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平成24年といふ意味が分からない(いはを)

2012-01-05 03:14:00 | アート・文化

年が明けてしまひました。

年末年始はまあ色々慌ただしかつたわけですが、それはそれ、これはこれ。

恒例の読書アワードにつきましては次回といたしまして、ここ最近の主要事業である立川談志論をまだ懲りもせず書く所存であります。

年末に「現代落語論」を再読。この本は談志師匠が真打昇進直後、年齢にして20代半ばでものした書物で、きちんと読めば師匠の若々しさ、瑞々しさに打たれるものである。

この書物のポイントは有名な談志テーゼ「落語は人間の業の肯定」では全くない。少なくともこの本の時点ではそんなことは全く出てこない。巷間では「『現代落語論』で談志テーゼをぶち上げた」といふ言説が固定化されつつあるが、それは間違ひである。このことを特に落語ファンはきちんと覚えておかなければならない。といふのも、「現代落語論」において俎上に上つてゐるのは、現在でも有効な、極々真当な論点であるからだ。

さてさて、上記の極々真当な論点といふのを一言で言へば、「落語が『伝統芸能』に堕することなく現代に生き延びるにはどうすべきか」といふこと、これに尽きる。従つて、立川談志といふ落語家が死ぬまで何にもがき苦しんだかといへば、このこと以外にない。

もつと話を膨らませるのなら、「業の肯定」も「イリュージョン」も、落語を現代でも通用させるための一種の方法論でしかなく、それらが立川談志師匠の本質であつたとするのは読み間違ひ以外の何物でもないのは注意すべきことで、この点を誤るから談志師匠を一方的に持ち上げるか、逆に蔑むかといふ極端なこととなる。

他にも「現代落語論」からかうも言へるのではないかと思ふことがまだ幾つかある。

落語を現代でも通用するエンターテイメントとして生かすためには、己の芸をひたすら磨き続けるといふ生真面目なことだけでは足りない、演芸界全体を撹拌しなければならない、それも自分が主導で撹拌しなければならない―談志師匠にはかういつた目論みがあつたと思はれるのだ。「現代落語論」においても落語研究会での揉め事等、所々にさういつた「政治的」な挿話がはさまれてゐる。

円生一派による落語協会脱退騒動にせよ、自身が中心となつた協会脱退→立川流創設についても、談志師匠が陰に陽に仕組み、何れも彼の目論見通りにはいかなかつたのであるが、これらの動きによつて落語協会、落語芸術協会に次ぐ第三勢力を結成し、そのことによつて落語を含む寄席演芸全体をかき回し、より活力ある土壌を生み出すことを目的としてゐた。その事は「現代落語論」でもチラリと出てきた。

ここでのポイントは「寄席演芸」である。その後、円生~円楽一派及び立川流が寄席から締め出されていくのとは裏腹に、談志師匠の当初の目的、といふよりも野望といふべきだらうが、即ちそれは自分が中心となり「寄席の活発化」を促すといふことだ。後年、寄席についての談志師匠の言説は屈折を極め、「優越感と忸怩たるもの」をアンビバレントに共存させざるえなかつた(といふよりむしろ、「忸怩たる感情」とストレートに言ひたかつたとしか思へないのだが)のは以上の経緯があるからだ。

談志師匠の権力志向についても、この側面からならばかなりスッキリと分析できる。自分の理想とする「寄席演芸界」「落語界」を作りだすには、己が中心となり仕掛けなければならず、そのためにはその業界において圧倒的な権力を握らなければならない。だからこそ立川流において談志師匠の独裁体制(と弟子達が「卑下」(?)するといへばいいのか・・・)が敷かれたのである。

また「さてさて」であるが、「現代落語論」の重要ポイントをあと2点指摘したい。

まづ、そもそも落語とは何か。勿論落語は単なる漫談ではないし、講談でもないが、厳密にそれらを区別するための定義はない。その代はり「古典落語」といふ型がある―即ち、談志師匠にとつては「古典落語」こそが落語であり、新作落語は邪道でしかなかつた。このことは当たり前のこととして見過ごされがちだが、立川談志といふ落語家を考へる上で非常に重要なことであり、「現代落語論」において談志師匠が最も強く書かんとした点であらう。この本の瑞々しさは、談志師匠がどのやうに小さん師匠に弟子入りしたかや、「古典落語」の素晴らしさや重要性について熱ぽく論じるやうな、若々しい情熱に由来する。

そもそも談志師匠はその才気があれば漫談家としてでも、昭和30~40年代に一世を風靡したやうな放送作家としてでも、もしかしたら喜劇俳優や漫才師としてでも、十分にスターダムに上り詰める力量があつた。にも拘らず、さういつた道ではなく「落語家」といふ道を選んだのである。つまり、「古典落語」を「寄席演芸」を心底愛してそれに憑かれてしまつた、としか言ひやうがない(それこそ「業」の世界だ)。

さらにもう一つのポイントであるが、「古典落語」は素晴らしい、しかし戦後日本においてその芸能を楽しむための共通の基盤―道徳観、価値観、ことば・・・、さういつたものがあやふやになつてしまつた。また、欧米のエンターテイメントが急速に流入したことによる日本人のセンスの変化に果たして落語は対応してゐるのかといつた疑問が、かなり危機感をもつた筆致で記されてゐる。

実際談志師匠は無類の洋画ファンであり、デキシーランドジャズの愛好家である。世代としても戦後モダニズムの波を真正面から被つた人である。古典と現代の乖離を自身の中に抱へ込んでゐるのである(因みに、談志師匠の映画の趣味は小林信彦とかなり共通してゐる。このことを指摘されるのは談志師匠も小林信彦もどちらも嫌がるだらう。しかし、お互ひ実は近親憎悪なのではないかと遠目から見ると思へて仕方ない)。

「古典」と「現代」といふ相反するものをいかに止揚するか―「現代落語論」において、若き立川談志師匠はこのことに挑戦することを高らかに謳つた。果たして止揚したか否か、それは分からない。理屈や方法論を形にし、それを武器としてこの難題に立ち向かふといふのが談志師匠の生き方であり、それはそれとして認めなければならないし、そのことが「古典落語」を確実に豊かにしてゐることは間違ひないのだらう。

ただ、亡くなつた志ん朝師匠にせよ、現落語協会会長の小三治師匠にせよ、色々な紆余曲折や「政治的」試行錯誤を繰り返し、結局寄席から遠ざかつた談志師匠に対して、「もしこの人がひたすら己の芸のみを磨いていつたのなら、きつと桂文楽に匹敵する存在になつたのに」といふ惜しみ方をしてゐることも事実であるが・・・、果たして「古典落語」はそれで生き延びたのだらうか?


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