藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

近頃見なくなった物

2023-05-31 14:50:57 | 日記・エッセイ・コラム

  野生動物の事を考えていた。「鹿食免」の札の、後遺症だ。 戦前から流行っていたのは、小金を貯めた「親父(おやじ)さん」が、「狸の襟巻」をしていた。 戦後、復興と共に、成人式などで、若い女性が「狐の襟巻」をしている姿が多かった。 その後それらは、「羊の一枚皮」を、肩からすっぽり掛けるのが流行った。 いつの間にか、「狸の襟巻」とともに消えて行った。 我が家の奥様は、成人式に親から「狐の襟巻」を買っていただいたが、家に帰った時には無かったそうだ。 「おちょこちょい」は、70過ぎても治っていない事は、確かである。 新成人が多いい時代、「狐」の養殖が、ブームに成ったことが有った。 あの膨大な数の「狐の襟巻」は、今どこに行ったのだろうか。 私が二十四歳後の頃、紬の和服を作った時、近所のおじさんから、「狸の襟巻」を頂いたが、一度だけ友人と飲み屋に出かける時、付けて行ったら、店中で受けた。 それでなくとも、老けて見えるタイプだったので、「質屋の爺さんが、取り立てに来たのかと思った。」と揶揄われた。 その冬は私のトレードマークに成ってしまった。 そう言えばこの頃から、良くTVインタビューを受ける事が多くなった。 昼時間に、喫茶店に入って、なじみのマスターに、「ナポリタンと、キリマン一つ」と言ったとたん。TVカメラと、アナウンサーからインタビューされた。 「ナポリタン」の発祥の地の一つが広島である事を知っているかと言う問いであった。 勿論よく知っていたし、喫茶店の、モーニングサービスの発祥地も広島の○○店だと、ひとくさり「薀蓄」を述べたら、その夜、地元TVで、でかでかと放映された。 甚平さんを着て、広島の本通りの古本屋で、本を探していたり、日赤の前の横断歩道で、若い女性が自動車と接触。 背負って日赤に運んだら、これまたTVにつかまり仕事どころではなくなった。 どうも人より変わった人間なので、TVに映したくなるようだ。 近頃は、何処にでもいる「じじい」になったので、TVインタビューに出会う事が亡くなった。


何故?「鹿食免」と言うお札。

2023-05-30 10:24:35 | 日記・エッセイ・コラム

 さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。 山鳥、猪、熊、狸、・・・・。 その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。         「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。 この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。 奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。 だから、奈良では、鹿こそ神なのだ。 本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。 その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が奉行所に知らせて、その上にその鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。 その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。 そこで、他の店より早く店を開けてもし、「鹿」の遺体が我が家の前に見つけたら、他の店の前にもって行ったそうである。 またその逆も有り、他の店より早く店を開けておくと、「鹿」の死骸を持ってこられる心配がなかった。 そこから生まれた言葉だそうだ。 鹿に乗っておいでに成った神社は、他にも有り、有名なのが、「下賀茂神社」「上賀茂神社」もそうである。 これらの神様は不思議な事に、「藤原氏、中臣家」の氏神である。天皇家の神様は?・・・・、よくよく考えたら、見受けられない。 天皇様自体が「神様」であった。 さてそこで、鹿の肉を食するにあたって、他の獣とは一線を画して崇めたのが、一枚のお札の成り立ちなのだ。 「鹿食免」このお札を神棚に捧げ置けば、大きな顔で「鹿」を食べる事が出来たのである。それにしても「奈良」では、「鹿」を食したとは聞かない。


何故?「鹿食免」と言うお札。

2023-05-29 07:53:57 | 日記・エッセイ・コラム

 

さて、獣肉を食するに、その種類は多数ある。 山鳥、猪、熊、狸、・・・・。 その中で敢て「鹿食免」としたのだろうか。 

 「早起きは、三文の徳」と言う言葉は、皆さん良くご存じであろうと思う。 この言葉の、発祥の地は「大和」(奈良)と言われている。 奈良には「春日大社」が有り、そこには、四柱の神が祭られているが、その一番が「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)で、この神は常陸の国鹿島から、「鹿」に乗っておいでになったそうである。 奈良では、鹿こそ神なのだ。 本来「神」である物は死なないのだが、奈良の鹿様は、良くお亡くなりに成る。 その亡くなった場所が、私の店の前だったら、その家の主人が、奉行所に知らせて、その上に、その鹿の埋葬を手厚くしなければならなかったそうだ。 その運搬費だけでも「三文」かかったそうである。 そこで、他の店より早く店を開けてもし、「鹿」の遺体が我が家の前に見つけたら、他の店の前にもって行ったそうである。 またその逆も有り、他の店より早く店を開けておくと、「鹿」の死骸を持ってこられる心配がなかった。 そこから生まれた言葉だそうだ。 鹿に乗っておいでに成った神社は、他にも有り、有名なのが、「下賀茂神社」「上賀茂神社」もそうである。 これらの神様は不思議な事に、「藤原氏、中臣家」の氏神である。天皇家の神様は?・・・・、よくよく考えたら、見受けられない。 天皇様自体が「神様」であった。 さてそこで、鹿の肉を食するにあたって、他の獣とは一線を画して崇めたのが、一枚のお札の成り立ちなのだ。 「鹿食免」このお札を神棚に捧げ置けば、大きな顔で「鹿」を食べる事が出来たのである。それにしても「奈良」では、「鹿」を食したとは聞かない。 奈良の町では、「お鹿様」は、道路の真ん中に寝そべって、食べ物を呉れない奴らを見下しているように感じたのは、私だけであるか。 い行く島の「鹿」は、誰も信心していない。ただ島内では、墓も作れず、葬儀も出来ない決まりである。 よって、たいせつにされているのではなく、関心がないのだ。 ただ県外の方たちは、奈良の鹿と同じく、神の使いと勘違いして餌などおやりである。 いちじき、京都大学の力を借りて、「猿」もいたが、元来いない物はいない方が良い事となり駆除された。 子供や、女性の被害が無くなって、広島人はほっとしている。 

    


南無阿弥陀仏 2 ・・・・

2023-05-26 17:00:46 | 日記・エッセイ・コラム

私は大きな忘れごとをしていた。 本体の私より先に「荼毘」に付されたのは、2つではなかった。 2番目に全摘出した、前立腺の事を失念していた。 以来、戸籍上では「男」だが、実質「無性」なのである。 よって荼毘は過去に3回。 ところで、今一つの藤森氏の系統について本日は書いて置く。  神功皇后が三韓征伐に行き、その後九州の氾濫を押さえ、帰郷した時、押収した敵方の武器を地下に埋設したのが、藤森神社(京都)の始まりである。  当初は山代の国の深草に有ったが、後に京都に移されたらしい。 当時の敷地は広大で、後にはその敷地内に京都大学が作られた。 如何にせん、戦関系の神であるので、勝負事の信者が多いいらしい。 特に競馬ファンの参拝が多いいと聞く。 この藤森神社一党の名字が「藤森」である。 ややっこしいのは、この藤森神社を訪れた時、苗字の由来をうかがった時、本来この神社は、山代の国の深草の藤森氏に建てられ預けられたそうである。 その為に藤森神社と言うらしい。 そんな事を考慮すると、出雲の大神、大国主命の子供が祭られる「諏訪神社」とその一党。 「藤森神社」とその一党、「山代の国の深草の藤森氏」の一党と三流れが有る様だ。 ところで、仏教により、獣肉を食すことが禁じられて、江戸時代が一番厳しく取り締まられた。 がその中で二か所だけ、狩猟が許された場所がったそうだ。 皆さんが良くご存じの「マタギ」の里と呼ばれた場所である。 これらの場所は、農業だけでは生活が出来かねたからで、狩猟が禁じられたのは、「鉄砲」が、庶民に広がるのを幕府が恐れたからだそうである。 但し、「カンナ流し」や、「金銀銅」の採掘場近辺では、山を追い出された野獣対策に「鉄砲」の所持と狩猟が許された。 そこに 「鹿食免」のお札が必要となって、「諏訪神社が」一手にお札を取り仕切っていたそうである。 元々が、出雲のカンナ流しの地が発祥地の神様である。 大量の炭を焼き、大量の砂鉄処理の為には、「肉食」は、欠かせなかったようだ。 「安芸の国」「備前、備後」もまた、砂鉄の国だった。


南無阿弥陀仏・・・・・

2023-05-24 15:21:40 | 日記・エッセイ・コラム

私の胆嚢に「戒名」を付けたいと思うが、良い案が浮かばない。 諏訪神社の流れだから、「南無阿弥陀仏」はそぐわないのだが、明治維新により、肉食が許され、肉食に「鹿食免」(かじきめん)の御札がいらなくなった。 藤森一族は全国で相当困っただろう。・・・・お札を売っていたのが藤森一族なのだ。

ところがそうでもなかったようだ。 信仰はそんなに急展開に付いて行けない。 中国山地などは、砂鉄を掘る為、山を崩し、残りし土地を畑にすると、元の山に住んで居た「鹿、熊・・・」が里に下りてきた。 退治するのは良いが、せっかくの獲物は「食べる」に限る。 けえって、多くの場所で諏訪神社の分社が作られたらしい。 そんな事から「何々の命」としたいがその薀蓄さえない現代である。 我が体に一部が、私より先にあの世に旅立つ・・・2度目だ。一度目は、小学5年生の時、「虫垂と、大腸の一部」これが一番乗り。 人生3度荼毘にされるとは。 それにしても先の連中は、三途の川で待っているのだろうか?・・・・・。