明日も仕事なんだから、こんな時間に時事放談を更新するのはどうかと思ひますが、まあ、いいつてことで。
ここ最近の身辺の嵐は一体何だつたのだらう?未だに全然気分が休まる感じがしません。
取り急ぎ、エアコン、冷蔵庫、テレビを買はなければ、どうしようも夏を乗り越えられないかもしれない訳で、まあ、テレビは特にいいかもしれませんが。
即ち、家電量販店にここの所頻繁に足を運んでゐる訳ですが、何といふか、店全体に近未来感が漂つてをります。殊にタブレット型コンピュータ。何なのでせうか、この機械は。こんな形で技術が発達すると予測した人は15年前に何人ゐたでせうか?その代はり、空を飛ぶ自動車だとか、ホバークラフト的なスケボーとか、そんなものは今の所世間に全く蔓延つてはゐません。
スマートフォンつてのも、一体何なのでせうか。かなり多くの人が使つてゐるといふか、ほぼ普及し尽くした感もありますが、僕は全く旧来型の携帯で不自由は感じてゐないので、恐らく感覚が古いのでせう。かういつた便利だらうと思はれるものは、慎重に慎重を重ねて、やつと手にする位でないと、道具に使はれさうで気味が悪いです。
それにしても、映像にせよ、音楽にせよ、完全に「データ」化してしまひました。かくいふ私もハードディスクに持つてゐるCD全て(とレコードの一部)をデータとして落としてをり、もはや家ではCDをかけなくなつてしまひました。
でも、何度でも書いてますが、やはり音楽は果たしてデータなのでせうか?確かに、何か物を必ず媒体としなければならないとまでは考へませんが、しかし、データには「価値」が付与されるのか、この点については僕にはどうも疑はしい。
もつと言へば、そもそも「価値」といふ考へ方自体が現代においてはカビの生へたものなのかもしれないのですが、かといつて自分が宅録した音と、ビートルズでもストーンズでもマイルスでもいいのですが、さういつた先人たちの音との間にあつた差異が、限りなく無くなつていくやうな気が致します。そもそも、データ化した状況下においては、音楽を作成し、録音するといふ行為自体が、アマチュアとプロとの境目が無化してしまひます。誰でもある程度の知識があれば、それなりの音楽を作成できてしまふのですから、苦労して楽器の演奏技術を練磨したり、バンド練習をしたりして、音楽を身体に取り込むといふこと自体が馬鹿らしくなりかねません。
だからといつて、このデータ化の流れを止めること等最早無理であります。また、この流れは大文字の「歴史」や「物語」が完全に葬り去られたといふことでもあります。大きなムーブメントや、国民歌みたいなものは生まれえなず、細分化されたサークル内でのムーブメントがそれぞれに起こり、それがさらに細分化されることになるでせう。
でも、やはりどこかで違和感を感じてしまふ人が少数かもしれませんが存在すると思ひます。でも、無理に抵抗した所で恐らく馬鹿を見るだけかもしれません。
とすれば、ともかくスタンスを変へずにこの細分化状況を、少し遠くから静観し、しばし我慢をするといふのが一番賢明かもしれません。といふのも、かういつた状況はどこかで必ず飽和すると、何となくですが直感してしまふからです。
てなわけで、地デジ化の必要性が全く理解できないまま、完全移行を迎へることといたします(いやはや、やつぱり地デジ化をそんなに急ぐ必要性は0に近い気がしてならないのです)。
では、おやすみなさい。