てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

東京の“学べる”美術館巡り(1)

2012年08月01日 | 美術随想
渋谷駅にて


〔京都駅の電光掲示板。のぞみ116号で東京へ〕

 6月の下旬のことだが、またまた東京へ行ってきた。このたびは高速バスではなく、日帰りの強行軍でもなく、ちゃんとホテルを予約して、時間をたっぷりとって出かけた。

 あまり無理を重ねると、展覧会を観ている途中でも睡魔が襲ってきて、絵に集中できなくなることがわかってきたからだ。勢いにまかせて好きなことに打ち込むには、さすがに体がついてこなくなってしまった。残念だが、本当のことである。

 けれどもよく考えてみれば、毎日の行動に余裕をもたせることは、人間らしい生活を満喫するためには必須のことだ。たとえ美術館を何か所もハシゴするだけの金銭をもたなくても、一日中同じ美術館にいて、気に入った数点の作品を前に時間を過ごす。極端だが、こんな日があってもいい。

 たとえていえば、一日に一食しか食べられないぐらいひもじくても、その一食を骨の髄まで味わいつくす。これもまた、ある意味では贅沢なひとときかもしれないのである。

                    ***


〔京王線の渋谷駅には「ベルリン国立美術館展」のフラッグが下がる〕

 東京へ着くまでのことは、これまでにも何度か書いたので繰り返すのはやめておこう。ごく短く触れておけば、土曜日の午前9時過ぎの新幹線「のぞみ」で京都を立ち、11時過ぎに品川に着いて、そこから山手線で渋谷へと向かう。

 今回は妻を同伴していたので、お昼ご飯を手軽な牛丼チェーンで済ませるのはやめにして、おいしい肉を食べさせる店を事前に調べておいた。それがあるのが渋谷駅の東口で、これまで行ったことのある忠犬ハチ公の像とかスクランブル交差点のある西口とは反対の方角である。

 最近はそこに「渋谷ヒカリエ」という巨大な商業施設がオープンしたとかで、さぞや明るく開かれた快適な街並が展開するのだろうと思っていたら、あまりにゴミゴミとして汚らしいのに失望した。もちろんヒカリエそのものは新しくてきれいなのだが、周辺には雑多なビルが建ち並び、歩道橋が空中で複雑に入り組んで、なかなか目的地にたどり着けない。

 渋谷ヒカリエに向かっては、駅から直接行くことができるように連絡通路が通じている。ただ、これさえも駅周辺の薄汚れた空間を通らないための方便に思えた。テレビの中継などでもよく映る西口が表玄関なら、こちら側は裏口か、勝手口のようだった。

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〔郊外へ向かう電車は混んでいた〕

 「春の小川はさらさら行くよ」で知られる歌のモデルになった川は、現在の渋谷区にあったというのは有名な話かもしれない。しかし知識としては知っていても、実感としてはとても味わうことはできまい。滞りつつも大量に流れるのは小川ではなく、轟々たる騒音を鳴らす車の列であり、その合間を縫って歩道橋をのぼったり下りたりする人の群れである。

 今回は無駄な疲労を減らすために、できるだけ人ごみを歩くのは避けたかった。お馴染みのスクランブル交差点も渡らず、渋谷から京王電鉄井の頭線に乗り ― この乗り場を探し当てるのが、慣れない人間にはひと苦労だったのだが ― ほんのひと駅だけ移動する。

 数分後、渋谷駅前の雑踏が嘘みたいに穏やかな住宅地の真ん中に、ぼくたちは降り立った。

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