どうでもいいやうな事だが、今年の27時間TVは、個人的には例年になく面白かつた。
ベースとなつてゐる番組は「いいとも」だし、司会はタモリだし、「捻り」は別にない。しかし、久々にフジテレビらしいバラエティだつたんではないだらうか。全部観てゐた訳ではないから、正確なジャッジなど不可能なのだが、「この位のレベルのバラエティなら今でも制作できる」といふことを自負心も込みで証明しようとしてゐたのは、断片的に観ても理解できた。
しかし、それと同時に一抹の寂しさみたいなものをも感じてしまつた。
つまり、タモリも、たけしも、さんまも、もう随分と歳なのだといふことが、妙に強く感じられたのだ。即ち、80年代から現在まで日本のバラエティ界を背負つてきた人々が、もうそろそろで隠居してしまふかもしれない、といふ寂しさだ。
それは、子供の頃から彼らの番組を観てきた僕ら(30前後の年齢の人々と言ひ換へてもいい)も歳をとつてしまつたんだといふことだ。致し方ない事だが、でも、何だらうか、この寂しさは。
しかし、60を過ぎた男が何故27時間も休みなしでテレビに出続けなければならなかつたのか。「いいとも」の終了が噂されてゐるが、結局27時間TVの中ではそれは発表されなかつた。そもそも、タモリ自身がこの番組に執着してゐるとは思へないのだが、しかし、その乾いた感性のはずのタモリが、今回妙に「寂しげ」であつた気がしてならない。それは「いいとも」云々といふことではなく、といふよりむしろ、それ以上に、「テレビ」といふメディアに対する愛惜の念みたいなものが彼の中に生じつつあるといふこと、ではないか。
それは「テレビ」といふメディアが斜陽をむかへてゐるからかもしれない。所謂「BIG3」がフェードアウトして行くと同時に、「テレビ」といふメディア自体も終焉をむかへる、といふ感じがどうしてもしてしまふし、タモリ自身もさう感じてゐるのかもしれない。
それはそれでいいかもしれないし、やはり寂しいとも思へる。
しかし、まだ終はつてしまつた訳ではないのだ。それまで十分にこの寂しさを味はひ尽くさなければならないのだ、とそんな気がする。