アラン・ブース著『ニッポン縦断日記』(東京書籍1988.10刊)は、私の「歩き旅」のバイブルであり、私が1995年に徒歩日本縦断をするキッカケになった本である。
私はこの本を2冊持っている。
読書用と保存用。
読書用の方は、いつも持ち歩いて、何度も読み返している。
この本を読むと、居ながらにして歩き旅をしている気分になる。
今は絶版になっていて、古書店でもほとんど見ないから、貴重な本と言える。
インターネットの古書検索サイトを見ても本書はなかなか見つからない。
本書を読もうと思ったら、大きな図書館へでも行くしかないだろう。
今から約20年前、私は本書を書店で見つけ、買った。
歩いて日本を縦断した男がいることを初めて知った。
それも日本人ではない外国の人が……。
【アラン・ブース】
1946年ロンドンの下町に生まれる。
バーミンガム大学で演劇を学んだ後、1970年に来日。
長くて1年のつもりだったが、以後ほとんど日本に滞在。
早稲田大学英文科で教えた後、作家として英字新聞や日本の雑誌に、社会批評や邦画批評をはじめ、日本の伝統芸能についてのコラムを執筆。
1977年6月29日から11月3日にかけて、北海道・宗谷岬から鹿児島県・佐多岬まで3300kmを徒歩で縦断。
その後も「歩き旅」は続く。
津軽への3週間の徒歩旅行。
延岡から鹿児島への480kmの歩き旅。
500kmを歩いた四国横断の旅――。
だが、1993年1月、がんのため死去(享年46歳)。
アラン・ブースの語り口はウィットに富んでいる。
鋭い観察眼によって綴られる文章は、紀行文であるとともに日本および日本人批評にもなっていて、読んでいて考えさせられる。
これが日本人の手になる歩き旅の本と決定的に違う点だ。
何度も読み返しているうちに、私の胸の内にとんでもない思いが芽生えた。
「私も徒歩日本縦断というものをやってみよう!」
妻と二人の子供がいる中年の平凡な会社員であった私にとっては、一大決心であった。
妻の承諾を得、会社を辞め、徒歩日本縦断の旅に出たのは、この本に出逢ってから7年後のことであった。
佐多岬に到着したとき、アラン・ブースは待っていた新聞記者に質問される。
――ご気分は?
「体重九キロと足の爪三枚分軽くなった気分です」
――この四か月で多くのことを学んだと思われますか?
「ええ。日本についてはちょっと、自分についてはずいぶん学びました」
これは、日本徒歩縦断をした私の感想とも一致する。
「歩き旅」とは、見聞の旅であると共に、自分との対話の旅であった。
私はこの本を2冊持っている。
読書用と保存用。
読書用の方は、いつも持ち歩いて、何度も読み返している。
この本を読むと、居ながらにして歩き旅をしている気分になる。
今は絶版になっていて、古書店でもほとんど見ないから、貴重な本と言える。
インターネットの古書検索サイトを見ても本書はなかなか見つからない。
本書を読もうと思ったら、大きな図書館へでも行くしかないだろう。
今から約20年前、私は本書を書店で見つけ、買った。
歩いて日本を縦断した男がいることを初めて知った。
それも日本人ではない外国の人が……。
【アラン・ブース】
1946年ロンドンの下町に生まれる。
バーミンガム大学で演劇を学んだ後、1970年に来日。
長くて1年のつもりだったが、以後ほとんど日本に滞在。
早稲田大学英文科で教えた後、作家として英字新聞や日本の雑誌に、社会批評や邦画批評をはじめ、日本の伝統芸能についてのコラムを執筆。
1977年6月29日から11月3日にかけて、北海道・宗谷岬から鹿児島県・佐多岬まで3300kmを徒歩で縦断。
その後も「歩き旅」は続く。
津軽への3週間の徒歩旅行。
延岡から鹿児島への480kmの歩き旅。
500kmを歩いた四国横断の旅――。
だが、1993年1月、がんのため死去(享年46歳)。
アラン・ブースの語り口はウィットに富んでいる。
鋭い観察眼によって綴られる文章は、紀行文であるとともに日本および日本人批評にもなっていて、読んでいて考えさせられる。
これが日本人の手になる歩き旅の本と決定的に違う点だ。
何度も読み返しているうちに、私の胸の内にとんでもない思いが芽生えた。
「私も徒歩日本縦断というものをやってみよう!」
妻と二人の子供がいる中年の平凡な会社員であった私にとっては、一大決心であった。
妻の承諾を得、会社を辞め、徒歩日本縦断の旅に出たのは、この本に出逢ってから7年後のことであった。
佐多岬に到着したとき、アラン・ブースは待っていた新聞記者に質問される。
――ご気分は?
「体重九キロと足の爪三枚分軽くなった気分です」
――この四か月で多くのことを学んだと思われますか?
「ええ。日本についてはちょっと、自分についてはずいぶん学びました」
これは、日本徒歩縦断をした私の感想とも一致する。
「歩き旅」とは、見聞の旅であると共に、自分との対話の旅であった。