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因みに、某アパレルメーカーとは関係ありません。バンド名の由来ではありますが。

互酬性についてふと考へた(いはを)

2019-02-04 23:55:37 | 日記
ツイッター上に書いたことを、ここに流用します。まあ、横着で申し訳ないのですが。

昨日、互酬性といふことをふと考へた。
人にモノをあげたがる、所謂「お節介なオバチャン」といふのが、割と偏在してゐる。まあ、感覚値ですけどね。
で、かういつた類の人は、人から物を貰ふのが極度に苦手だつたりする。受け取らなかつたり、受け取りはするけれど、また人にそれをあげたりする。
これは、要は贈与に伴ふ「負債感」とでもいふべき感覚に対し、極端に敏感といふことなんだらうなあ、と考へた訳です。
つまり、「負債感」は「悪」と、それ位に感じてゐると。だから、その罪悪感から逃れるために、人にモノをあげ続ける。

でも、自分が人にモノをあげたことによつて、贈与された人が「負債感」を抱くといふことには案外無頓着で、だから逆に人からモノをもらふのが、巡り巡つてのことであることに思ひ致せない、つまり自分の「負債感」だけ消えればいいといふ、要は「独りよがり」に陥ると。

僕は「負債感」をある程度受け止めるといふことも、つまりある程度モノを貰ひぱなしになるといふことも、場合によつては有りなのではないかと思つてます。恩を受けたことを覚え続けてゐるといふのも、人間関係構築のためには結構重要な気がします。
まあ、所謂「お節介オバチャン」といふのは、見返りを求めないといふ点で、無償の愛を周りに振りまいてゐるとも言へるので、決して悪い人ではないし、恩恵に与つてゐる人は、かの「お節介オバチャン」に対して、きちんと感謝の念を抱いて接すれば、それでいいのではないかなと思ひます。

それはともかく、最近は贈与に関して厳しくなつてきてゐて、例へば、感謝の気持ちの菓子折りとか、お詫びの気持ちの菓子折りなんかも、会社とか団体によつては受け取つては駄目といふルールになつてゐることも、まあ結構あるでせう。
でも、これは恩を受けた側にすれば、「負債感」を解消する糸口を封じられたことになり、果たしてそれが人間にとつてどこまで良いことなのか、よく分かりません。

まあ、かういつた互酬性といふべきものは、縁故とか閉鎖的な人間関係に通じるところもあり、さうなつてしまふと「しがらみ」になるので、それはそれで息苦しい。

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