クレー『いとまごい(別れ)』
パウル・クレーは、日本でも大変に人気がある。20世紀の画家のなかでは、ミロやシャガールなどとともに、もっとも愛されている人物のひとりだろう。展覧会もたびたびおこなわれていて、眼にする機会も多い。
ぼくももちろん、クレーは好きだ。しかし同時に、これほどよくわかならい画家もいないのではないか、と思う。彼の描く作品世界は、ことごとくクレー流に変容させられている。
クレー展を観ることは、よく練り上げられたマジックを次々と見せられるようなものだ。その鮮やかな手さばきに感嘆しているうちに、どうにも解きがたい謎のようなものが、心のなかに溜まってくるのを感ずるのである。
クレーの残した絵は、ほとんどが小さいものばかりだ。近代の画家がしばしば手がけている壁画とか、緞帳のデザインのような公的な性格のものは、クレーの作品にはないだろう。彼はこっそりを詩を書きつけるように、私的な世界を小さなキャンバスのうえに紡いでいった。スイス生まれのクレーは、精密な時計職人のように、手の込んだ技法を駆使して繊細な美の結晶を作り上げた。
しかし彼は一方で、驚くほど単純な絵も描いている。よく知られている天使の連作のように、一筆書きのような線画を多く残しているのだ。クレーの絵画世界は、研ぎ澄まされた線と、磨き上げられた輝ける色彩と、複雑なマチエールとが見事に響きあった管弦楽のようである。
***
2002年のこと、三重県で大規模なクレー展が開かれ、ぼくはわざわざ出かけていった。作品のサイズが小さいせいもあってか、100点をはるかに超えるたくさんの作品が展示され、かなり充実した展覧会だったが、そこで特に印象に残ったのが、どういうわけか、あまりにもシンプルな『いとまごい』という絵であった。
まるで短冊のような細長い紙に、黒く豊かな線描で、首を傾ける人物の姿が描かれている。といっても、その表現はこれ以上あり得ないほどに抑制されていて、顔の部分は炭で目鼻を作った雪だるまのようだ。
ものの数分で描かれたにちがいないような単純な絵が、どうしてこんなにも心に残るのだろうと、ぼくは不思議だった。考え抜かれた芝居のセリフよりも、人の口からなにげなく飛び出した素直な一言のほうが、胸の底にいつまでも沈殿しつづけることがあるのと同じかもしれない。
***
クレーは1940年に、60歳という若すぎる年齢で亡くなった。その生涯に、何と9000点を超える作品を残したといわれている。
しかし、ぼくが知るかぎりでは、一枚一枚に新しい創意工夫が盛り込まれているような気がする。ひとつのモチーフで成功すると、それを安易に繰り返したくなるもので、そうやって生きのびてきた画家がたくさんいるのも事実だが、彼はいつも必ず、自分の絵に新しい要素を付け加える努力をおこたらなかった。
だからクレーの展覧会は何回観ても、新鮮なのだ。彼こそは本当の意味での前衛であり、その作品の穏やかな印象にもかかわらず、絵画の真の冒険家であったにちがいないと、ぼくは信じる。
***
『いとまごい』は、クレーの死の2年前の作品だ。でも、みずからの命が長くないことを予感してこれを描いたのか、それともそうでないのかは、わからない。
三重で観たこの絵とは、2年前に思いがけず、大阪の展覧会で再会した。日本語のタイトルは『別れ』に変更されていたけれど、それは間違いようのない、あの絵だった。
9000点あまりの作品のうち、同じ絵に2回も出会えるなんて、と思いながら、ぼくはその小さくて純粋なクレーの人物画に“いとまごい”をするべく、しばらく黙って見つめていた。
(パウル・クレー・センター蔵)
五十点美術館 No.9を読む
パウル・クレーは、日本でも大変に人気がある。20世紀の画家のなかでは、ミロやシャガールなどとともに、もっとも愛されている人物のひとりだろう。展覧会もたびたびおこなわれていて、眼にする機会も多い。
ぼくももちろん、クレーは好きだ。しかし同時に、これほどよくわかならい画家もいないのではないか、と思う。彼の描く作品世界は、ことごとくクレー流に変容させられている。
クレー展を観ることは、よく練り上げられたマジックを次々と見せられるようなものだ。その鮮やかな手さばきに感嘆しているうちに、どうにも解きがたい謎のようなものが、心のなかに溜まってくるのを感ずるのである。
クレーの残した絵は、ほとんどが小さいものばかりだ。近代の画家がしばしば手がけている壁画とか、緞帳のデザインのような公的な性格のものは、クレーの作品にはないだろう。彼はこっそりを詩を書きつけるように、私的な世界を小さなキャンバスのうえに紡いでいった。スイス生まれのクレーは、精密な時計職人のように、手の込んだ技法を駆使して繊細な美の結晶を作り上げた。
しかし彼は一方で、驚くほど単純な絵も描いている。よく知られている天使の連作のように、一筆書きのような線画を多く残しているのだ。クレーの絵画世界は、研ぎ澄まされた線と、磨き上げられた輝ける色彩と、複雑なマチエールとが見事に響きあった管弦楽のようである。
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2002年のこと、三重県で大規模なクレー展が開かれ、ぼくはわざわざ出かけていった。作品のサイズが小さいせいもあってか、100点をはるかに超えるたくさんの作品が展示され、かなり充実した展覧会だったが、そこで特に印象に残ったのが、どういうわけか、あまりにもシンプルな『いとまごい』という絵であった。
まるで短冊のような細長い紙に、黒く豊かな線描で、首を傾ける人物の姿が描かれている。といっても、その表現はこれ以上あり得ないほどに抑制されていて、顔の部分は炭で目鼻を作った雪だるまのようだ。
ものの数分で描かれたにちがいないような単純な絵が、どうしてこんなにも心に残るのだろうと、ぼくは不思議だった。考え抜かれた芝居のセリフよりも、人の口からなにげなく飛び出した素直な一言のほうが、胸の底にいつまでも沈殿しつづけることがあるのと同じかもしれない。
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クレーは1940年に、60歳という若すぎる年齢で亡くなった。その生涯に、何と9000点を超える作品を残したといわれている。
しかし、ぼくが知るかぎりでは、一枚一枚に新しい創意工夫が盛り込まれているような気がする。ひとつのモチーフで成功すると、それを安易に繰り返したくなるもので、そうやって生きのびてきた画家がたくさんいるのも事実だが、彼はいつも必ず、自分の絵に新しい要素を付け加える努力をおこたらなかった。
だからクレーの展覧会は何回観ても、新鮮なのだ。彼こそは本当の意味での前衛であり、その作品の穏やかな印象にもかかわらず、絵画の真の冒険家であったにちがいないと、ぼくは信じる。
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『いとまごい』は、クレーの死の2年前の作品だ。でも、みずからの命が長くないことを予感してこれを描いたのか、それともそうでないのかは、わからない。
三重で観たこの絵とは、2年前に思いがけず、大阪の展覧会で再会した。日本語のタイトルは『別れ』に変更されていたけれど、それは間違いようのない、あの絵だった。
9000点あまりの作品のうち、同じ絵に2回も出会えるなんて、と思いながら、ぼくはその小さくて純粋なクレーの人物画に“いとまごい”をするべく、しばらく黙って見つめていた。
(パウル・クレー・センター蔵)
五十点美術館 No.9を読む
このクレーの絵の人物、まるでてるてる坊主のようですね。そのシンプルさの中に色々な思いが秘められているのか、と見るものは読んでしまう・・・
わたしはクレーは色彩は好きですが、抽象表現が理解できないのであまり見に行こうとしませんでした。
しかしこうした絵を提示されると、やはり惹かれるものを感じます。
シンプルさと複雑さが微妙に入り混じったクレーの絵、ぼくはけっこう好きなのです。
20世紀の芸術家の多くは思想をもって創作活動をしていますが、クレーは難しいことを考えず、感性のおもむくままに絵を描いていたのではないかと想像しています。