この期に及んで東京スタイルのホームページ

因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

オーケンの業(いはを)

2008-09-30 20:39:00 | ブログ

どうも、いはをです。

エリック・アンダースンの「ブルーリバー」を聴きながら書いてます。

なんだか急に涼しくなりましたね、ここ2、3日で。さういへば、明日から10月。なんだかなあ・・・。

何となく4年前の時事放談を読み返すと、丁度同じ日の文章があり、僕はタスクとベルベットでドラムスティックを買ひに行つてました。ついでに、「来年の今頃自分は何をしてゐることやら」等と書いてます。仕事してました、3年前も2年前も、1年前も・・・。そりやさうだ。勤め人だもの。さすがに平日に堂々とタスクとドラムスティックは買ひに行きませんはな。

ああ、今年仕事の部署異動になつたんですが、異動前の部署がテンヤワンヤなんで、ちよくちよくお手伝ひに行つたり、今の部署は今の部署で色々と予期せぬ事態に対処し、毎週月曜日にはギター教室を開き、ついでに大学1年生とバンドを組むと、軽い分裂状態に陥ります。なんだか、自分が何をしてゐるのかよく分かりません。が、まあいいとするか・・・。

昨日職場の先輩と将来設計について話し、マイホームを買ふか、賃貸でやり通すか、マンションを買ふか等といつた話題がもう既に現実的であることを実感し、その後ギター教室で頭髪の後退についての話を大学の同期の人として何だか切なくなり、今日は今日で業者さんの車の中のラジオで24歳にしてマイホーム持ち且つ2児のパパの話が流れて、そりや早いな等と思つた。

何だか、得体の知れない人生のうねりに確実に巻き込まれつつあるやうだ。どうにか今まではそれを回避してゐたが、これからは少しづつ、しかし確実に僕を巻き込んで行くのであらう。

少々引き裂かれ気味だな。

頑張れ、ジェンキンス。

では。


野生動物の知性(いはを)

2008-09-25 21:24:00 | 音楽

こんばんは。いはをです。

ラジオデイズ3と行きたかつたところですが、先程フラワートラベリングバンドを観てきたので、一言。

ジョー山中。60を過ぎてあの声量とプロポーションは奇跡です。

ニューロックは専門外ですが、このバンド、ステージに出てきた瞬間から風格が違ひました。風格。寄り切りで全勝優勝の風格。

ギターの石間さんは全編シターラといふ変な楽器で通してました。独特の音が出るんです。この楽器のためか、ニューロックとは異質なバンドサウンドになつてました。これは、キーボードの音が分厚いので、シターラは主に単音で奏でられてをり、一種「民族音楽」的な彩りを添へてゐたことによるんでせうね。つまりこれが21世紀のFTBといふことなんでせう。

まあ、そんなところで。


僕らのラジオデイズ2(いはを)

2008-09-19 20:20:00 | アート・文化

しつこくラジオデイズ。

AMラジオを聴かうとしたのは、やはり、北陸の片隅にある町でも上手くいけば「東京」のラジオが聴けるといふ点にあつたのは昨日も書いた通り。例へば、ニッポン放送の1242キロヘルツといふ周波数にすら何かしらの魔力を感じてゐた

つまり、田舎者であつたわけだ。

ニッポン放送から流れてくるラジオCMは東京の業者が主であるが、例へば秋葉原オノデンのCM等は、今思へば雑然としたものだが、その頃は夢の「東京」幻想をかきたてた。ザワザワした感じがまさに「都会」だつたのだ。わが住まひから遠くにあつて、その当時はあまり行つたことが無い場所だつたからこそ、想像力がかき立てられたわけだ。

ナイターすらも、わざわざ東京のラジオ局で聴いた。テレビでも放送してゐるし、勿論ローカルのラジオでもやつゐる。でも敢へて東京のラジオで聴く。よく考へれば、雑音は混じるし、聴けなくなることもあるわけだから、甚だ非合理的である。しかし、その障害こそが想像力に火を付けるわけで、普通のナイターよりも何倍も楽しめた覚えがある。

そもそも、ラジオといふ媒体自体想像力をかき立てるものである。

例へば、女性パーソナリティーの声を聞いてその人が一体どういふ顔をして、どういふ恰好をして・・・等をおそらく多くの人が自然と想像してゐる。まあ、別に女性ぢやなくてもいいが。ともかく、自分の想像を膨らませ過ぎて、実際はとんでもないなどといふことは、まあよくある話で、だからと言つて幻滅する必要はなく、自分の想像こそがリアリティを持つてゐるものだ。

クリント・イーストウッドの映画で「恐怖のメロディ」といふ作品があるが、これはラジオDJ役のイーストウッドに女性ストーカーが執拗に付きまとふサスペンスである。これを見ると怖くて女の人と簡単に付き合ひたくなくなるが、それは置いておいて、ラジオ(しかも深夜)といふ媒体の持つ想像力をかき立てる効果がよく表現されてゐると言へなくもない。また、その想像力は送り手と聴き手との間に親密な空間を作り出す。

自分はハガキ職人ではなかつたが、彼らの気持は分かる。おそらく好きだけれどもまだ仲良くなりきれてゐない友人に面白い話をして気を引かせたいのだ。DJやパーソナリティもリスナーとの距離感が心地いいので、ハガキを送るやうしむける。緊張感のある馬鹿話なのだ。従つて無駄と言へば無駄。だからこそ得難いのだ。

あ、さうFM編の話をしなければならない。

まあ、長くなりさうなので、途中でまでとしますが、我がラジオ遍歴の原点には我が実家の民放ラジオにて夕方から放送されてゐたリクエスト番組がある。地方のラジオなので、まあ緩いないようではあるが、「今日の統一テストでこんな問題が出た(たまにさういふテストにドラえもん等アニメなどのキャラクターが出てくることがあつた)」とか「最近街中で怪しげな映画のポスターが貼られてゐる(「ザザンボ」とかいふ、社会派?映画のポスターが貼られてゐた時期があつたな)」といつたやうな、身の回りの話が話題に上るので、割に気に留めながら聴いてゐた。

それから、現在の自分に連なるものとしては最も重要な「山下達郎のサタデ―ソングブック」(現在の「サンデーソングブック」)がある。自慢では無いが、「サタデ―ソングブック」の第1回放送をリアルタイムで聴いた。まだ小学校4年か5年だつたはずだ。

そのころは達郎先生のマニアック(先生はこれしきまだ中級と仰いますが)な選曲は幼いころの自分には理解できなかつたが、今でも一社提供で頑張つてゐるジャックスカードのCMが面白かつた。いまだにジャックスのラジオCMはふざけてゐるが、この頃もヒーロー物のパロディ「ジャックスマン」だとか、子供にも分かる面白いCMを流してゐた。

自分の小学生時代はまだ曾祖母が健在だつたが、足を怪我して介護が必要となつてをり、土日は親の車でさういふ施設へ連れられたものだつたが、それはそれなりにしんどいものだつた。しかし、ラジオがそれを救つてくれたのだ。

かう書くと、何だか暗い少年時代ですが、まあそんなに暗くないですよ。

では、また次回。


僕らのラジオデイズ(いはを)

2008-09-18 20:37:00 | アート・文化

こんばんは、いはをです。

最近ラジオを聴かなくなりました。

でも、昔はラジオ少年でした。でも、ハガキ職人ではありませんでした。

AM派かFM派かといはれれば、どちらかといへばFM派でした。だつて、音がキレイなんですもの。

とはいへ、北陸にゐながらも頑張つてニッポン放送を聴かうとしてゐた時期もありました。あれは丁度小学校6年生から中学校1年生にかけてだつたかな。

その頃のニッポン放送平日夜10時台は伊集院光の「Oh!デカナイト」だつた。まあ表記はこれでいいのかどうか、気になる人はウィキペディアで調べて下さい。まあ、さういふ番組をやつてました。

印象に残つてゐるのは、伊集院光が「火星人がゐないのは、酸素がないからだと学者はいふけれど、酸素以外のガスを吸つて生きるせいぶつだつてゐるかもしれないぢやないか」と熱弁してゐたことですね。何故だか未だにこの言葉が心の片隅で燻つてます。

日曜夜は古田新太と犬山犬子の「サンデーおちゃめナイト」でしたな。この番組で印象に残つてゐることは、休憩中に古田が食べてゐたカップラーメンに鼻水が入つてしまつたが、犬山はそれをつゆ知らずに口にしてしまつたといふエピソードを番組中披露してゐたことですかね。これは別に心の片隅で燻つてはゐないです。

北陸でも夜になればどうにかニッポン放送が聴けました。まあ、チューニングにはかなり苦労するんですが、それだけに上手く受信できた時の喜びは一方ならぬものがありましたな。それだけで感動できたんです。東京のラジオが聴けたとね。

さういへば、丁度その位の時期に真心ブラザーズの「サマーヌード」が日清カップヌードルのCMソングかなんかになつてゐて、よくラジオでかかつてゐたなあ。

90年代半ばは、僕にとつてはラジオの時代でした。

何故かそんな事を急に思ひ出してしまつた今日この頃。

次回はFM編で。


無色に彩られた郷(いはを)

2008-09-16 19:34:00 | ブログ

こんばんは、いはをです。

先週末から昨日にかけてハードなスケジュールでした。何があつたか?まあ、小鹿ジェンキンスの練習等があつたんです。他にもありましたが、まあ、この放談とは関係ないですな。

小難しいことを書かうかなと思つたんですが、よく考へると、自分は小難しいことが考へられませんでした。

まあ、それはそれとして、仕事をしながらバンド活動をするとは一体どういふことなのか、ふと考へたんです。

所謂「オヤジバンド」といふものがありますが、彼らは歳をとつてもさういふ活動をしようといふのですから、やはり尊敬に値します。しかし、さうとはいつても、彼らの多くは人に見せるためにやつてゐるわけではないので、僕らがさういふバンドに出くはした時、多少退屈を感ずることがありますな。まあ、勿論全てのさういふバンドが退屈だとは言つてません。さういふことが多いと思ふだけです。

つまり、「趣味」で音楽活動をしてゐる。当然である、義務や必要でそんなことをするわけはない。まあ、趣味が昂ずると義務や必要になる可能性はありますが、それは稀なケースである。問題は「趣味」といふ言葉に含ませてゐる意味である。

趣味とは、勿論自分の好きなことである。そんな事は言はずもがなであるが、問題は趣味と仕事の二元論である。この二元論の捉へ方が趣味を「趣味」へと転落させてゐるやうに思へてならない。

「オヤジバンド」の「オヤジ」達は、昼間は立派な社会人である。中には管理職として、非常に責任の重い業務に携はつてゐる人もゐるだらう。そして、仕事をしてゐる自分に対して疲れてゐたり、疑問を持つてゐたりする場合が多いのではないか。少なくともストレスは溜まつてゐるはずだ。

即ち、仕事によつてもたらされる矛盾を補正するために、趣味を求めるのである。仕事や日々の生活を忘れて楽しむために。「オヤジバンド」はその趣味が偶々音楽であつたといふことである。

ここまでのことに関しては特に問題はない。楽しむことは素晴らしいことだ。ただし、趣味の世界も一つの世界である。単なる現実からの逃げ場ではなく、そこにはその世界なりの現実がある。つまり、単に甘えるための場所ではないのである。

一般的に「趣味」といふ時、本来趣味の世界が持つてゐる現実といふものを端から見てゐないのではないのだらうか。しかし、「趣味」といふ言葉ではなく、柔道、華道、茶道等「道」といふ言葉であれば、その道の現実といふことも容易に理解されると思ふ。

「道」といふと非常に格式ばつたといふか、厳しいやうなイメージがあるが、それは、その「道」における現実がイメージとして強いからで、実際は我を忘れるほど楽しい状態になることだつてある。といふよりも、我を忘れるために厳しい試練や訓練があるとした方がいいのかもしれない。

趣味とは普段の仕事とはまた別の「道」である。従つて、仕事も趣味とは違ふ別の「道」ともいへる。とすれば、多くの「オヤジバンド」が「趣味」として音楽活動をしてゐるといふのは、気晴らしや憂さ晴らしの域を出ないのではなからうか。

気晴らしや憂さ晴らしを見たり聴いたりしても面白くないのは、他人のカラオケがつまらないのと同様である。

翻つて、自分はどうか。常にさういふ疑問と戦はなければならない。