眠れない夜、何かと感慨にふけることもある。
うちに「sweet zombie meeting vol.1」のビデオがあつたので、懐かしくなり観てみた。あ、これはその昔、2005年2月6日静岡スパイラルマーケットであつたライブイベントで、こどものこどもの企画によるものです。2010年の今、もはや古の記憶となりつつありますが、さう考へると無性に切なくなる。
そして、スパイラルマーケット。かつて静岡市の七間町の裏手にあつたライブハウスだ。ライブハウス、といふべきか否か、議論する余地があらうが、ともかく僕らの思ひ出の場所であつたとはいへる。
で、「sweet zombie meeting vol.1」ですが、私は「うたごよみ」といふフォークデュオで出てゐた。話の本筋から外れるが、このライブイベントをググると我ら「うたごよみ」の事が書かれた記事もあつた。曰く、「狭い会場でみんなで座って聴くという今までに無いスタイルを経験。学校の体育館で聴いてるかのような幻覚に陥る。ヴォーカルの音域のふらつきが気になった 」とのこと。これを書いた人、今さら東京スタイルのHPで取り上げられてゐるとは思つてないでせうね。評価についてはノーコメント。
で、自己評価。自分のギターについてですが、思つた以上に弾けている。上手い、と自画自賛しちやいけませんが、今より上手い気がする。悔しい。まあ、あの頃は現役の大学生で、音楽に費やしてゐた時間も全然今とは違つた、のでせうか。でもひよつとすると、今の方があの頃より音楽にかける時間が長いやうな気もする。もしさうだとすると、・・・、いや、そんなこたあないはずだ。
あと、MC。これも私が結構やつてました。何を喋つてゐたのか忘れてゐましたが、案外まともな事を喋つてゐたので、我ながら安心しました。確か、ライブ前にアルコールは入つてゐなかつたはず。うん、やつぱりアルコールを入れてライブをしちやいけないんですね。予想以上に荒れる可能性もありますからね。因みに、今は酒が入つてます。
それにしてもスパイラルマーケット。
古の記憶を紐解けば、三角松葉、ギムギンズ、ペクチン、(リフレクションズ)、といつたバンドを大学一年の時によく観てゐた。今考へると、サブカルチャーな匂ひのするバンドが多いですね。バンド順にジャンルを書けば、ガレージ(フォーク)、ガレージGS、歌モノ、(コミック)、といふ感じでせうか。この頃は静岡大学の幾つかある音楽サークルの中でもイブキといふサークルが最も光つてゐた時代ですね。確かペクチン(このバンドの所属サークルは生音楽同好会だつたはず)以外は全部イブキと関係を持つてゐたはずだ。因みに、これは2001年の話です。
2002年頃から我らが東京スタイルも実際にスパイラルマーケットでライブをするやうになつてくる。この頃は「4REAL NIGHT」やDJ等も込みの「セッション」といふイベントが頻繁に開催されてゐた。どちらもジェットラグといふバンドが噛んでゐた。このバンドも静岡大学の音楽サークルから出たバンドで、3ピースのガツガツロックバンドだ。サークルが一緒だつた縁で(東京スタイルもジェットラグもフォークソング研究会といふサークルに所属してゐた)上記のイベントに東京スタイルも出演するやうになつた。その時知り合つたのがサイババボーズといふイブキのバンドだ。小鹿ジェンキンスのドラムのコマツさんはサイババボーズのドラムであり、さういつた縁で加入してもらへたのだと今思ひ返す。
この頃の東京スタイルは色んなバンドのコピーをしてゐたが、まあ、若気の至りで、ある意味恐いものなしの勢ひがあつた。ストーンズの「Line with me」、モーフィンの「Super Sex」、ハウリン・ウルフの「Moaning at midnight」、プライマルスクリームの「City」なんかをこの頃の東京スタイルではよく演奏してゐた。
2003年から2004年にかけてが我らが東京スタイルの全盛期といつて過言ではないだらう。節操のないカバー(ビートルズ、ツェッペリン、レッチリ、DMBQ、ヤードバーズ、イギー・ポップ、ゆらゆら帝国、頭脳警察、etc・・・・)からオリジナル主体へと移行し、CDも作成する。そんなこんなでサイババボーズのコマツさんがヴォーカルの「マーブルタイツ」と東京スタイルで2004年に主催したのが「青春群像」といふライブイベントだ。因みに、このイベントも勿論スパイラルマーケットでやりましたよ。このイベントはVol.2までやつたんだつけかな。(誰か覚えてゐる人は教へてね)あ、その前に2003年辺りにイブキ系のイベントでフルテン戦争といふのもありましたな。
2005年に東京スタイルは解散する訳だが、解散ライブは勿論スパイラルマーケットだつた。「ミュージックバーンズ」といふ日本のフォークはロックであるといふ教義の下ライブをしてゐたフォークソング研究会のバンドの解散コンサートの対バンとしてである。因みに、ミュージックバーンズの首謀者は私である。そんなもんで、何だか東京スタイルに悪い事をしたやうな気もする。本当は東京スタイルが主催のイベントでけじめをつけるべきだつた。このライブについて、ある人から「ミュージックバーンズぢやなくて、東京スタイルの演奏が終はつたことでグッときたんだよ」と言はれた。この言葉は嬉しかつたが、とても切なかつた。
その後も何度かスパイラルマーケット(後にスパイラルマートと名称を変へるが)に出たが、もはや終はつたことのなぞり直しのやうな気もした。小鹿ジェンキンスでも出た事があるが、このバンドはどちらかといふと静岡ではサナッシュのバンドである。根からスパイラルマーケットのバンドといへば、自分にとつては東京スタイルであり、このバンドとライブハウスの思ひ出は重なる。
スパイラルマーケットはアーニーパイルといふ雑貨屋のあるビルの確か3階にあつた。今も雑貨屋は健在だが、ライブハウスは廃墟と化してゐるのではなからうか。スパイラルマーケットの系譜を引き継ぐ箱は今も静岡の北街道辺りにあるやうだが、もはや何の縁もゆかりもない。やつぱり七間町の裏手(どちらかといふと青葉通りの裏手といつた方がいい気もするが)にあるちよつと裏錆びれたライブハウスが存在してゐるのとしてゐないのでは全然違ふのである。
気が付いたら、自分の周りにスパイラルマーケットの話が通じる人もゐなくなつてきた。改めて考へると、これは結構私にとつてきついことだ。