AKB48 チームBのファンより

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HKT48『メロンジュース』とカップリング曲たちのこと。(ときめき研究家)

2013-09-14 18:31:25 | ときめき研究家
『波音のオルゴール』については既に記事を書いたが、少しだけ補足する。
ソロ部分を歌っているのはたぶん全部指原だと思うと書いたが、何回も聴いてそう確信した(こう書いて違っていたらかなり恥ずかしいが・・・)。
指原の声は、アイドルとして大きな武器になるような特徴のある声ではないが、よく聴くと、伸びやかで意外に可愛らしい声だ。ところどころ、語尾を少ししゃくるような彼女らしい節回しが見られる。清純派アイドルになりきって、気持ち良さそうに歌っているようだ。自分自身アイドルが大好きな指原は、『鏡の中のジャンヌダルク』や『愛しきナターシャ』よりも、実はこういう曲を歌いたかったのではないか。
ソロパートが、1番ではAメロ、2番ではBメロ、それからCメロとサビの一部、エンディングと随所に設定されていて、それを繋げれば1コーラス分をソロで歌っていることになる。つまり、この曲は元々指原のソロ曲として作られていて、今回HKT48バージョンとして世に出たという想像もできる。いつかどこかで指原ソロバージョンも聴けそうな気がする。

『メロンジュース』は、AKBグループの楽曲には今までなかったような曲調だ。パンクロック風と言っていいだろうか。冒頭から、加工されたボーカル、思い切り歪んでいるギターの叫びに驚かされるが、案外あっさり引き込まれる。
歌詞の内容は、典型的な片想い妄想もの。通学中の電車内で一方的に好きになっているというパターンは、『7時12分の初恋』『脳内パラダイス』『ウインブルドンに連れて行って』と同様だ。しかし、曲調があまりに激しくて、そのリズムにさえ合っていれば、細かな歌詞はどうでもいいという気になってくる。「メロンジュース」を連呼しているだけで、自然に気分が高揚して来るようだ。
それでも敢えて歌詞をじっくり聴くと、なぜ「メロンジュース」なのか疑問に思う。
メロンは高価なので、駅のスタンドで売っている生ジュースも、他のフルーツのより値段が高い。だから「大人ジュース」「夢のジュース」なのか。一方で、ウリ科独特の青臭さもあって「切ないジュース」「涙ジュース」。それもこれも含めて「青春100%メロンジュース」なのだろう。山瀬まみの名曲『メロンのためいき』も切ない青春の歌だった。
「恋は汗をかくもの」「女子」というフレーズが印象的。
『スキ!スキ!スキップ』は、彼女達の元気さと可愛さを完璧に引き出していた。『メロンジュース』は、可愛さは一旦横に置いて、元気さを限界まで引き出そうとしたのだと思う。

上記2曲のほかの4曲は、今回いまひとつ好きになれなかった。

『天文部の事情』は、珍しい文化部の歌。
2年先輩の天文部の女子先輩に憧れて入部したが、あまり相手にされていない男子の歌だ。「愛は何光年?」などと格好をつけているが、あと何年経てば告白できるのかと自問しているのだろう。挙句に、先輩はなぜか天文部を辞めるという。その理由も不明だ。曲調も耳に残らない。

『希望の海流』のガラス瓶に手紙を入れて海に流すという設定は、荒井由美『瞳を閉じて』にも出て来た。ガラス瓶の中の手紙は、世界のどこかにいる他者への手紙であり、もう一人の自分への手紙でもある。『天使のしっぽ』で空に飛ばした風船もまた同様だ。
全体にやや抽象的な歌詞が難解だ。曲調は『NEW SHIP』に少し似ていて、新鮮味がない。

『泥のメトロノーム』はぐっとアダルトな曲だ。「ぼろぼろに愛されて 心も身体も傷ついて 泥のように眠りたい」というのは、プラトニックではない欲求を歌っていると解釈できる。「泥の」「メトロノーム」という比喩が、うまく理解できない。規則正しいテンポを刻む雨音やメトロノームのように品行方正な自分を、泥で作ったオブジェのように壊したいといった心理を表現しているのだろうか。
ミュージックビデオは、歌詞とは全く関係ないが面白い。台風接近で不穏な雰囲気が漂う学園祭前日の、生徒たちの情緒不安定な様子を描いていて秀逸。相米監督の名作映画『台風クラブ』を思い出す。九州は台風がよく来るので、メンバーたちにとってはリアリティのある作品になったのではないか。

最後になるが『そこで何を考えるか?』。好きになれないタイプの「楽屋落ち」曲だ。
表向きは、自他共にエースだと思っていたマラソン選手が、より速い後輩が現れてエースを外され悩むが、腐らずにもっと努力しようと決意するという、心の葛藤を歌っている歌だ。グループ結成以来エースだったが、CDデビュー前にその座を田島に奪われた兒玉のことを暗示しているのは明らかだ。その心境を憶測してえぐり出し、本人に歌わせるというのはサディスティックな趣味だ。また、それを聴いて共感するファンも、勝手な思い込みが激しすぎるような気がする。兒玉自身がどういう風に考え、受け止めているかは、本人にしか分からないことだし、不可侵な領域だと思うのだ。無理やりに「ドラマ」を作って、それを売り物にされても、私には楽しめない。
ファン以外には伝わらない「楽屋落ち」は、HKT48ではこの曲が初めてだと思うが、程々にしておいてほしい。
AKBグループやメンバーのことを題材にした曲が全て「楽屋落ち」という訳ではない。『ファーストラビット』や『上からマリコ』や『初日』などは、普遍性があって、誰にでも楽しめる楽曲に昇華されていると思う。AKBグループ固有の作為的な「ドラマ」を歌っていて、普遍性のない『12月31日』『Waiting Room』『理不尽ボール』『ハステとワステ』『さや姉』『そこで何を考えるか?』のような曲が好きになれないのだ。
その違いが分かってもらえるだろうか。
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2 コメント

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Unknown (いちと)
2013-09-14 20:26:11
『そこで何を考えるか』は本当に兒玉の事を書いた歌なのでしょうか?
最初聞いて、歌詞を見た時は間違い無く兒玉の事だ!と思ったのですが、何度か聞く内に分からなくなりました。
HKTの事を知っていれば、兒玉の事を想像するのが普通だとは思うのですが、ちょっとまだ考えています。
まぁ、答えが出る話でもないですが。
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メロンの価値 (ピーナッツ)
2013-09-15 11:05:50
"「青春」ったら…メロンジュースでしょ?"
"「大人」ったら…メロンジュースを選ぶでしょ?"
あと、グリーン色のイメージ(赤,黄,青)との比較、(いつもより)ふんぱつ、(無難な)よそいき、こだわり…。
要するに、この女の子の思い込みの果てが、「メロンジュース」というカタチになっただけだと思う。
ただ、秋Pからしたら、"メロンは、リンゴやミカンやバナナなんてもんとは訳が違う!高級品ですよ "ってな 頭があったはず(世代的に)。
だから、「メロンの価値」を「(彼女の思っている)彼の価値」に カブせたんじゃないのかなぁ~?
「メロンジュース」を選んだ理由…。

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