藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

情けなや!(2)・・・

2023-02-24 10:35:08 | 日記・エッセイ・コラム

 二十一日に書いたブログ記事を読み直して、・・・・・。 あれだけ気お付けたのに、脱字が初っ端から、・・・・。 お恥ずかしきしだいだ。 体調は一進一退。 それも当たり前の事だが、年取ると先が見えてきた気がして焦りが。 あれもやりたや、これもやりたや。 元気な時に行っておきたかったところが、・・・・。 孫がいよいよ大学受験。来年の二月には入学金をせびり倒されそうだ。 大学には自動車で通学するとなると、運転免許、・・・・中古の自動車。 あな恐ろしや恐ろしや。 この世で最後の奉公に成るのだろうか…それもまた良かろう。


情けなや!・・・

2023-02-21 08:53:48 | 日記・エッセイ・コラム

 何十ぶりにブログの記事を書いたが、何と・・・誤字脱字の多いい事。「体調不良が本格的になったのは、三年前のこの時期であった」と、思い込んでいたのだったが、2017年2月16日の、アスベストの検査の時既に心臓に問題が発生していた事に、どの医師も気付かなかった。 肺の検査ばかりして、原因不明だとされた。 それが3年前に、同じ町内の医師によって、「心不全の疑い」で、入院して検査を受けた。 結果は、「心臓の機能低下」が、「腎臓の機能低下」「両肺の胸水」の原因だと判明した。 この事が、「マダニ」の被害からの回復を遅らせている原因だと判明した。 それから三年、再びその影響が胆嚢にも及んでいたのだった。 胆汁の流れが悪く成り、その事によって「結石」が出来、膵臓からの消化液迄止めてしまい、今回の入院騒動に成ってしまったのだ。 胆汁液によって、膵臓が炎症を起こし、膵臓を溶かし始めていたのが、今回の入院騒動の結末だったのだ。 膵臓を守るために、膵臓の中に胆汁を貯める袋が出来ていたら、ほぼ命は無かったそうだ。 未だ大きな石が3個、胆嚢の中に残っている。直径4mmが二個、5㎜が一個。 この石は、今は大人しくしてるが、何時また反乱を起こすやもしれない。 体力が回復し、膵臓が今少し回復したら、「外科的処置」をするつもりでいる。 再び「感染症」を引き起こさないためだ。 4月の私の誕生日前後が候補日であるそうだ。


あの世からの生還

2023-02-20 03:28:48 | 日記・エッセイ・コラム

 1月25日早朝3時、激痛で目がさめた。 お腹全体が激痛で身動出来ない。 奥様を呼んでも、一階と二階では聞こえないのである。 況しては、奥様は難聴。 八時二十分。 這うようにして一回に降りた。 奥様に病院に送って欲しいと言ったら、身支度や化粧すると言い出して、そのような時間私が我慢できないので、意識もうろうとしながら、車で病院まで行った。 即、他の患者さんを飛ばして診察してくれお医者さんの言葉は、「救急車を呼べ」。 気力を振り絞って、自分の車を修理工場の従業員に預かってもらう電話をしたまでは覚えているが、・・・・。 三日目、意識が戻って視ると、体中に管が付いている。 点滴四本、酸素吸入、排尿・・・。

 看護師さんに声を懸けたら、「やっと気が付いたですね」三日間麻酔と、痛み止めで、意識が無かったそうだ。 原因は、7㎜の胆石が瓢箪丘と呼ばれる膵臓と、胆嚢が出す消化益が合流する場所を、堰き止めて、胆汁液が、膵臓に逆流して、膵臓を溶かし始めていたそうである。 病院に着くのが、三十分遅かったら、命にかかわったそうだ。 

胆石はその時四個取り除き、胆汁液のバイパスの管を入れて置いたそうである。 胆管には、まだ四個の石が有り、膵臓の炎症が納まったら、再度「処置」するよていだそうだ。内視鏡の作業で、明らかに炎症が起こっている場所の処理は。内科医の役目で、「処置」と呼び、炎症の着ていない胆嚢の五つの石を取り出す場合は、内臓外科の医師にて行い、「手術」と呼ぶそうだ。 さて、二度目の「処置」の時、 胆管の中の石は、バイパス管を取り出す時に、全て取ったそうである。 此の時も全身麻酔で、先頭の4mmの石を取ったら、残りは胆汁と共に出て行ったそうだ。 

 さて残りの胆嚢の中の石であるが、再び炎症を引き起こす可能性がある。 日常生活に気を付けて、体力が付いたら、四月早々に、「腹鏡」か、「カテイテル」でするそうで、その場合は「外科」の医師にて行い、「手術」と呼ぶそうである。 入院で知った事だが、国の基準治療が有り、病名ごとに入院期間が定められているそうだ。 ワンクールが「一週間」で、それぞれの病気に入院治療期間が有り、ダラダラとした治療延長は出来ないようになっている。 知ってみると、「マダニ」の被害で入院した時は二週間で、退院。 再発した時は、一週間の集中治療であった。 実にクール。 「心不全」で入院した三年前は、計ったように、二週間であった。 今回打たれた「抗生物質」の量は、二週関の間、切れ目なく打たれたので有るが、「炎症数値」が下がらず、薬を変えて、入院が一週間伸びた。 その間ベットに縛り付けられていたので、脚力が衰えてしまった。 自宅に帰って、我が家の階段が、リハビリの場所になっている。 さてさて、残りの「石」は何時、手術で取り出していただけるのだろうか・・・・。 今度は、消化器外科の先生のお世話に成るそうだ。