藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

緊急事態?

2020-09-29 18:54:22 | 日記・エッセイ・コラム

 広島県西部は、コロナのクラスターが連続発生。 緊急事態の様相を見せ始めた。 芸能界は、木村 花さんの自殺以来、緊急事態に突入した感が有る。 根底には、コロナで行き詰った社会情勢が存在して居る事は間違いない。 こういった状況の日本で、明るいニュースがどこにもない事が、一番の問題ではなかろうか。 明るいニュースとは、ジャンルは問わない。 どこか心温まるニュースが欲しいのだ。 例えば、中曽根元総理の葬儀を、家族が辞退して、そのお金を困窮者に回してほしいと言うような家族からの発言とか‥‥。 国を思い政治をやって来た一族の中に、それが出来る取り巻きが居ないのが残念である。 今社会は、心温まるニュースを求めているが、精々猫の云々、犬の云々等の、ペット頼りに成ってはいまいか。 日本社会全体が「鬱」状態になってはいまいか。 今一度、国勢調査の中で政府は考える必要があると思うが、如何に。


クラスター

2020-09-28 15:32:04 | 日記・エッセイ・コラム

 広島市の演芸場が発信地のクラスターが、呉に迄お出かけしたのだろうか、昨日は14名の患者が発見された。 広島市は2名、ついでに岡山まで1名患者を送り出したそうである。 こちらは、飲食店がその中心となった様だ。 何れにしても、足が進まない原因だろうか、理容院はガラガラ、待つまでもなくやって頂けた。 昨日は日曜日なので、嘸かし多かろうと思って一日伸ばしたが、昨日もお客様はガラガラだったそうだ。 年中無休の理容院は、「安かろう早かろう」がもっとうで、髭剃り、洗髪はなし。 家に帰ってシャワーで頭を洗いながら、つくづく活気のない内閣にうんざりし始めた。 若かりし頃「社会教育」に関係した活動していた関係で、自民党、社会党、共産党の皆さんと議論することが多々あったので、私の感性は、一番に「人権」と言う意識に成ってしまった。 会、解放同盟、全解連の方々と、夜をっ徹して議論した昔が懐かしく思い出される。 その感覚から、コロナ発症者家族が、地域で肩身の狭い思いをしておられるのではなかろうかと、思われてならない。 浅野家が広島城に入城して400年だが、その記念事業もコロナで霞んでしまった感じである。 浅野家が広島に来る前は、福島正紀が広島にいた。 その正則が、武器甲冑を作る集団を住まわしたのが、現在福島町として残っている。 西日本最大の「被差別」で、この問題を解決する為、広島市は再開発や100m道路の設置、場の移転など手を尽くしてきたが、その社会的実態は変わってはいない。 私はその隣り町で生まれ育ったので、友人知人が多くそこに住んでいる。 高田 静雄(たかだ しずお、1909年明治42年)3月5日 - 1963年昭和38年)12月10日)は、日本の砲丸投げ選手を「ウキペディア」で検索してみていただきたいが、彼もこの街の生まれで(1945年の東京オリンピックの砲丸投げの選手に選ばれていた、当時アジア記録保持者)、その娘さんが私の小学校の同級生なのだ。 美人で聡明な女性だった。 日大の芸術学部に進学して、写真家として活躍したが、26歳の時 脳腫瘍で亡くなった。 彼女も被爆者だったが、今思えば小学校時代から病弱だったことは確かだ。 そんな事が、妙に脳裏に 「浮かんでは消え又浮かぶ」 の季節に成って来た様だ。 森 重昭  Mori  Shigeaki 1937年生まれ。アマチュア歴史家。広島原子爆弾を経験。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版。 オバマ元大統領と、原爆祈念式典で抱擁した彼の妹もまた、同じクラスで3年間過ごした仲間だ。 戦後75年、世界中が大きなうねりの中で、苦しみ藻掻いている、このパンデミックの時、政府の発信力の無さに、些かがっかりいている一人だが、中曽根康弘元総理の葬儀に、1億円に近いお金を税金でお出しになる実行力を、藻掻き苦しむ国民の為に使って欲しい物だ。


知らなかったー

2020-09-27 17:34:09 | しごとの思い出

 現在の相撲界に、「とびざる」と言う「水戸黄門」に出てきそうな、変わった四股名の力士が居る事を知らなかった。 知ったのは三日前である。 体は小さいが、俊敏な動きで人を引き付ける。 大昔と言っても、昭和四十年代に、栃の海という横綱が居たが、その後は舞の海くらいしか、小兵う力士は知らない。 その気風の良い取り口に感心した。 今日は、敗戦で優勝を逃したが、いっぺんにファンになった。 何だかお兄さんも力士らしいが、それにしても、久しぶりに相撲をTV観戦して、気分がほぐれた気がする。


忍び寄って来る恐怖

2020-09-26 05:16:01 | 日記・エッセイ・コラム

 広島はコロナの患者、昨日だけで10人増えたそうだ。 地元の歓楽施設でのクラスター発生の恐怖が、じわじわと押し寄せてきた感じである。 特に後期高齢者の私などは、感染すると死に至る。 死ぬことが怖いのではなくて、あとに残された家族が、社会からどのように扱われるか心配なのだ。 孫様の運動会も、急遽観戦者の限定で開催される事となって、爺、婆は参加できなくなった。 地元のスーパーは、客足が遠のくのではなかろうか。 すでに私も当面遠慮することにして居る。 とは言っても、喰わなければ生きてゆけない。 そこで田舎のスーパーへと行こうとしたら、観客の多くは田舎の方が多かったと言う情報が来て、取りやめた。 冷凍庫の整理で一週間をやりくりできればいいのだが、同じものばかりが多くあり、献立が偏りそうだ。 入れ歯が壊れたが、病院も少しばかり恐ろしさが有る。 しかしながら行かねば食事が出来ない。 如何したものやら、昨晩は眠れずに過ごした。 こんな早朝に更新するのは久しぶりだ。


何故低気圧に成ると‥‥

2020-09-25 09:12:17 | 日記・エッセイ・コラム

 体中が痛みを発して、薬が効かない時が有る。 低気圧が近づくと必ずその現象が現れる。 ここ三日間、台風ではない移動性低気圧がやって来て、雨と共に痛みがやって来た。 マダニの後遺症なのだが、広島には対処沿てくれる専門病院は無い。 元々、内科なのか、皮膚科なのか、外科なのかそれさえ判別されていないそうだ。 最初にかかった処が、仕方なしに続いて対応してくれているのだが、途中で心臓の異常が起きたり、眼底に異常が起きたり、皮膚に再び水泡が起きたりすると、総合病院の中をあっちに行ったり、こっちに来たり…状態で盥回しに成る。 専門的治療が必要な状態だから仕方が無いが、外見状態が無くなると、内科に押し付けられてしまって、内科の先生も大変であろうと思っている。 そんなこんなを繰り返していたら、担当の先生が一週間、東北の大学病院へ出張して研修していただく事に成ったらしい。急遽その前に診察したいので、診察日を変更すると電話が来た。 何だか申し訳ない気がするが、此の処広島でもマダニの被害が増えてきたそうだ。 国立の研究施設での血液分析でも、40%しか原因菌が判別出来ないそうで、なかなか厄介な事だそうだ。 加えて、足元でコロナのクラスターが発生したので、病院は厳戒態勢委になっている。 旅役者集団が、福岡、大阪と旅して広島に来て発病者が出た。 団員とその家族11名が発症したそうだが、観劇したお客も発症5名が確認されたそうだが此れから幾人に成るか想像できないそうである。 その事から、昔広島にもあった旅役者の一家の事を思い出して、友人宅に電話した。 すると、彼は今入院中だそうだ。 脳血栓だったそうで、一時は命も危ぶまれたが、何とか持ち直しているらしい。 彼の家の隣が旅芸人さんの住まいだから電話したが、そんな事等話せる事ではなかった。 お見舞いに行きたいが、今はコロナ規制で、お見舞い禁止で、家族さえ会えないそうだ。 世界中が病にかかった状態で、日本は政治迄病人状態である。 野党は離合集散を繰り返し、これと言った指導者が出て来ない。 何だか世の中、糞詰まり状態のようだ。