てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

てつりう“光源学”(6)

2006年10月27日 | 美術随想
 4年ほど前のことになるだろうか。ぼくは大阪の中心地、阪急梅田駅にほど近い雑居ビルで働いていた。今までに何度か職場を転々としたが、これほどアクセス至便なところは他になかった。何しろ、会社の窓から阪急電車の高架線が見えるのである。

 しかしあるときを境に、建設中の建物がその眺めをさえぎりだした。隣接した土地に、何やら新しいビルを建てはじめたのである。殺風景な工事現場が窓をふさぎ、電車の振動音のかわりにドリルの音が聞こえるようになって、ぼくは閉口した。そのうち、近代的なビルが無機質な全貌をあらわすにちがいなかった。窓から見えるものが隣のビルの壁だなんて、こんなにつまらないものはない・・・。

 だが、ちらほらと耳に飛び込んできた情報によると、そのビルは安藤忠雄が設計したらしいということがわかってきたのだ。隣の工事現場は俄然、興味をそそられる存在となった。安藤建築ができあがりつつある瞬間を、毎日のように間近で観察できるチャンスというのは、そうそう転がっているものではないからだ。だが工事現場というものは ― 住宅ならともかく、高層ビルではなおのこと ― 素人が見てもさっぱりわけがわからないものなのである。おまけにぼくの仕事はといえば、毎晩終電で帰らねばならないほど忙しく、のんびり窓の外を眺めている余裕もないのだった。

   *

 ところが、それほどまでして働いたにもかかわらず、突如として会社は傾いた・・・というか、傾いたのを上層部が隠していたのが露見した。一部の社員に給料が支払われないという事態が発生し、のっぴきならぬ現実が目の前に立ちはだかったのだ。ぼくたち社員は討議のすえ、全員で申し合わせて辞表を手にし、社長の前に列を作った。ちょっと待て、話し合おう、話し合おうと繰り返しながら窓際に後ずさりする社長を尻目に、ぼくたちは永遠にその会社からおさらばした。

 そのあと、梅田の高架下の食堂に入り、これまで一緒に食事をしたこともなかった同僚たちとささやかな送別会を開いた。ぼくたちは奇妙に高揚していて、不思議な優越感で結ばれていたようである。しかしそれはいうまでもなく、空しさに裏打ちされたものだった。ぼくは特に、安藤忠雄のビルが完成するのを見届けることなく去らねばならないのが、残念で仕方がなかった。

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 しばらくして、その新しい建物は完成した。それは宝塚造形芸術大学大学院の梅田キャンパスというものだった。安藤建築というと、打ちっぱなしのコンクリートを素材にしたものが有名だが ― ちなみにぼくが今住んでいるマンションも、安藤忠雄ではないがコンクリート打ちっぱなしの外壁である ― しかしその建物はそうではなかった。半透明のガラスで覆われた直方体が、ほとんど何の装飾もないままに、ただ真っ直ぐ、すらりと立っているのである。それはあたかも、大都会にいきなり出現した巨大な行灯のようだ。

 それだけではない。日中はそれこそ昼行灯のように目立たないが、夜になるとその建物は表情を一変させるのだった。内部から、ほのかな光を放ちはじめるのだ。しかもその光が、徐々に強くなったり淡くなったりを繰り返しながら、色とりどりにゆっくりと変化する。ビルの壁面に光を照射してイメージを映し出すという試みは聞いたことがあるが、このビルはみずからが光り輝くのである。

 これはジェームズ・タレルという、光の芸術家が手がけた照明だということだ。最近耳にすることの多い発光ダイオード(LED)が光源に使われていて、光の三原色の組み合わせで何種類もの色を作ることができるという。ぼくはタレルの存在は知っていたし、テレビでその作品を見かけこともあったが、実際に目の前にするのは初めてだった。梅田に出かけたときなど、時間があればぼんやりとそのビルを眺め、光と色の移ろいを楽しんでいたものだ。それは確かに、ぎらぎらと自己を主張するだけの広告ネオンとは異なっていた。ひとことでいえば、おくゆかしい光だった。

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 安藤忠雄とタレルとのコラボレーションは、瀬戸内海に浮かぶ直島でも観ることができるという。『南寺(みなみでら)』という木造建築と、その内部に展示された『バックサイド・オブ・ザ・ムーン』である。しかし展示といっても、壁にかかっていたり、床に置かれていたりするわけではない。それはざっと次のようなものだそうだ。

 《中は全くの暗闇で方向感覚を失ってしまい、足を一歩も前へ踏み出すことができないほど、恐怖を感じる。そこにじっと立っているのが精一杯である。ただそこにいる自分の存在だけを感じる時間が過ぎていく。待つこと十数分。徐々に目が暗闇に慣れてきて、光が見えてくる。正面に四角く青白い光が現れる。それまで闇だった空間は、その時には光に満ちた輝かしいものへと変化している。側まで近づいてみると、どこまでも微かに光り輝く空間が無限に広がっている。》(「直島通信」vol.5)

 これを実際に体験したことのないぼくは頭で想像するしかないが、この文を読むかぎり、真の暗黒を経て光を再発見するプロセスが意図されているような気もする。光と闇とは、やはり表裏一体なのだ。闇なくして本当の光もない。街をどんどん明るくしてきた現代人たちが、それとひきかえに失ったものは多い。

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