「アイドル、かくの如し」 AKB48の出演しない芝居は、アイドルの普遍性がテーマらしい(ナッキー)
「アイドル、かくの如し」の感想
「アイドル、かくの如し」の設定はAKB48ではない
本日の記事は3つ目でラストです。
この芝居を観に行こうと思ったのは、次の宣伝を読んだから。
ある芸能プロを舞台にした「平成夫婦善哉」
そして岩松的アイドル論
乞うご期待!!
演じる俳優たちが、熱いアイドル論を戦わせることを期待していました。
アイドル論の部分は、最初の感想記事に書いた通りですが、たくさんあったわけではありません。
直接語られていないアイドル論以外にも、芝居を通じて「アイドルとは何か」を感じ取るように、という観る人に考えてもらう芝居だったのでしょう。
新聞評には、演出家の岩松了の発言(と思われる)引用が次の通り出ていた。
「時代は変われど、若者はアイドルを求めるし
それが世の中に目を向けさせる。
自己を投影する対象でもある。
人が必然的に流れていくものとしての普遍性がある」
感想:一昔前は、アイドルを愛好するものは、世の中に目を向けていない、内省的な人物、オタクという言葉でくくられて語られていた。
それが、世の中に目を向けて、普遍的とは、アイドルも、プラスの評価に変わったものだと感じます。
ゲームや、ケイタイ、パソコンなど、画面とばかりにらめっこしているよりは(画面の対象がアイドルということもあるのだが)
アイドルが好きという方が、より人間的、デジタルというよりアナログというイメージが、演出家をして、肯定的な発言をさせたのだと推察しました。
芝居を見ている時に自分がとったメモに、「流れていく」と書いてあったのですが、誰がどの場面で言ったセリフか思い出せず記事には書きませんでした。
「人が必然的に流れていくものとしての普遍性」がテーマなら、そのメモの場面が、作者の主張だったのかもしれません。
体力的余裕があれば、もう一度見に行って確認してみたいです。
ナッキー
「アイドル、かくの如し」の感想
「アイドル、かくの如し」の設定はAKB48ではない
本日の記事は3つ目でラストです。
この芝居を観に行こうと思ったのは、次の宣伝を読んだから。
ある芸能プロを舞台にした「平成夫婦善哉」
そして岩松的アイドル論
乞うご期待!!
演じる俳優たちが、熱いアイドル論を戦わせることを期待していました。
アイドル論の部分は、最初の感想記事に書いた通りですが、たくさんあったわけではありません。
直接語られていないアイドル論以外にも、芝居を通じて「アイドルとは何か」を感じ取るように、という観る人に考えてもらう芝居だったのでしょう。
新聞評には、演出家の岩松了の発言(と思われる)引用が次の通り出ていた。
「時代は変われど、若者はアイドルを求めるし
それが世の中に目を向けさせる。
自己を投影する対象でもある。
人が必然的に流れていくものとしての普遍性がある」
感想:一昔前は、アイドルを愛好するものは、世の中に目を向けていない、内省的な人物、オタクという言葉でくくられて語られていた。
それが、世の中に目を向けて、普遍的とは、アイドルも、プラスの評価に変わったものだと感じます。
ゲームや、ケイタイ、パソコンなど、画面とばかりにらめっこしているよりは(画面の対象がアイドルということもあるのだが)
アイドルが好きという方が、より人間的、デジタルというよりアナログというイメージが、演出家をして、肯定的な発言をさせたのだと推察しました。
芝居を見ている時に自分がとったメモに、「流れていく」と書いてあったのですが、誰がどの場面で言ったセリフか思い出せず記事には書きませんでした。
「人が必然的に流れていくものとしての普遍性」がテーマなら、そのメモの場面が、作者の主張だったのかもしれません。
体力的余裕があれば、もう一度見に行って確認してみたいです。
ナッキー
若者が皆、『アイドル』を求める訳無いし。