てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

黒い蜘蛛と白い女 ― 岐阜から名古屋への旅 ― (1)

2014年08月18日 | 美術随想

〔岐阜県美術館への玄関口、JR西岐阜駅〕

 7月上旬の話であるけれど、何とか思い出して書いてみよう。岐阜から名古屋へかけて、一泊二日の美術紀行を試みたときの話だ。

 なかでも、岐阜県美術館に行くことはずいぶん前からの夢であったが、今回ようやく叶えることができた。この美術館は、日本一のルドンのコレクションを所蔵していることで知られている。実をいうと5年前、ここから貸し出された作品ばかりで構成されたルドン展を姫路で観たことがあるのだが、是非とも“現場”に立ち寄ってみたかったのだ。

 それともうひとつ、熊谷守一の作風を決定づけた『ヤキバノカエリ』も、この美術館にある。これまで守一の展覧会は数多く観てきたが、この絵は未見なのである。近年、海外から借りてきた多彩な作品群で大掛かりな展覧会が開かれるというトピックスには事欠かず、それらが日本の文化意識の高さの証明であるのかもしれないが、本当の豊かさというのは、地方の美術館が優れた美術品を所蔵し、それを常に公開して市民を啓蒙することにあるとぼくは思う。そうやって地盤を固めてこそ、花が咲くのだ。

                    ***

 などと大きなことを語ってみても、仕方ない。ここは話を元に戻して、岐阜への訪問記からはじめなければなるまい。

 岐阜県を訪れるのは、2度目である。とはいっても、前に来たのはまだ小学生のころのことだ。家族で団体旅行に参加し、バスに押し込められて旅しただけなので、どこを回ったかよく覚えていないが、旅館の夕食に朴葉みそが出て、それがとてもおいしかったことが何となく記憶にある(なお岐阜のあとは、長野まで行ったはずだ)。

 考えてみれば岐阜県はぼくの生まれ故郷である福井県の隣であるし、大阪からも決して遠く離れてはいない。それなのに、なぜかエアポケットのように、ぽかりと穴が開いたような印象があった。長野が、日本でも有数の美術館のメッカであることと比べても、その地味さは覆うべくもなかった。

 けれども、外見の派手さばかりを重視していては、大阪のようにまとまりの乏しい街になってしまう。都会と都会の狭間にあるという立地を強く意識して、その地域にしかない特色を堂々と掲げていくことが大事なのだろう。とはいえ、京都からJRに乗ってはるばるやって来た西岐阜駅は、何のへんてつもない、ひとことでいえばツマラナイ駅だった(地元の方、ごめんなさい)。

 改札を出て階段をおりると、いきなり横断歩道の前に出てしまった。久しぶりに岐阜の地を踏んだという感慨に浸る暇もなく、さあ歩いていけ、といわんばかりだ。美術館は、この駅から徒歩数分である。

 近くに観光名所があるわけでもないので、街並も普通の企業が多く、旅人には少々よそよそしい感じがするかもしれない。すでに昼近かったので、牛丼のチェーン店で食事を済ませた。ぼくは東京に行っても、名古屋に行っても、牛丼ばかり食べている。これはある意味で情けないことだが、予算の都合上、致し方ない。むしろこの一帯で朴葉みそをごちそうしてくれる店を探すほうが、非現実的なのかもしれない。

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