書くのは久しぶりである。
最近はTwitterばかりやつてゐた。それでいいのかよく分からない。

140字以内に何が書けるのか、それは大したことは書けない。
しかも、140字分まるまる使ふことが殆どで、それでも書ききれない場合はスレッド化する。
しかしそれだと埋もれてしまふので、意味があるのかどうなのか、といふところである。

といふわけで、前回はコロナ禍で世の中がどう変はるのかといふ話題を書きましたが、どうも、変はつたんだか、変はつてないんだか、変はつたことに気付かないのか、そんなところである。
凡そ、変はつたことに気付かないといふのが真実に近い気がします。

それから、7月の選挙前のあの事件について、あれで世の中がギアチェンジしてゐるだらうことは、何となく確かなやうに感じます。
一般的にも「宗教右派」なるものを認識しだしてきたといふ点で、大きな変化ではないかと思ひますが、そこからどうしていくかは私たち次第と、そんなところでせう。

ここの所、色んなことを考へます。
例へば、80年代から90年代にかけての日本のサブカルチャーとは一体何であり、今の我々にどんな影響を及ぼしてゐるのか、とか。
結局、何でもかんでもネタにして、相対化して、それが冷笑に転じ、そのままゴロゴロと権威主義にまで転落したといふ皮肉。
相対化によつて権威をその座から引きずり降ろしていたつもりが、権威主義になつてしまふといふのは、一体どういふことなのか。
まあ、この件についてここで詳しく書くのも面倒なので、今回は触りの部分だけといふことで。

なんといふか、長文を書きたいといふ欲求が、年々薄まつてきてゐるんでせうかね。
歳を取るといふことなんでせうか、よく分かりません。ともかく、10年前なら日本のサブカルチャーの転落について、長文でゴリゴリ書いたんでせうな。
といふか、10年前はそのことに気付いてゐなかつたかもしれません。

さて、ここで本題。

タイトルに記しましたとおり、最近アップした動画のURLを貼り付けたいと、そんなところです。
最近アップしたとはいへ、映像自体は3年前のものです。コロナ禍前です。弾き語りのライブの練習映像といつたところですな。

誠に遺憾に存じます(植木等カバー)


忘れることの肯定(弾き語りVer)


春に


ムーンライトながら


あと、同じ時期の動画ですが、2年位前にアップしたものですね。

「三時の子守唄」(弾き語りカバー)


「君は変わっちゃったネ」(弾き語りカバー)


といふ訳で、恥も外聞もなく、動画を貼り付けました。
宜しくお取り計らひくださいますやう、何卒何卒、お願ひ申し上げます。

色んな音源発掘プロジェクトは継続中

2017-07-15 22:54:57 | 音楽
色んな音源をアップしてます。


東京スタイル「clear」(青春群像ライブ版)



東京スタイル「shit music」(青春群像ライブ)



東京スタイル「Hurry, beautiful face」(青春群像ライブ版)



東京スタイル「沼」(青春群像ライブ版)



しかし、音源は残つてゐても、映像が残つてないのが、ちと寂しい。仕方ありませんが。

チャック・ベリー断章

2017-04-20 23:59:02 | 音楽
この時事放談においてもチャック・ベリーに触れなければなるまい。ロック、もしくはロックンロールに少なからず触れた者にとつては、チャック・ベリーは決して避けては通れない大きなモノリスのやうなものだ。

さて、山下達郎のサンデーソングブックでも言及されてゐたが、日本ではチャック・ベリーはリアルタイムで入つてこなかつた。ブリティッシュインベンジョンのバンド群によつてまづは間接的にもたらされたといへる。

ビートルズ、ストーンズ、キンクス・・・、ブリティッシュロックの礎を築いたバンドでチャック・ベリーの曲をカバーしなかつたものはほとんど無いのではないか。そして、このことはブリティッシュロックの礎の礎はチャック・ベリーであつた、と言つても全く問題とはならない程の影響力である。

さて、チャック・ベリーの影響力の源泉は何であらうか。
それは、ロックンロールのフォーマットを完成させたといふ点にある。チャックの代表曲はそのままロックンロールと等号で結ばれるし、ロックンロールミュージックとはチャック・ベリーの完成させたフォーマットを踏襲した音楽である。つまり、型こそが強いといふことである。

I-Ⅳ-Ⅴの3コード、8ビートのリズム、独特な複音のギターフレーズ、そして所謂ボトムリフ。かういつた型が後の世代にとつての「共有」財産となつた。チャック自身は著作権に拘る部分もあつただらうが、しかし、型はオープンソースであり、この型にどれだけ多くの若者が救はれてきたのか。(もしかしたら、逆に毒され苛まれた若者もゐたかもしれないが。)何にせよ、その計り知れなさには文化といふものの本質がある。

「共有」が可能だつた要因は、それがシンプルで、だれでもそれなりには様になる型だつたからである。そして、その型によつて踊ることが出来たといふ点が重要である。ダンスミュージックだからこそ多くの若者たちに共有され続けてきたわけだ。

それにしても、改めてチャック・ベリーの音楽を聴くと、実は僕らがすぐにイメージできるロックンロールの型とは何か違ふと思へるところがある。ドラムは4ビート、もしくはシャッフルしてゐるのである。しかし、ギターは8ビートのリズムを刻んでゐる。このズレこそがチャック・ベリーによるロックンロールのマジックであり、ミステリーではないか。

ダンスミュージックといふ話をした。ロックンロールがシャッフルのリズムであつたら、果たしてここまで大衆化してゐたのか。非常に疑問である。スクエアな8ビートだからこそ、人種を超えた訴求力があつたのではないか。しかし、この点を理詰めで論証することは僕一人の力では厳しいものがある。従つて、僕の持つてゐる一種の偏見的な感想でしかないのだが・・・。

シャッフルのドラムと、8ビートにギターのズレ。これはロックンロール黎明期の混沌だつたのかもしれないし、可能性であつたともいへる。そして、この点にこそ、それまでの音楽とロックンロールの断絶と連続の二律背反を見出せるのではないか。

ロックンロールと、ブルースあるひはリズムアンドブルースとの間には、一般的には断絶をイメージするかもしれないが、実は(本当は当然のことながらと言ひたいが)、そこにあるのは連続性である。結局、乱暴な言ひ方をすれば、ブルースが突然変異してロックンロールとなつたといへるのである。

さう考へると、チャック・ベリーのロックンロールをブルースと解釈して聴くことは、なかなかスリリングなことかもしれない。

結局はファンクネス(いはを)

2016-06-26 00:58:10 | 音楽
時事放談の更新が億劫だね。でもあるものは有効利用しなければ、といふ訳です。

さて、デイヴィッド・ボウイの「5年間」バスドラキック問題について、それなりの回答が出ました。
ファンクネスです。あのバスドラの感じはファンクネスなのです。

これはツイッター上でサエキけんぞうさんから直接確認がとれたことなのでほぼ問題ない説だと思ひます。

とすると、「ヤングアメリカン」からベルリン時代まで、リズム隊がファンキーだつたことの説明がすんなりつきます。
結局、ボウイのリズム感覚は一貫してかなりファンキーなんです。

で、ストーンズについても、「スティッキーフィンガー」のアップテンポの曲は、やはりファンク的要素が強いのです。

ファンクのドラムパターンは、一定のグルーブを紡ぎ出すことが重要なのです。でも極端に複雑ではありません。そこが真似しやすいポイントでもありますね。

てなわけで。