てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

闘う青い騎士たち(1)

2011年07月01日 | 美術随想


 急にやってきた猛暑。そして、この国の罪なき人々をじりじりと苦しめるであろう電力不足へのおびえ。一時的にもせよそれを忘れるためには、冷房のきいた美術館に一日中入りびたるのが得策だろう。

 梅雨の晴れ間のある日、痛いほど照りつける太陽の光を全身に浴びつつ兵庫県立美術館まで出かけたのは、そんな理由もあってのことだった。だが、それだけではない。

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 展覧会は「カンディンスキーと青騎士」と題されていた。カンディンスキーほど日本でよく知られているようで、実はあまり紹介されていない画家というのも珍しいのではなかろうか。

 彼は“抽象絵画の生みの親”といったような名誉ある称号を奉じられ、そのややこしい名前もチャイコフスキーやドストエフスキーと並ぶほどに広く浸透しているが、たび重なる試行錯誤のすえにようやく抽象表現へとたどり着いたのは40代も半ばのことであったし、さらに亡くなるまでに画風を幾度も変転させている。しかし、その作風の全容を明らかにした展示を観た記憶はない。特に晩年の名作は画集で眼にするだけで、実物に対面する機会をまだ得られていない。

 このたびの展覧会のタイトルからも、彼の前半生に限定した内容であることが察せられた。ただ、カンディンスキーがいかに具象から抽象へと至る困難な道を切りひらいたか、その過程を知ることには大いに興味があったのだ。

 西洋絵画を感覚的なものとして味わうだけでなく、描かれたものにいちいち“意味”を求めずにはいられない日本人にとって、カンディンスキーの芸術につぶさに触れることは、ひとつの大きな宿題を解くことにも似た困難をともなうものかもしれないし、耐えられない人は「この絵はわからない」の一言を残して去っていくしかない。だがそれを突き抜けた先には、現実の描写という役割から解放された色彩と線との純粋なハーモニーが、われわれを待ち受けているはずである。

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レンバッハ『オットー・フォン・ビスマルク侯爵』(1895年)

 だが、抽象絵画の誕生の瞬間に立ち会う以前に、より旧式の、具象的な絵画からはじめる必要があるのだろう。しかもうんと古くさい、カビの生えたような作品から…。

 展覧会場に入ると、そこに待ち受けていたのはカンディンスキーでもクレーでもなく、フランツ・フォン・レンバッハという人が描いた肖像画であった。レンバッハという存在は、今では画家としてよりも、ミュンヘンのレンバッハハウス美術館という名前とともによく知られているはずだ。ぼくはてっきり、現代美術を収集した先駆的コレクターが、みずからの先見の明を世に知らせるために建てた美術館かと思っていたが、間違いだった。

 「青騎士」メンバーの名作を多数所蔵するレンバッハハウス美術館は、もとはレンバッハの大邸宅だったそうだ。つまりレンバッハは、生前に大いなる成功を収めた画壇の重鎮だったのである。今回の展覧会はすべて、その美術館の改修にともなって日本に貸し出されたものだった。ついでに ― といっては語弊があるかもしれないが ― レンバッハ自身の絵も海を渡ってきた。

 彼の作品『オットー・フォン・ビスマルク侯爵』は、かの“鉄血宰相”ビスマルク最晩年、80歳のときの姿だ。すでに政界から退き、穏やかなる晩年を迎えていてもよさそうなものなのに、その表情は頑固で威厳に満ち、プロイセンに忠誠を誓うかのように左手を胸に当てている。だが胸部から下はほとんど描かれておらず、ビスマルクがいったいどういう状態で座っているのか、まるでわからない。ひょっとしたらすでに病床についていて、この絵のモデルとなるために上半身だけ無理に正装したかのようにも思われる。そう考えると、何だか痛々しい。

 それにしてもこの絵の、何と時代がかって見えることか。描かれた1895年という年代を考えても、フランスで印象派が誕生してからすでに20年以上も過ぎており、フォーヴィスムと呼ばれる画期的な展覧会が開かれるまでは10年を残すのみである。そんな時代に、このような絵を描いて高く評価され、貴族にまで列せられた画家がいるということは、美術史からすっかり黙殺されている話だろう。

 思うにレンバッハという画家は、絵の優劣は別としても、まことに世渡りの巧みな人物だったのかもしれない。つまりダヴィッドがナポレオンの素晴らしい肖像画を描いて ― それらは巧妙にフィクションの織り交ぜられた絵だったが ― まんまと彼の庇護を受けたようなものだ。すでに政治家としては何の実権も握っていなかったビスマルクを、かくも厳粛に、堂々たる姿に描き上げることが、レンバッハに与えられた仕事だったのである。

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 のちの「青騎士」の画家たちが立ち向かったのは、旧態依然たるドイツの画壇だけではなく、このような権力と美術の癒着だったのではあるまいか。絵画が絵画として自立し得る未来を求めて、手探りの挑戦がこうしてはじまったのだ。

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