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落語の普遍性、アイドルの普遍性 (ナッキー)

2011-04-14 15:49:36 | アイドル論
落語の普遍性、アイドルの普遍性 (ナッキー)

落語評論はなぜ役に立たないのか (光文社新書)  広瀬和生 (著) では、次の点を強調しています。

普遍的な落語は存在しない。一方、落語は普遍性を獲得しなくてはならない。

著者は、「普遍的な落語」が存在すると考えると、そこから逸脱する落語を否定することになるから、そう考えてはいけないと主張している。
(原文より引用)
落語は各演者の個性を楽しむ芸能だ。
普遍的な「落語」というものは存在しない。
ただ具体的な「だれそれの落語」が個々に存在しているだけである。
時代を超越した「普遍的な落語」というのは存在しない。
常に「その時代の観客のための落語」ではくてはならない。そこを見失ったときに落語は滅んでいく。
立川談志が「このままでは落語は能のような存在になっていく」と言ったように。

(感想)
私は、アイドルが、歌舞伎や能のように、日本の文化として定着して欲しいと思っている。
日本の「古典文化」として、後世まで継承されて欲しい。

現在、アイドルが、歌舞伎や能と同じ古典文化であるとは、誰も思わないだろう。
古典文化になる可能性があるか、人によって感じ方は違うだろうが、なる可能性があると答える人は10%もいないのではないだろうか。

しかし、100年後に、能とアイドルのどちらが、文化として残っている可能性が高いかを、想像すると、アイドルのような気がする。

100年後に、歌舞伎とアイドル、どちらの可能性が高いかと問われれば、歌舞伎。
能と歌舞伎の違いは、現在、大衆芸能として、観客動員力があるかの差。
能を鑑賞する人はあまりいないので、100年はもたないかもしれない、
歌舞伎は鑑賞する人が多いので、100年以上続くでしょう、という印象をもちます。

著者は、落語が能のように、分かる人だけに鑑賞され、大衆に鑑賞されなくなると、滅びると主張しています。引用を続けます。

(原文)
落語は高尚な芸術ではない。大衆芸能だ。だから、普通の観客にわからないような演じ方をしている落語家はダメな演者だ。
(原文)
習ったことをそのまま演じているのは、伝統の継承として賞賛されるようなことではなく、演者としての怠慢として糾弾されるべき行為だ。
伝統の中に身を置きながら「現代の観客」を相手にするのが、落語という大衆芸能の本質であす。落語家は時代に取り残されてはいけない。観客との「同時代性」こそ、落語が落語であるためになくてはならない。
(原文)
落語という芸能が、現代日本のエンターテインメントの一ジャンルとして栄えていくためには、狭い世界での限定された価値観の共有ではなく、「普遍性」を獲得しなければならない。


(感想)
落語とアイドルに共通する点として、
マニアにだけしか鑑賞されない落語(とアイドル)は、文化として衰退する
(マニアではない)普通のお客さんが楽しめるという「普遍性」が落語(とアイドル)には必要である。普遍性がないと、文化として継承されていくことは難しい。

AKB48は、アイドルマニアを楽しませると同時に、普通のお客さんが楽しめる芸能を、最初から目指したことが素晴らしいと思います。

例えば、シアターでは、総立ちを禁止して、椅子席のお客に着席を強制していること。
これは、それまでの、アイドルの公演と、明らかに異なっていました。

マニアのお客さんも歓迎します。
しかし、マニアのお客さんが、普通のお客さんを排除するのは困る。
普通のお客さんが、鑑賞しやすい環境を作っていく、という志の高さを、初めてシアターで観戦した時に感じました。

AKB48を見始めた時には、「こんなに素敵なアイドルがいるのに、知らないのは損ですよ」とまわりの友人をシアターに誘いまくりましたが、
もし秋葉原のシアターが、総立ちを許していたら、私は友人を誘わなかったです。

私に誘われて、AKB48を見た人には、もともとアイドルが好きだった人も、ほとんどアイドルに関心のない人もいました。

アイドルに関心のない人に、AKB48を見せて、「面白かった」という感想を聞けると、

AKB48は、普遍性のあるアイドルだ

と、心の中で喜んでいました。普遍性のない文化では、100年は続かないですから。

「総立ち禁止」は、「アイドルを継承していくために、普通のお客に見に来ていただきたい」という、作り手側からのメッセージ。
総立ちしたい客が、短期的には減ったはずですが、長期的には、普通の客が獲得できた。
短期的利益に目がくらんで、総立ちを許していたら、今のAKB48はなかったでしょう。

マニアだけが鑑賞していたアイドルを、大衆に取り戻したこと、AKB48の功績です。
これはAKB48だけの功績ではありません。ファミリー席(総立ち禁止)を始めたのは、ハロプロのコンサートが先。これをシアター全体で強制して広めたのがAKB48。

ナッキー
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