藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

情けなやー、情けなや(3)

2021-03-30 11:23:25 | 日記・エッセイ・コラム

 連日連夜黄砂の為に、鼻水たらたら・・・目は痒くて、涙がたらり。 頭痛に吐き気・・・。 そんな中、気分晴らしとばかり、ドライブに出かけた。 奥さまの友達を誘い、北に向かって191号線・・・脇道(深山峡)を堪能しながら一時間走って、通称「与一野」と呼ばれる安芸太田町寺領と言うところに出かけた。 幾年ぶりかの枝垂桜見物である。 その道すがらも桜の名所は多く、今年は、山桜やソメイヨシノ、八重桜一時に開花して山中が桜に彩られて見事な景色だった。 さて目的地の「与一野の枝垂桜」は、皇紀2600年の記念に植えられた桜だそうだ。

    

田んぼの中の小高い丘に見事な花を咲かしている。 コロナ騒動の中、数組の若者が訪れていた。

    

 春を迎えた田んぼの蛙は、喉を一杯に膨らせて「げろげろ・・・・」力の限り泣いていた。 その声が山に響き、愛の賛歌は果てしなく続いていた。 

     

 たったそれだけのドライブなのに、夜中に足が攣って飛び起きた。 「いたたたたたーーーー」。 あー情けなやー、情けなや。奥様孝行もままならぬとは。

 


情けなや情けなやー(2)

2021-03-29 02:58:46 | 日記・エッセイ・コラム

 二階に寝床を移して二年が来る。 マダニの後遺症で、筋力が無くなったので、その復活の為、せめて階段を上がり降りすれば善いのではなかろうかと、思い始めて実行した。 されど今日まで、筋力が返ってこない。 上がり降りする度に、「痛い、痛い」と連発。 その声が、近所まで聞こえるらしい。 回覧板を持っておいでて戴いたお隣さんが、「チャイムで呼んでもいいですか」と聞かれた。 階段を下りるのに「痛い痛い」と言うらしい。痛いのだから仕方ないが、「情けなや、情けなや」である。 処で、我選挙区から出ていた国会議員もまた、「情けなや、情けなや」である。

「万死に値す」等と反省の弁をお言いであるが、・・・・・

 国会議員 広島三区選出 河井克行元法務大臣の事だが、「議員辞職願」を議長に提出したそうだ。 あまりにも遅い決断だ。 その時、報道陣に自分の行為を、「万死に値する」と言ったとか。 その割には、選挙違反が表面化してから今日まで、あまりにも遅い決断だった。 そもそも、奥さまの選挙での違反が、表面化しないとでもお思いであったのだろうか。 菅内閣で、法務大臣をお受けであった本人が、選挙違反をするとは。 況してや、「カソリック」の高校を卒業したわりには、自分の犯した罪の意識が低すぎる。 過去にもいろいろ噂が有った。 秘書に対する暴行や、同じ自民党の議員の支持者に対するパワハラ・・・等々。 私などは広島の恥と公言していた。 広島県選出議員は、伝統的に清潔な人が務めてきた。 総理大臣経験者や、議長経験者も多数居られるが、皆さん身辺を常に気を付けておられた気がする。 それにしても、「議員辞職願」・・・「願」ではなく、「議員辞職届」にして頂きたく思いますが、皆さんは如何お思いでしょうか。


情けなや情けなや

2021-03-28 07:10:38 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は一日中気力なし。 何もせず「ぼー」。 その時気付けば良かったのだが、天気が悪化しつつあることに。 体調が優れなくなると、天候が悪化するのは何時もの事だったのに。 夕食時、奥様にご近所の友人に 「明日は暇ならば、”与一野の枝垂桜”を見に行こう」と電話をさせた。 その女性は、未だその桜を見たことが無いそうで、即快諾。 処が夜中、雨音で目が覚めた。 スマホで天気予報を見ると、一日中雨だそうである。 私とした事が、なんとも手抜かりな事であった。「与一野」とは、那須の与一が、平家討伐時の功労により、安芸国の太田の庄を領地として与えられたところだそうだ。 此処には墓も有るが、実際は山代国伏見で死んだという説もあるそうだ。 義経のお目付け役にと、伏見に住居を移されていたとゆう説が有力だそうだ。 何れにしても、あの椎葉村の「那須の大八」の父親である。 そんな山奥の県道に面して墓があり、近くの小高い丘の上に枝垂桜が見事に花を咲かせるのだ。 この枝垂桜は、小学校が開設された時、記念に植えられたとか・・・。 見事な一本ざくらである。 ネットで、「与一野の枝垂桜」 と検索するとすぐに見つかるのでぜひご覧いただきたい。 と、まあー明日の天気も調べずに、桜見物をお誘いする自分がそこにあった。 「あーーー 情けなや情けなやーーー」 である。


年取ると、愚痴がだんだん多くなる

2021-03-26 09:50:59 | 日記・エッセイ・コラム

 私もあと一週間で、76歳を迎える。 奥様も72歳となられている。 今年は奥様の誕生日を失念していた。 孫や娘の誕生日は忘れないが、・・・・。 やはり年の所為だろうか?。 ブログの記事も、「はなてぼ」様に指摘されるまで、「旧約聖書」を掲載して居た事さえ忘れていた。 かと言って、認知症ではない。 しかしながら我が家の夫婦間の会話も、「ほら、あれよあれ」 「あーあれね、なまえがでてこない・・・」と言う様な会話が増えてきた。 この団地に引っ越してきた時、昭和41年、広島市青少年センター開館時、我が奥様は料理教室にお入りであったが、(腕は上がらなかったようだ)同じ料理教室に参加されていた「N女子」さんが住んでおられて、それ以来行き来していたが、ご主人が、石綿による肺がんになられて、十年前に亡くなられた。 労災手続きなどお手伝いしたが、てきぱきと対応されていたが、ここ数年前から認知症に成られたようである。 我々夫婦の事は理解できるが、時として「えー、二人は結婚何時したの」等と、言い始めて此方が混乱することが増えてきた。 そんな彼女の一人暮らしが心配で、二日に一回くらいの割合で、夕飯のおかずのお裾分けをしたり、奥様がお茶に誘ったりしている。 ドレが、「旧約聖書」の版画を公表しなかった事が、心に引っかかっていたが、ふと彼の母親が認知症であったら、結婚もしなかったし、聖書を読む事が出来なくなった母の為に、版画を彫り上げて、母一人の為の「旧約聖書」を作ったのではなかろうかと、思い始めたのであった。 そんな事を考えながら、昨夜も遅くまで、読みかつ鑑賞していた。 


改宗したわけではありません

2021-03-25 11:30:28 | 日記・エッセイ・コラム

 

 此の処、旧約聖書に取りつかれている。 読めば、ユダヤ人の歴史が理解できるし・・・、それよりこの本が素晴らしいのは、半部以上が、石板版画で出来ている事だ。 以前、ギュースターヴ・ドレの事を別の本で読んだことが有り、機会が有ったら手に取って視たいと思っていた。 Amazonの古本で見つけ即購入。 しばらく忙しく、眼の調子も良くないので、机の上に置いたままであったが、土曜日に開く機会が有った。 それからは虜である。 十代で親に連れられてパリに出て、版画に目覚めたそうだ。 画商に認められて、ロンドンで制作していたが、その作品は高い評価を受けていたそうだ。 処が、彼は旧約聖書を読むと取り付かれて、其の各段を全て石盤画にしたそうである。 しかしその事は、画商には知らせなかったそうだ。 母親をこよなく愛しており一生独身。 母親が亡くなった後、追うようにに亡くなったそうだが、遺品を整理していた画商が、膨大な量の「旧約聖書」の版画を見つけたそうである。その出来栄えは見事で、画商はドレの心情を考えて、公表することを躊躇ったが、やはりこの様な名画を埋もれさせてはいけないと、公表したそうである。 私もここ毎日、一ページごとに感動しながら「旧約聖書」を読んでいる。